唯一の超大国アメリカとウクライナ戦争/保守の内実と神武天皇論/意識が意識を持つ/主体性の回復
Posted at 23/01/19 PermaLink» Tweet
1月19日(木)晴れ
朝起きていろいろやって車でセブンに行ったら「キングダム」の新刊が売っていて、あれと思ったのだが、今ひめくりを見て今日が19日だということに気づき、あ、そうかと思った。どうしようかと考えているうちに忘れてしまってヤンジャンとホットゆずを買い電気代を払って車に戻ってから買ってないことに気がついたが他にも3冊新刊で出て買うコミックスがあるのでそれと一緒でいいやと思い直す。
昨日は整体に行っていろいろ近況を話したりしながら操法を受けたのだが、どちらにしても自分で決めることが大事ですねと言われてああそうだなあと思ったり。体調的にもいろいろあったのだが今朝起きてみると割と良くなっていて、なんというか「自分」が自分の世界の中心に戻った感じ。主体性を回復する操法というものがあるのかどうかわからないが、要は身体の力を回復することそのものが主体性を回復することなのだなと思う。
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なんか夢を見て、機会が意識を持つという設定になっているのだが、自分が意識を持った機械に同化していたり、ただ意識はあっても感情は必ずしもなかったり、これはある種の機械についた付喪神みたいなものなのかなと思ったり、機械以外の設定も意識を持ったり、プログラムが意識を持つというマンガは「Bまで恋はAiまかせ」だったが、なんでも意識を持っている感じで、最後には意識が意識を持つという話になっていて、頭の動きを止めるために起きた。意識が意識を持つというの、その夢っぽい思考の中ではリアリティがあったのだが、こうして書いてみるとわかったようなわからないような。
何かに乗っ取られたとかそういうものでもなくて、なんか当たり前のことが起こっているだけみたいな感じなのだが、「宇宙船が意識を持つ」という田中空さんの「さいごの宇宙船」みたいな感じのところがある設定だったのだが、小林恭二さんの「小説伝」ぽい感じもするなと今思った。
リアリティとか手触りというものはそれ自体変容するものだなと思うのだが、ある種のシュールな世界が展開していく感じで考えているうちに眠くなってきた。
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作家というものは結局は「俺から見た世界」を書くものだなと思うのだけど、こういう夢か現かみたいな話を後まで覚えていて書くのは割と難しいなと思う。ただ、主体性が回復したせいかわからないが、何かを客観的に見た世界を描くより、「俺から見た世界」みたいな感じで考えたことを少し書いてみたいと思う。
保守という視点で今まで書いていたのだけど、保守という外在するものがあってそれを描こうとするとどうも自分にとっての手応えが不明瞭になるところがあり、自分というものの中にあるものを語った方がいいのではないかという気がしてきたのだが、しかし結局保守という視点に立つまで自分が描いてきたものは基本そういうもので、自分が考えてきたことに何か名前をつけようと思ってもつけようがない感じだからむしろ「保守」という柱を考えて描いてきたという感じはある。
ただ名前をつけてしまうとそれに囚われてしまうという現象はやはり起こるので、「人間の顔をした保守主義」というふうにまた名付けてみたのだが、自分の中にあるものを描き出すのと自分が名付けたものの内実を考えていくことではもっと前者をやっていく方が大事だなと今思うところはある。そういう方向は書く内容が取り留めなくなりがちで、内実を整えるためにいろいろ調べたり勉強したりするという方が手がかりが掴めやすいのでつい優先してしまうのだが、特に朝の時間は自分の中にあるものを書くことが大事だなという気はする。
まあ保守というものの内実を充実させるために考えないといけないのは昨日も書いたが天皇という存在についての問題があるなと思ったし、そうなると「神武天皇」というものを考えないといけないなと思ったのでググってみると松本市中央図書館に「神武天皇論」という本があることがわかったので整体に行った帰りに寄って少し読んでみた。基本的には自分の知っていることが多かったが、改めて平泉清の言っていることとかを引用で読んでああそうだなあと思ったのは、中世の天皇の目標は「延喜天暦の治」に帰ることが理想であるとしていて、神武創業のみぎりに帰れという視点は玉松操が出てくるまで待たないといけなかった、というのがなるほどと思った。
つまりは我々の神武天皇認識というものは幕末のある種の思想ルネサンスみたいなものに由来しているということなわけで、この辺りももう少し考えてみた方がいいと思ったので地元に戻ってからこの本をリクエストして取り寄せることにした。
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そういう観点から現代世界というものを考えていたのだが、ロシアはプーチン大統領が「アメリカと西欧がロシアを滅ぼそうとしている」というようなことを言っていて、それが「西側」を除く世界ではある程度の説得力が感じられているように見受けられるわけだけど、ロシアの前はイスラムがやられていたわけだしな・・・と考えて遡ってみると確かにそういう構図が現代史に成立しているなということは思った。
冷戦時代にはアメリカとロシア(ソ連)は鋭く対立していたわけだが、ソ連崩壊後=冷戦後になるとアメリカは「唯一の超大国」になった。その超大国アメリカが最初に標的にしたのは、考えてみたら日本だったわけだ。日本は軍事大国ではないけれども貿易摩擦などでアメリカとは経済的な利害対立があり、その中で日米構造協議を仕掛けられ、またマネー敗戦と言われるようなプラザ合意以降の円高攻勢があり、コンピュータの分野でもOSをめぐる争いなどで悉く日本をねじ伏せて、アメリカはITバブルやヘッジファンドの高利益を謳歌する一方で日本は底のない不況に突入していった。
トランプが出てきた時も「日本は貿易的に不公正だ」みたいなことを言っていたが、古い人たちは80年代の傷をまだ引きずっているということだったのだろう。その点は安倍さんがトランプと意気投合することによって標的を再び日本の定めさせずに反らしたわけで、基本的に今の日本はアメリカを敵に回さないことに相当意を用いていることは78年前の軍事的敗北だけでなく90年代の政治経済的敗戦を強く引きずっているということなのだろうと思う。
90年代にアメリカが「正義の敵」と見做したのはセルビアで、「エスニッククレンジング」などの批判が行われていたが、2001年に同時多発テロが起こるとアメリカは盟主としてだけでなく被害者として世界の正義を担う正当性を獲得したわけで、「テロとの戦争」の「正義の敵」はイスラム原理主義過激派になった。アルカイダ、タリバンときてイラクのフセインを滅ぼし、しばらくは安定して、オバマ政権時代には中東から段階的に手を引くということになっていたが、タイミング悪くシリア内戦が起こり、大量の難民がヨーロッパに流れ込むことで政治経済的・社会的緊張が西側世界にさらに高まることになった。
アフガンやイラク・リビアと違ってシリアが持ちこたえているのは背後にロシアがいるからで、そのことと現在のウクライナ戦争が関係がある部分もあるのではないかということはある。冷戦崩壊後、ロシアは経済的苦境に陥ったが石油生産によって国力を回復し、再びアメリカ中心の国際秩序に対する挑戦者になってきたわけだ。
NATO拡大やウクライナの民主化がロシアを刺激したことは間違いがない、というかプーチンはウクライナやカザフスタン、ベラルーシなどの旧ソ連諸国をソ連時代の東欧と同じく「衛星国」のように見做している節があり、ウクライナがそこから外れることが許せないということは大きかっただろう。
西側から見れば一方的に侵攻したのはロシアであり、それを許容することはできないわけだが、「アメリカに西欧に逆らえばロシアのようになる」というメッセージはアメリカ中心の国際秩序に多かれ少なから反感を持つ諸国には届いているということなのだろうと思う。
ロシア以前にアメリカが焦点を定めつつあったのが中国で、ウクライナへの侵攻は台湾侵攻とパラレルに捕らえられる部分はあるし、ウクライナではアメリカが手を出していないということと異なり台湾は防衛すると明言しているわけで、そんなことが本当に起こったら日本としてはそうとう大変なことになるのはいうまでもないのだけど、アメリカもまた「核大国との直接戦争」という全く新しい事態に足を踏み入れることになる。
ただ、ロシアが敗戦ということになればシリアへの介入も弱まるだろうからシリアの治安を回復させて難民を帰国させればヨーロッパにおける社会的圧力はかなり減少するので、いろいろな意味でロシアが敗れることの意義は大きいように思う。また中国の背後に(地理的な意味で)ロシアがいることで安心していられる部分が中国にはあったと思うが、その変化が台湾に対する対応にも影響するだろうと思う。
日本のコラボ問題もそうだが、ウクライナでの戦争の帰趨はかなり大きな変化をもたらすように思う。日本も世界も今大きな峠道にいるのかもしれない。2023年は世界史において分水嶺になる年になる可能性があるのではないだろうか。
***
「月刊全生」を読んでいたら「生きるという生存競争の一番始まりには刺戟をこなしていく力というものがある」という文があって、つまりその「外部からの刺戟」を「こなす」のが「主体」なのだよなと思った。生命というものは実に多くの刺戟をこなしているわけだけど、それにしても最近は刺戟が多すぎるよなと思う。「主体性を見失う」ということはつまりは「刺戟をこなしきれていない」ということなわけで、それをしっかりこなすことを「あえて」やっていく必要があるなと思った。
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