日本独自の保守主義について考えてみた

Posted at 22/11/06

11月6日(日)晴れ

ここのところ7時ごろまではなんとなく曇っていて8時くらいになるとカラッと腫れてくるということが多い。明日は立冬なのでもう秋も終わりということだけど、空気中の水分はまだ結構あるということなのだろうな。当地は中央高地気候だがその中でも太平洋寄りの性格が強いので雪はそんなに降らないが冷え込みは結構厳しい。ただ最近はそれも不順になってきて、これが温暖化の影響なのかどうかはわからないがどういう冬になるのか予測が難しいなと思う。

今自分が書きたいテーマはいくつかあるのだが、その中でも一番読んでもらえそうなものはどれかなあと考えていたのだけど、保守主義をテーマにしたものかなと思ったりはする。保守というのはある意味急進派、ラディカリズムに対するアンチなので、理論書的なものでも実際の急進化現象に対する批判という形をとることが多い。エドマンド・バークの主著も「フランス革命についての省察」であり、革命のラディカリズムを批判している。

基本的に保守主義というのは理性よりも伝統を重視する、信用のおけるものと考える思想なわけだが、逆に理性や直感のみで突っ走るのが現代のウォーキズムということになるだろう。だから現代の保守の思想においてはウォーキズム批判はかなり重要な論点だと思うが、日本でも環境主義やリベラリズム、フェミニズム。LGBT運動家などウォーキズムあるいはウォークとして括ることが可能な人々は多い。1968年前後の過激派は暴力的な手段=テロリズムに訴える手法が多かったが、現代のウォークの手法はメディアや教育機関、行政組織などを使ってその思想の浸透を図る手法が一般的になってきていて、「反暴力」という大義名分が使えないだけに対処の仕方も困難になっている面はあるように思う。

保守の問題関心を語るにはそうした現代の諸現象に対する考え方やそれに対する対処の方法の提案ということもあるけれども、保守の思想自体の説得力というものをもっと高めていく必要があるのではないかと感じている。保守はラディカルと違って理論のみによって組み立てられている思想ではないので、その意味で言葉や論理によって説得するというだけでは済まないものがあり、また訴えるべきところがあまり感情的なものになってしまうと「お気持ち」主義に偏する傾向が強くなっている左翼思想と感情的な衝突になってしまう傾向があるので、なるべく理性的な組み立てで語る必要はあるのだろうと思う。

そして日本の保守思想の難しい点は、日本の歴史の中からそれを組み立てることの困難さということもあるように思う。バークの保守主義はイギリスの名誉革命体制を「伝統の再発見」という形で支持しフランス革命のような合理主義的急進主義・設計主義の手法を批判したところにある。

日本は鎖国という体制から近代思想や国家制度を摂取し、そこで日本らしい思想・日本らしいシステムを作るために悪戦苦闘してきているわけだけど、明治憲法体制が否定され、昭和憲法体制に置き換わったときに、ニューディーラー的な価値観が大幅に導入されていてそれと山縣有朋的な官僚制が同居している状態になっている。思想においても恒久平和の思想など様々な戦前以来の思想が受け継がれている面もあることはあるが、「日本独自の保守思想」として柱にできるものが皇国史観的なものしかないと現代に生きる保守思想としては苦しいところがあるように思う。また、家族主義的な価値観は欧米の宗教保守派にもあるけれども、日本ではどちらかというと新宗教系にそうした思想が強く、宗教性とは一応は独立した形での保守主義の構築というものの難しさもある。

一方で、保守政党であるはずの自民党においても、国家は国民共同体であるという伝統的な価値観が薄れ、新自由主義的な弱肉強食の思想が強まっていることも問題だと思う。また、会社が一つの共同体であるという思想の崩壊は個人主義化を進めた面もあるが、結局は正社員=社内エリートと非正規雇用=社内プロレタリアートの階級格差を生むことにつながり、必ずしも良い面ばかりではなかっただろうと思う。

儒教の思想に依拠することも難しいのは、現代中国において儒教に依拠した新儒教主義的な中国大国主義が強まっているということもある。仏教も儒教も外来思想であり、儒教は本来中華帝国の思想であるから日本の保守主義は少なくとも全面的にそれに依拠すべきではないだろう。だからと言って神道は現代日本人の思想的支柱としては宗教性が強すぎる面もあり、これもまたそれだけに依拠することは難しい。

その辺りで自分の保守思想構築構想については行き詰まっていた感じがあったのだが、最近読んだ「天下の大勢の政治思想史」によって、頼山陽の思想がその柱になり得るのではないかという希望を感じている。頼山陽は一般に考えられているように大義名分的な思想、皇室中心主義的な思想が強いことは確かなのだが、それだけではなく世界を儒教特に朱子学が主張するような「理の世界」で捉えるのではなく、「勢」で捉えるという視点を著者の濱野さんは強調されていて、そうしたダイナミックな世界の捉え方が一つの新しい日本の保守思想の柱になり得るのではないかと感じている。

現代のロシアは宗教保守派の一つの拠点でもあり、プーチン政権自体がある種の保守的な妄想によってウクライナ侵略を始めたことは大きな問題であるのだが、そうした世界の思想潮流はそれはそれとして批判的に捉えつつ、ウォークにもロシアにも中国にも負けない、また世界にも共感可能なような新しい思想が作られていくと良いと思うし、考えていきたいと思う。


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