「鎌倉殿の13人」最終回「報いの時」を見た。ノワール大河の傑作を、1年間ありがとうございました。

Posted at 22/12/19

12月19日(月)晴れ

今日は久しぶりにちゃんと晴れている。その分朝は冷え込んで、マイナス4.9度まで下がった。家の中も暖房をつけていても寒い。暖房の入っていない廊下とかはもっと寒い。

昨日は夜「鎌倉殿の13人」の最終回を見るのがメインイベントだったのでその他にも世の中ではいろいろ行事があったらしいことは今朝になって知った。漫才のM-1グランプリとか、ワールドカップの決勝戦とか、幕張メッセではジャンプフェスタもやっていたようだ。しかしその辺は余裕がなくて全然追いかけてないので、今朝になっていろいろな人がいろいろなことを呟いているのを読んで知った感じがする。

昨日は午前中はもやもやといろいろなことを考えてあまりちゃんと動けない感じだったし、午後もなんとなくメンタルに不安がある感じで遠出はせずに近場で本を見たり夕食の買い物をしたりして、夜に備えた。最初から最後まで全部見た大河ドラマは初めてということもあり、「鎌倉殿の13人」の最終回に備えていたのだが、その前に配信で「グランドフィナーレ」の様子を見られたので、景気づけになったなと思う。

それにしても1年間、よく見てきたなというか毎回かなり気合と時間を使って感想を書いてきたので今日が最後かと思うと少し肩の荷が降りる感じはするのだけど、これからも恐らくは折々に触れて思い出して触れるのだろうなとは思う。

出演者、関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。素晴らしいドラマを、1年間ありがとうございました。

***

https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/48.html

「鎌倉殿の13人」最終回「報いの時」を見た。冒頭は来季の大河ドラマの「どうする家康」の主人公が寝転がって吾妻鏡を読んでいるというところから始まり、鎌倉と戦国、そして幕末までの連続性を示唆する演出だったが、単に番宣だったのかもしれない。まあ昔の映画は場面の中でタイアップした商品が使われてたり(ヘドライヤーとか)屋上の場面で看板を写したりしていたようなので、昔からある手法なんだろうなとは思う。今年はあまりに「鎌倉殿」に入れ込んでいたので来年はもう大河ドラマは見ないぞと決めていたのだが、少しだけ見たい気がしてしまったから番宣としては意味があったのではないかとは思う。

最終回らしくオールスターキャストで回想を含めてたくさんの人が出てきたが、義時の最初の妻の「八重」だけは話の中でもエピソード的にも何度も出てきているのに回想場面でも顔を見せず、何かそこに意味があるのかどうか、などと考えたりもした。

最終的に、この回の目的は「北条義時の死」を描くことであった、と思う。本当は「承久の乱」というある意味中世最大の事件をもっと丹念に描いてほしかった、というのはこのドラマをやることを知ったときに「承久の乱」が描かれることが楽しみだな、という思いでずっと見てきたということもあったからなのだが、まあその辺は実際丹念には描かれなかったことは残念だった。ただ、「義時の死」が最大のテーマであったから、その辺はあまり雑音にならないような描かれ方になったのだろうなと思う。

その中で描かれたのは、総大将となった泰時の奮戦ぶりと、筏で宇治川を渡る戦術。本当は朝時は北陸道にいるし時房は勢多で戦っているし三浦義村は淀で戦っているので宇治川にはいないはずなのだが、そのあたりは大きなポイントに絞った描き方になっていた。

まあこの辺りに対して不満を一応書いておくと、承久の乱というのは北条政子や義時の関連で描かれるので、どうしても物語の最終盤になってしまう。そうなると今回もそうだが戦いの経緯を丹念に描くというよりはその結果だけを書けばいいという感じになってしまいがちで、今回はそれはないだろうと思っていたのだが結局そうなってしまったことは残念だった。北条泰時が主人公の大河ドラマが作られたら、もっときちんと描かれるのだろうとは思うのだけど、まあなかなか厳しいかなとは思う。

この戦いで平盛綱が矢で負傷し、溺れそうになるのだが、「何かの力で」助かるのだけど、これは千鶴丸・鶴丸と「川で溺れる」描写があったことが思い起こされ、やはり「八重」の助力によって助かったのだろう、と視聴者に思わせる。もともと最終回だから視聴者も過去回顧的な姿勢が入っているわけだけど、「感じさせるけど、出さない」という八重の扱いはむしろ脚本家によって本当に大事にされているのだなと思わされた。

はい戦後の後鳥羽上皇についてもいろいろなエピソードはあるが、取り上げられた場面では一敗地に塗れたのちに自らが先頭に立って戦う姿勢を一度は見せていること。これは泰時のエピソードに、出陣後一度鎌倉に戻って「もし上皇が先頭に立ってきたらどうするか」と義時に問い、「その場合は馬から降りて降伏しろ」と言われているエピソード、また三浦義村も長沼宗到に「上皇様が先頭に立ったらこの軍は負ける」と言っていることからも、「京方が勝つ可能性はあった」ということは示唆されている。

しかし実際には卿二位の制止によって上皇は戦いには出ず義時追討自体を「奸臣の仕業」ということにしてしまって、最終的には義時の判断で「隠岐に流される」事になるが、その場面で死んだはずの隠岐に流された文覚が出てくるのは「蘊蓄的なエピソード」ではあるがやや余計な感じがした。しかし文覚を出すことで義時にとって最大の悪行であったと古来されてきた「三上皇配流」にコミカルな演出をつけることでやや軽みを出す、という配慮があったのだろうなとは思った。

少しわからないのは、泰時と時房が京でりく(牧の方)と再会し、時政の死を9年前の告げるのだが、流石に彼女が時政の死を知らないというのは不自然であるように思った。場面の目的としては時政の死に哀傷の想いを抱くりくを見せるという意味はあったのだろうけど。また泰時に「またお会いしましょう!」というのもりくらしい明るさを見せる、という意味だったのだろうか。実際牧の方は義時や政子より長生きするわけで、そのサバサバ身を見せるというところに意図はあったのだろう。ただそれが必要だったのか?というのはちょっとわからない気がした。まあ逆に、「時政の晩年は気遣いのできる女性にかしずかれて幸せだった」と全く空気を読めない発言をする泰時を見せるところに意味があったのかもしれないのだが。

死に向かう義時を描く中で、「退位した帝」をめぐる陰謀が一つのテーマになり、義時が「殺すべき」と主張するのに泰時が強く反対し、これからの鎌倉は自分が率いる、と宣言するのを「殺すべき」と判断する義時や大江広元が頼もしく見上げる場面、そして御家人の争いを捌くために基準を明文化する、つまり御成敗式目の構想を明らかにするところなどが将来の希望として描かれるわけだが、義時はそれを見て尚更「自分のやるべきことをやる」と考えるところがダークスパイラルにハマっている救われなさ、ダークサイドから抜けだせなくなっている主人公が描かれているのだなと思う。

このドラマを「ノワール大河」と表現した人がいたが、実際フィルムノワールというかそういうものとして描かれているなと思う。神谷さんの作品の中でも最もノワール色の強い傑作になったのではないだろうか。和田義盛がフォルスタッフとして、公卿はハムレットとして、三浦義村はイヤーゴーとして描かれていた、と三谷さん自身が言っているのを読んだが、そういうシェイクスピア的な人間造形がある種の普遍性を生み出していたのだろうなと思う。

義時はのえに裏切られ、三浦義村に裏切られ、それでものえには離縁せずに出ていけという一方で関心を持ってもらえなかったのえの哀しみに十分答えられない不器用さが描かれるわけだけど、義村との会話の中でも「女子はきのこが好きだというのは嘘だ」と言われて「もっと早く言ってほしかった」と答える女性に対するあまりのズッコケぶりが最後まで「欠けたところがある」義時の描写として一貫していたのだなと思うし、その無神経ぶりがちゃんと泰時に受け継がれているのが、「欠点を共有するという点での親子の絆」みたいな感じがした。

義村とのラストシーンは好きな場面の一つだが、義村に「自分はお前より全てにおいて上だったはずなのにどうして差がついたんだ」と本音を言わせることによって信頼を取り戻し、「泰時を頼む」と伝えるところが味わい深かった。

実際のところ、ここまでの場面は「いろいろあったけどそれなりに心配事のタネは回収したぞ」というある種の落ち着きを見るものにも与えたと思う。

しかし本当にすごいと思うのは政子とのラストシーンだった。しみじみと過去を回顧していく中で、政子に対しては絶対に言わなかった秘密、頼家に手をくだしたのが自分だった、ということをポロッと言ってしまう。政子がそれを聞いて、「嘘を言ったら、誰に行ったのかをちゃんと覚えていなければだめよ」というようなことを慈悲のような般若のような声と顔で言うのだが、これはもうなんと言うか人間としての演技の限界を超えたような演技だったような気がする。小池栄子さんのグラビアポスターが東南アジアのどこかの国で「仏様に似ているから」と言う理由で飾られていると言う話が、リアリティを持って感じられた。

運慶に作らせた仏像についてもタイムラインでは多くの議論がなされていて、それぞれに説得力を感じたのだが、あのなんというか「呪術廻戦」に出てくるキャラのような見かけの仏像が、ダークサイドとライトサイドに引き裂かれた義時のありのままの姿だと言うのはほんとだよなあと思った。あの仏像、私は割と好きだなと思う。

https://twitter.com/nhk_yokohama/status/1604449651817680898

頼家暗殺を告白し、そして「まだやらなければならないことがある」と退位した帝の暗殺を示唆する義時に、政子は「私たちは長く生きすぎた」と涙ながらに語り、「薬をとってください」と言う義時の願いを拒否し、中身をこぼしてしまう。義時が這いずってこぼれた薬を舐めようとすると、それも阻止する。苦しみ這いずり回る義時は、その姉の行為に納得も感じていたのだろう、頼朝から受け継いだ念持仏を泰時に渡すように頼み、苦しみの中で息絶える。そして政子の嗚咽だけがタイトルロールに流れる。

その後即座に「どうする家康」の予告が入ったのはいただけなかったが、その前までは大河史上に残る最高のラストシーンであったように思われる。あの芝居は、小栗さんにとっても小池さんにとっても相当ハードルの高い芝居だったと思うし、またそれをやり切ったことで小栗さんが「吹っ切れた」と言うのもまた納得だったなと思う。

「全てにけりをつけ、全てを受け入れて、苦しみながら死ぬ」と言うのがまさに義時にとっての「報いの時」であったのだなと思うし、「退位した帝の暗殺」と言う「余計な罪」を背負わせなかった政子のはからいにも納得するしかない、と言う感じがした。

史実は史実としてあり、またドラマはドラマとしてあるのだが、ドラマのラストが如何様にも解釈できるオープンエンドのような形で終わったのは魅力的だったなと思う。

乱の終結後、史実では泰時は義時が死ぬまで鎌倉には帰らない。だから「18騎での出陣」が義時と泰時の今生の別れだったはずなのだが、そうすると義時政権から泰時政権へのバトンタッチがうまく描けないと言う事情があったのだろう。

実際のところ、史実の18騎での出陣が別れの場面になるのはエモいと思うし、他にもエモく描けばいくらでも描けるエピソードはたくさんあるのに、それを捨てて史実に反する再会を選んだわけだ。エモくなるのを事実を捨ててまで選ばなかったのは義時の最期を描くためにはむしろ余計なことになる、と三谷さんが考えたからだろう。並の脚本、並のドラマではないということなのだと思う。

他にも語りたいことはたくさんある気がするが、蛇足のような気もするし、また思い出して書くこともあるだろう。歴史ドラマであるだけでなく人間ドラマとしての傑作だったと思う。最後の一言、関係者の皆様には

「1年間お疲れ様でした。ありがとうございました!」

と言いたい。ありがとうございました。


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