私の現状認識について

Posted at 23/01/08

1月8日(日)晴れ

今年は1月1日が日曜日だったので、今日は2回目の日曜日。もう1週間経ったのかと思う一方で、ようやく1週間が終わったのかとも思う。3が日は人が来ていて、4日5日と連続で松本に出かけ、4から7は仕事で、ようやく休み。今日はゆっくり出かけて東京に帰ろうと思っているが、三連休でもあるので道は混むかもしれないなと思う。でもまあ、ゆっくり行こう。

今日は何について書こうかと言うのは迷っているのだけど、自分の政治的スタンスがどう言う時にどう言うことで変化したのかとか、経済政策に対するスタンスが何をきっかけに固まったかと言うようなことは今までも何度か書いてる。

簡単に言えば、政治的な面で言えば、元々は社会党系の主張がどちらかと言うと説得力を持って聞こえると80年代までは思っていたのが、阪神大震災とオウム真理教事件をきっかけに彼らの実際的な対応能力のなさに疑問を持ち、ちょうど「ゴーマニズム宣言」も読んでいたことからそれまで関心がなかった自民党系の思想や主張、政策なども勉強したり調べたり考えたりしているうちに、責任を持って国家社会を運営して行くには保守系のスタンスに立たないとダメだ、と考えるようになったのが大きいかなと思う。

経済政策的なスタンスで言えば、「無駄を省く」的な新自由主義の流れがなんか変だなと思いつつ最近までどこが悪いのかよくわからないでいたのだが、栗原裕一郎さんのインタビューを読んだり「そろそろ左派は経済を語ろう」を読んだりして、新自由主義なリストラ政策が経済の停滞を招いている大きな理由で、イノベーション支援も必要だし賃上げや減税や財政出動を中心としたケインジアン的政策を行わなければいけないと考えるようになった。それはアベノミクスの「成功」も見てのことではあった。左翼勢力も含まれる野党である民主党が「無駄を省く」と言う方向性になったのは大きな痛手であったと思うが、左翼が伝統的な労働者保護よりもマイノリティ保護に走ったことがかなり日本の現状の痛手になっているといろいろ調べて思うようになった。

政治的な保守ということに関しては、私はもともと伝統的なものとか古いもの、天皇制=皇室制度というようなものは素朴に肯定するところがあったから、なんとなく社会党的な主張も取り入れるともっと良くなるんじゃないか的なこれも素朴な進歩信仰みたいなところがあったので、実際の困難な場面においての社会党政権の弱さと野中広務の剛腕ぶりなどを見ていてこれは好き嫌いはともかく任せられるのはどちらかというのははっきりしているなと思うようになったので、考え方が変わる前の日本の現状に対する考え方も上書きされてしまった感じが大きい。

経済に関しては、もともと中学生の頃から累進課税制度や政治による再分配政策みたいなものを肯定的に、というか当然のものとして学んできたところがあったから、「無駄を省く」とか「頑張った人が豊かになる」というような新自由主義的な主張も再分配政策を当然の前提とした上での方向性だと思っていたのでなんか話が違うなという感じを持ってはいたが、これらの新自由主義や新古典派の主張もそんなにちゃんと勉強したわけではなかったのでどうも気持ち悪いなと思いながら見ていたというのが実際だったと思う。

結局若い層の左翼離れ、民主党離れというのは私が社会党政権の実態を見て社会党支持から離れたのと同じように民主党政権下で経済的困難に陥ったというようなことが大きかったのだろうなと思う。今は自民党政権が続いているから何か悪いことが起こったら自民党のせい、みたいな感じで左派が増えているという面もあるのだろうと思う。

現状認識をいつどのようにどう持つようになったかということに関しては、簡単に言えばそういう感じだろうか。あとアカデミズムとネットにおけるwokeismとそれに対する戦いみたいな話もあるけれども、これはホットな話題でもありざっとまとめるにはやりにくいところもあるので改めて書きたい。


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