「本当は大変なのに普通に振る舞わなければならない強制力」による世界の歪み/村人の会話/「大雪海のカイナ」と、「コロナのようなポリコレ」と「表現」との戦い

Posted at 22/12/17

12月17日(土)晴れ時々曇り

昨日は植木の作業が終わり、10時と3時のお茶出しが終わったのでほっと一息という感じ。年賀状の作業もそれなりに進んで、年末の仕事もなんとかなってきているかなと思っていたが、正月の行事のことで予定外のことが入ってきたりして、またなんだかんだと忙しい感じがある。

コロナに関しては、去年よりも今年の方がずっと蔓延していて感染している人も多くなり、正直2020年・2021年と比べて2022年の方が大変だ。去年まではどこか他人事だったのだけど、今年はいちいち対処しないといけないことが増えてきてずっと大変な印象になっている。その一方で「平常化」が動き出して普通に振る舞わなければいけないという感じにもなっていて、どちらかにしてくれという感じなのだが、「本当は大変なのに普通に振る舞わなければならない」強制力が働いている感じがし、自分も大変だけど社会も大丈夫なのかという気がする。

(何が起こったのかわからないのだが、もっと先まで書いてあったのに文章が半分くらい消えてしまった。マックでそういうことが起こったことは初めてなのでショックが大きいが、やはりどんな機会でもこまめの保存は大事ということか。ガーン。)

今年最大の事件といえばロシアのウクライナ侵攻だが、あれもコロナでストレスが溜まっていたから爆発したのではないかという気もしなくはない。思えばBLMとかもそうだったな。あるいは知床遊覧船や韓国の群衆事故もそういうところに生じた社会の歪みのようなものを反映しているのではないかという気がする。

(1度目に書いた時にそれなりに気に入っていた表現があったのに、消えてしまうと取り返しがつかない感じがしてすごく残念だ。思い出して書き直してみても、全く同じにはかけないし。)

今朝は5時間は寝られたのだがなんとなくパッとしない感じがあり、現状の問題点を少し整理して書きつけたあと車でガソリンを入れに出かけたのだが、そのついでに丘の上のデイリーヤマザキに行って塩バターパンなど買っていたら、店のおばさんたちが「今夜は雪だねえ」「どのくらい積もるのかねえ嫌だねえ」という会話をしていて、まるでゲームで村を訪れたときの村人の会話みたいだなと思っておかしかった。それにしても今夜は雪か。嫌だねえ。

「大雪海のカイナ」は弐瓶勉さんの作品としては同じシリウスで連載されていた「人形の国」に近いのだが、武本糸衣さんの絵もあってより子ども向けの感じの作品になっている。弐瓶勉さんの作品でアニメ化されているのは「シドニアの騎士」と「BLAME!」なわけだけど、この「大雪海のカイナ」は連載回数が少ないうちにアニメ化が決まって、ちょっと驚いている。

考えてみたら、「人形の国」は話自体がそんなにアニメ化に問題があるとは思っていなかったけど、恐らくは人間が「人形病」というものにかかって異形化してしまう、という設定自体がアニメ化に待ったがかかった原因なのかなと思った。「大雪海のカイナ」は人形病の設定以外は「人形の国」に近いから、逆にアニメ化の話が先にあって人形病を出さないようにして描かれた作品なのではないかと思ったりした。

人間や機械や人間以外の異形の生物・ガウナなどとの戦いややりとりや交流が最近の弐瓶さんの作品としては面白いところなのだけど、現実問題として人間の異形化は現在のポリコレに抵触する部分があるんだろうなと思う。いろいろ厳しい時代ではあるけど、ポリコレに逆らう道もあればポリコレに順応する道もあり、あるいはポリコレを無視する道も表現にはあると思うので、ポリコレが歴史の彼方に投棄されるまではコロナと同じように戦ったり共存したしなければならないのだろうなと思ったりした。

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