「ウクライナ戦争」人間観と人間観の戦い:「市民に自由な意思などあるわけがない」/ボニータコミックスの2冊/「バイロス画集」

Posted at 23/02/17

2月17日(金)晴れ

今日も冷え込んでいる。今の気温はマイナス7.1度。これくらいなら水道は凍らないからまだ大丈夫なのだが、寒いことには変わりない。午前中いろいろ片付けをしたりした後本を買いに行き、ツタヤでたらちねジョン「海が走るエンドロール」4巻とトマトスープ「天幕のジャードゥーガル」2巻を買った。「海が走る」は「このマンガがすごい!」のオンナ編2022年版の第一位、「ジャードゥーガル」は2023年版の第一位なのだが、2年続けて秋田書店のボニータコミックスがとっているというのもすごいなと思う。ボニータコミックスでは吟鳥子「君を死なせないための物語」もあった。ミステリーボニータを時々読むようになったのは元々は吟鳥子さんの「アンの世界地図」を読み、この作者さんの次の作品を読もうと思って見つけたのがきっかけだったと思う。「アンの世界地図」は確か立ち読みして面白かったから買ってみたというものだったから、そういうことからつながっていくというのも面白いなと思う。

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地元の新聞を見てたら職場のごく近くに古書店ができたという記事があったので昨日時間があったから覗きに行ったのだが、雰囲気はおしゃれだし美術書などが揃っていて面白い品揃えだった。こんな場所に古書店を作って客が来るのだろうかと思っていたのだが、他にも若い客が何人か来ていて、ある種のおしゃれスポットとして観光客に人気、みたいなパターンなのかもしれない。開店ご祝儀ということもあり、フランツ・フォン・バイロスの画集を買ったのだが、帰ってよく目を通して分かったのだが、デカダンの時代のかなり官能的な内容の絵を描く人で、つまりはドイツ的な春画という感じの、澁澤龍彦とかが好きそうな感じの絵柄だった。

ただ調べてみるとダンテの「神曲」を描いた画集があり、それが日本橋丸善の貴重書の店にあるらしいことがわかったので、それも一度見てみたいなと思った。おそらくは手の出るような値段ではないと思うのだが。

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何冊か読みかけの本があり、ふと本を読む時間ができたときに手元にあったのが小泉悠「ウクライナ戦争」(ちくま新書)だったので読んでいたのだが、まだ第二次ロシア・ウクライナ戦争(2022.2.〜)が本格的に侵攻が始まる前の2021年の段階の話のところを読んでいた。

2021年にはロシアの反体制活動家・アレクセイ・ナヴァリヌイが帰国し、ロシア当局に拘束・収監されたが、これに対しロシア全土で抗議行動が起こったのだけれど、プーチンはロシアや友好国で起こる政権に対する異議申し立ては「全て西側の策動による介入」であるという見方の持ち主だと小泉さんは指摘している。

これはつまりプーチンがKGBのスパイから身を起こした人物だということもあるのか、「市民が意志を持って自発的に行動すること」に対し「深く懐疑的」だ、つまり「あり得ない」と考えているということを指摘しているわけである。

このあたり、私はちょっとわからないというか、確かにプーチンはそういう反応を繰り返しているけれども、それがポーズであるのか、つまりそれを利用して西側が介入していると強弁するために使っているだけなのか、あるいは全く「市民に自由な意思などあるわけがない」と思っているのか、その辺が難しいなと思う。

こういう権威主義諸国における民主化活動などは背後に西側の情報機関がいることはよくあるだろうし、日本も日露戦争の時に明石元二郎らが反体制運動を煽って血の日曜日事件などが起こった、などという話はあるから、プーチンの発想も全く荒唐無稽ではないわけだけど、だからと言って「人間の自由な意思」そのものを否定するというのはなかなか我々の常識では考えにくい。ただ、プーチンというかなり特異な個性がそういう世界観を持っているという可能性は十分にあるわけで、そうなると現在の国連中心、つまりは西欧中心の国際秩序とは相入れない思想であるということになる。

ただ国連自体がこうした権威主義的な大国も取り込むという思想のもとに作られた組織でもあるわけで、まさに原則同士が衝突しているということなのだろうなと思った。

またウクライナのゼレンスキーはもともとロシアに対し融和的な姿勢の大統領だったわけで、ドンバスを取り返すために戦争はしない、「親露派武装組織」の指導者たちは「操り人形」であって、「ハゲの悪魔」と交渉するしかない、とまあ悪魔が相手でも話し合いでなんとかしようという姿勢だった、という指摘も面白かった。ゼレンスキーのコミュニケーション能力が卓越しているのは西側の広範な援助を取り付けるために各国の議会でリモート演説をしたあの一連の行動で高く評価されていることからもわかるが、彼は自分のコミュニケーション能力がプーチンにも通じると本気で信じていた(つまり過信していた)のではないかという指摘もなるほどと思わされた。「どんな相手でも酒を酌み交わせば通じる」という若者が昔いたが、まあそういう感じだろう。

この辺は韓国や中国、北朝鮮などとの交渉を通じて「世の中にはどんなにコミュニケーション能力が高くても話が通じない相手がいる」ということを思い知らされてくるとまあプーチンはそういう相手じゃないだろうなあと思うのだが、それでも戦争になるよりはマシだということはもちろんあっただろう。結局のところ、プーチンの側から侵略を仕掛けてきたわけだけど。

この辺りは人間観と人間観の戦いでもあり、近代的な自立的で寛容で柔軟な人間をよしとする考え方のある種の敗北でもあるわけだけど、いざ戦いとなったら甘い夢はキッパリと捨ててウクライナのために戦い続けると宣言したこともまたある種のコミュニケーション能力の高さであることは事実であり、ゼレンスキーもプーチンに期待していた(ある意味舐めていた)面もあっただろうけれども、プーチンがゼレンスキーを舐めていた面ももちろん大きかったということなんだろうなと思う。

第二次ロシア・ウクライナ戦争も厳しい局面が続いているが、ウクライナにはなんとか頑張ってもらいたいなと思う。

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by Luke Peterson

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