イーロン・マスクの怒り/マンガ雑誌のウェブ化/「職業としての弁護士および弁護士団体の歴史」を読んでいる
Posted at 22/11/05 PermaLink» Tweet
11月5日(土)晴れ
今日は資源ごみの日(文化の日が祝日だったので土曜日に振り替えられた)なので朝から古い雑誌の整理をしていたりしていたらどうも変な集中が入ってしまっている。
体力を使う作業は勢いが必要なのだけど、勢いをつけて仕事を片付けるとその前後に変な盛り上がりが生じてなんとなく余計なことをしてしまうところがあるなあと思う。こういう時にTwitterを見ると変な方向にハマるので、よくないなと思いながらつい読んでしまった。今日も今日とて色々なことが起こっているが、一番印象に残ったのはTwitterの社主になったイーロン・マスク氏が社内の左派活動家に対して怒りを爆発させていたことだろうか。今後どういう取り組みになっていくのかはわからないが、良い方向に変わると良いなと思う。
https://twitter.com/elonmusk/status/1588538640401018880
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雑誌を整理していたらモーニングtwoが紙ではもう発行されずWebに移行するということを知り、軽いショックを受ける。この雑誌は毎回読んでいたわけではないのだが、最近田島列島さんの新作「みちかとまり」が始まり、モーニングから移籍した諸星大二郎「西遊妖猿伝」と染谷みのる「刷ったもんだ!」が連載されていて、休載中ではあるが花村ヤソさんの「アニメタ!」も掲載誌だったから、時々は買っていた。というかここ2号は続けて買っていたので発売日はいつだっけ、と思って調べて休刊を知ったので衝撃を受けた、ということなのだな。なくなるわけではないとはいえアプリ化したわけでもなく今のところ少し読みにくい感じがしていてどうかなあと思っている。
最近、ジャンプ+もアプリのアップデートに伴い私が使っている初代iPadAirでは読めなくなったのでiPhoneの小画面で読んでてややストレスではあるのだが、マンガのウェブ化というのもそれに伴う様々な問題も生じるのでなるべくユニバーサルなサービス(特に古い機器でも使えるように)を選択してもらいたいなと思う。
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以前何の気なしにキンドルでDLした「職業としての弁護士および弁護士団体の歴史」なのだが、割と面白い。幕末維新の時期からの司法制度の歴史ということではあるのだが、中でも代言人=弁護士という職業に焦点を当てて書いている。弁護士というと社会的地位は高いし権威はあるけれどもなんとなくとっつきにくい人たち、という印象があるけれども、そういう印象の由来なども含めて考えてみる材料になりそうだ。
明治5年に「司法職務定制」が制定され、訴訟代理人としての代言人(avocatフランス語で弁護士)の制度が導入されたのだが、このときの代言人は資格が必要のない職業だった。従って、何らの職業的権利も保障されていなかったということになる。この辺り、明治初期の司法制度については、かなり前になるが松本にある「松本歴史の里日本司法博物館」を見学した時に少し全体的な印象を得てはいたのだが、日本の弁護士制度はある種徒手空拳のところから始まったのだなと改めて思った。
https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/silkwave/silkmuseum/NMSihou/sihou.htm
江戸時代は訴訟において代理制度は認められなかったのだが、訴訟当事者を補佐する者として「公事師」が認められていたのだという。司法制度は明治になって不平等条約改正のための「近代化」を示すものとして必要だと考えられていて急速に整備はされていたものの実態は江戸時代を引きずっていた、ということなのらしい。結局この公事師が代言人になって営業を続けたというのはなるほどと思った。しかし誰でも出来たから訴訟を担当する競争が激しくなり、報酬も安くなってしまって、青銭300文で引き受けるようになり、「三百代言」の蔑称が生まれたのだという。
青銭というのは真鍮の寛永通宝四文銭のことでこれが75枚で300文になる。これは円銭厘の新しい明治の通貨制度では一枚が2厘となったので150厘=15銭ということになる。当時の換算は1円=1両だったから、1円が現代の価値で4万円と考えると訴訟を引き受けるのに現代の価値で6千円ほどで請け負っていた計算になるわけだ。現代で言えば弁護士の「相談料」レベルの金額で訴訟を請け負っていたことになる。
江戸時代の公事師というのは基本的に訴訟のために白洲のある場所にやって来た人たちを宿泊させる「公事宿」の経営者であったという。この公事宿は江戸では馬喰町(いまは問屋街だ)に多かったらしく、「馬喰町人の喧嘩で蔵を建て」という川柳があって、公事師の中にはいたずらに訴訟を長引かせて巨利を博するものもいたという。現代ではそういうことはないと思うが。(思うが。)
つまり、公事師というものの社会的地位はそんなに高いものではなかったということは言えるようだ。その地位の印象が代言人には引き継がれたわけで、それはひょっとしたら現代の弁護士の印象にも受け継がれている面もあるのかもしれないとも思ったりする。
代言人は明治9年に免許制になり、この制度は明治26年に弁護士法が制定されるまで続いたという。ただこの時には代言人は法律そのものの当否を論ずることはできず、国法や官吏を批判したら裁判官に譴責・停業・除名されるというものだったという。
しかし明治6年の第一回の代言人免許試験では東京府で30名、神奈川県では0という受験者数で、出題者側も法律に詳しくなく適当な出題だったためにちゃんと法律を学んで来た受験生側が怒りだして試験は中止になったという。現代で言えば司法試験にあたるこうした試験でこの状態というのは、今では考えられないことあろう。
つまり現代と違い、明治初期は弁護士=代言人の地位はかなり低かったということだ。官吏だとか教師だとかは基本的に官の側、公の側であるから最初から権威を付与されていたわけだけど、代言人=弁護士は官と民の間にあり、しかも訴訟という紛争に関わる職業だから自ずとの権威はなかったということなのだろう。
現代の弁護士がなぜ権威を持っているかというと、民事においては依頼者の権利の守護者であり刑事においては依頼者の人権の守護者であると同時に時に国家とすら対抗する正義の追求者でもあるというところにあるのだろうと思う。そういう立場が成り立つためには、法の支配と人権の聖化に基礎づけられなければならないわけで、その両者が確立していなければ、権威の基礎が弱いということになるのだろう。
明治9年に免許制になった後、第1回の代言人試験の合格者は全国で34人に留まったため、実際には明治6年規則による代人として無資格者が司法機能を補充することになった。これは今で言えば非弁行為ということになるが、逆に言えば非弁(無資格者が法律行為や代理人行為をする)問題の淵源はこのときにまで遡るということなのだろう。弁護士は常に数が不足していたし、弁護士に頼む時の「敷居の高さ」というのもまた、逆に言えば非弁的に働いてくれる人が実際には多くいたということなのかもしれない。
面白かったのは、星亨がイギリスに留学してバリスター(法廷弁護士:イギリスには法廷弁護士と事務弁護士の職務分担がある)の資格を取って帰国し、そういう質の低い代言人と同じ扱いをされることを嫌って、政府に交渉して司法省付属代言人制を作らせて月100円の月給を得て、政府の事件も民間の事件も引き受ける、という他の代言人から隔絶した特権的な地位についた、ということだ。
星個人のためにこういう制度が作られたということ自体、日本の司法制度、初期は結構無茶苦茶だなと思うし、星亨という人が司法史において実に特別な位置にあったということが初めて分かった。付属代言人には後に目賀田種太郎・相馬永胤の二人がつくが彼らは無給で、この制度自体が明治14年には廃止されている。
星という人物は横浜領事をしていたときにイギリスと女王の呼称問題で揉めたこととか、自由党の政治家として活動しその風貌と押しの強さで「押し通る」と言われたということは知っていたが、そうした星のような大物が代言人として活動したことで代言人というものの地位は高まったというのはなるほどと思った。しかし他の代言人からは当然ながら不快に思われて、代言人組合(今の弁護士会)ができても会長に選出されたことは一度もなかったという。司法省付属代言人制が出来た時の司法卿は大木喬任だが、星は彼に交渉してこの制度を実現させたのだろうか。
明治13年代言人規則によって代言人は組合への所属を義務付けられた(先に述べたように弁護士会の起源)が、この組合は「検事」の監督下に置かれたのだという。それだけ代言人というものが信用がなかったということなのだろう。
今まで述べたことは主に民事事件についてだが、刑事裁判については明治15年の治罪法制定まで刑事弁護制度自体が認められていなかったのだという。これはびっくりだが、確かに司法博物館でもそういう展示を見たことがあった記憶がある。明治9年に外国人と八百屋が喧嘩になり、八百屋が重傷を負ったのに外国人側の代言人に告訴されるという事件が起こり、外国人関係の事件に限って代言人を用いることを認めたということもあったらしいのだが。
それにしても明治期における代言人=弁護士の地位の低さは驚くべきだなと思う。廷吏からは呼び捨て、関係者控室は用意されず、裁判所への出入りにも裁判官の許可が必要だったといい、弁護士の独立性などは考慮されていなかったわけだ。
こうした代言人=弁護士の待遇改善と司法制度が近代化していくことは、自由民権運動と深いかかわりがあったというのもへえっと思ったのだが言われてみればなるほどと思う。
今更ながら、司法制度というものは民主主義や自由というものと深い関わりがあるのだと改めて思ったのだが、今の左翼やリベラル、ウォーキズムの運動家には、そういう長い間の積み上げそのものを破壊する意図を感じることが時々あり、もう少し彼らも歴史を勉強したほうがいいと思ったのだった。
読みかけなのでまた続きは改めて感想を書こうと思う。
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