明治大正の絵師を取り上げた「夢てふものは頼みそめてき」1・2巻を読んだ

Posted at 23/02/24

2月24日(金)晴れ

今日は七十二候では雨水の第二候の「霞始めてたなびく」にあたる。朝の最低気温はマイナス1.7度、そんなに寒くない。雨水は旧暦では必ず正月に入る日なのだが、今年は正月二十九日、新月(朔)の前日に当たっていて、今日は旧暦2月5日ということになる。六曜は旧暦の月と日を足して六で割った余で決まるから、今日は余り一なので赤口ということになる。

そんなことを書いているのも、昨日は天皇誕生日で今日はロシアのウクライナ侵攻1周年という重い日だからちょっと違うことを書いてみようと思ったのだが、まあ人事が重い日が続いても季節はそれに関わらず回り続けるので、そこが一つの救いかもしれない。ただ日常的なことで言えば一月は行く、二月は逃げる、3月は去るの言葉の通り、二月ももう残り4日という事態に立ち至っているわけではあるが。

昨日は午前中に松本に出かけて体を見てもらい、帰りにツタヤに行って諏訪では買えなかったマンガを探したのだが、見つけて買うことができた。灰田高鴻「夢てふものは頼みそめてき」(講談社)の1・2巻。モーニング連載なのだが地味なのか、諏訪では何件か回ったが新刊でも見つけることができなかった。この話は明治大正期の夫婦の絵師、池田輝方と池田蕉園(榊原百合子)の話で、師の水野年方のもと、鏑木清方や大野樵蘭など絵師たちがたくさん出てくる。

この二人のことはよく知らなかったのでWikipediaで調べたのだが、相当面白い。私は知らなかったのだが、実際に京都の上村松園と並ぶ女流の絵師として名を馳せ、筆をとるところを大正天皇の天覧にも浴したという。基本的に美人画が多いが、調べてみると師の水野年方が浮世絵師の月岡芳年の最後の弟子みたいな位置付けの人らしい。月岡芳年は幕末明治の歴史画などでよく見る人だが、水野年方もググってみるとそうした絵や美人画などいろいろな作品を残している。

月岡芳年は歌川国芳の弟子なので浮世絵の本流の歌川派の末裔ということになるが、我々の意識するような明治大正の美人画を蕉園は書いている。かなりその生涯は波乱に満ちたもので最後は31歳で結核で死んでしまうという薄命なのだが、こういう人が漫画で取り上げられるというのは面白いなと思う。

また百合子が通っていた女子学院の初代院長・矢嶋楫子という人物も出てくるのだが、これもWikipediaを読むと相当面白い人で、JGが今でも自由な校風だというのもわかるような気がした。

この作者の前作の「スインギンドラゴンタイガーブギ」も読んでいて、これも面白かったが、個人的には今作の方が好きだ。ただいずれも題名が長く、またペンネームも難しくてなかなか見つからないので書店で検索機をかけてもよくわからないので結局ISBNを入力して見つけたという経緯があり、その辺のところをもう少し考えてくれるとありがたいという感じはある。

他のことも書こうと思ったが今日は母を病院に連れていく日で時間がなくなったので今日はここまでで。

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by Luke Peterson

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