「神作家紫式部のありえない日々」2巻と「性別モナリザの君へ」9巻・10巻を読んだ。

Posted at 22/12/14

12月14日(水)雪/曇り

毎日忙しくてやることが多く、またイレギュラーなことがよく起こるので感情的な処理が間に合わないところがあるのだが、そういうこともこのブログ(note)には日記も兼ねているのでそれなりに書いていたのだけど、まああまり書くものでもないなと思い出したので、あまり書かないようにしようと思う。だからと言って楽しさいっぱい!ブログ♡にはならないと思うが、ちょっとメランコリー、みたいなノリの時はあるかなとは思う。まあどういう表現がこのブログ(note)にはいいのか、というのはまだ見つけられてないところがあるので、少し試行錯誤という感じ。

昨日は郵便局に行って銀行に行って湖畔の小洒落たお店に寄った後スーパーに行き、電話を何件かして、みたいな感じだったが今日はまた朝からいろいろ予定は詰まっている。忙しくなってくると初めは嫌なのだが、忙しさハイみたいな感じになることもあり、今は割とその感じがある。自分のやりたいことをやっているかということを考えてみて、やってはいるがやれてはいない、みたいな感じだなと思った。いろんな用務で忙しいということはあっても漫画とかも読んではいるのでやりたいことがやれていないわけではないが、漫画を読むことがやりたいことの全てではないからやれてはいない、とでも言えばいいのか。

保守についての考え方を書いた本を書きたいとは思っているのだけど、それはやりたいことというよりは義務としてそう思ってるのだよなと最近思うようになってきて、じゃあやりたいことは何かといえば、人を楽しませること、人の手助けをすることかなという気がする。ただ、「仕事」というものは常に何らかの形で人を楽しませたり手助けをしたりするものだから、それだけでこれということはないのだけど、とりあえずはこういう文章であっても何かの形で読む人を楽しませたり何かの手助けになったりするようなことがかければいいなと思う。「面白くってためになる」というまあ、講談社の標語のようなものだけど。

昨日は読めたのは「神作家紫式部のありえない日々」2巻と「性別モナリザの君へ」9巻と10巻(完結)。「神作家」はコミックゼロサムで連載されていて、私は毎月読んでいるので単行本は再読になるのだが、新しいキャラが何人も(と言っても実在の人物だが)出てきて面白い。紫式部が物語オタクで早口になって赤染衛門と物語のイケてるところの感想を言い合うところとか、「日本紀の御局」というあだ名を広めた意地悪な左衛門内侍が実は光源氏推しの強火担で同担拒否の夢女子だったとか、一条天皇の宮廷のサロンを女オタク的解釈で読み解いていくのが面白いなと思う。夫に先立たれて娘を育てているが同人誌=源氏物語が道長の妻の源の倫子の目に止まって中宮彰子に使えるようになるちょっと歳を食ったキャリアウーマン、みたいな感じで描かれるのもリアルだ。

「性別モナリザの君へ」は、この世界の人間がみな子供の頃は雌雄未分化で、大人になる過程の中で性別が分かれていくが、10代後半になっても性別が決まらない状態を「モナリザ」と呼び、20歳すぎてその状態の人はほとんど生存例がない、みたいな話できていて、8巻で主人公が「性別を決める」というところで終わっているのだが、9・10巻は「女性になったエンド」と「男性になったエンド」の後日譚、という感じで書かれている。

どちらもなるほどとは思うのだが、どちらの巻も最初に「女性になって男性と付き合う」パターンと「男性になって女性と付き合う」が書かれているが、そのさきは女性になって女性と付き合う、男性になって男性と付き合う、というパターンも描かれ、また脇役として描かれている人たちの変わった性癖であるとか、男の子が好きな男の子の話だとか、そういう感じで書かれていて、私自身としては男女カップリングの話をもっと読みたかったなと思うのだけど、作者さんとしてはそういう「ジェンダー的に自由であること」を描きたかったんだろうなと思うし、まあだからこそこういう設定の話を思いついたのだろうなとは思う。

いずれにしてもジェンダーガーッとかフェミニズムガーッという感じではなく、こういう感じがあってもいいよね、みたいなゆるやかな感じで描かれているので抵抗なく最後まで読めた。ただ、この10巻に及ぶ作品を最後まで読めたのは「10代後半まで性別未分化」という設定の妙があるわけで、こういう題材としてすぐ思い浮かぶのは萩尾望都「11人いる!」のフロルベリチェリ・フロルな訳だけど、性格も設定もフロルとは異なるひなせの個性の描き方も魅力的で、好きな作品だったなと思う。まあでも自分が読みたいのはノーマルカップリング、もとい男女カップリングではあるのだよなとは思うのだが。

性自認というのは人間性というかアイデンティティの根本に関わることだと思うから、そこがいわゆるノーマルな状態と違うというのはどういうことなのか、ということについてどうもやはり興味はかなり強くあって、それで「ぼくらのへんたい」なども含めてつい読んでしまう感じはあるのだが、やはりそれは「自分と違う人がどういう感じで生きていてどういうふうに感じているか」というところに関心があるからで、自分がそうなるということは思考実験の域は出ない。これは女性の描いたものや女性を描いたものを読むときも同じような関心はあるのだけど、女性に関してはフェミニズムのような特異な思想が出てきて自分の中でまだ扱いに困っている部分はある。まあこの辺りについては保守思想について書く上でも触れる機会はあると思うけれども。

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