韓国の群衆雪崩事故と日本の事例と対策/朝起きた時に寂しい気持ちになるのは何故か/ロシアのウクライナ侵攻の「新しさ」

Posted at 22/11/01

11月1日(火)雨

昨夜は疲れていたこともあって早く眠ることにし、8時20分くらいには寝て起きたら4時20分だったので8時間寝たことになる。とは言っても途中で何度か起きているしお手洗いにも行っているのでフルで8時間ぐっすりということではないけれども、最近にしてはよく眠れたし起きて頭がスッキリしていると感じたのはかなり久しぶりだ。

精神的な調子と身体的な調子の両方でなかなかゆっくり眠れないというのがあるので、本当なら5時間くらいでもぐっすり眠れれば頭もスッキリして大丈夫なはずなのだが、なかなかそうはいかないので時々このようにイベント的に早く休んで長時間寝てみるのだが、場合によっては3時間で目が覚めてずっと布団の中で悶々とする時もあり、それなら本当に眠くなるまで体を使ったほうがよかったなとなる時もあるので、なかなか思うようにはいかない。

最近起きた時の物音とかが気になることが多いので聴覚過敏傾向だなと思っていたのだが、実際に気になるのはそんなに大きな音ではないので、聞こえてもそれがマイナスのイメージと結びつかなければいいのだが、どうも変にマイナスな感じにイメージしてしまって(この嫌な音の原因はなんなんだ、これがいつまでも止まらなかったらどうしよう・・・みたいな感じ)眠れなくなったりするわけだけど、最近Twitterか何かで「プールの後の寂しい気持ち」みたいな話を読んで、なるほどと思った。

「プールの後に寂しい気持ち」になるのは血中酸素濃度が下がるからだ、というこれは専門家の話ではないからどこまで本当かはともかく、水泳の後もそうだが体が休まっていない睡眠時などは呼吸が浅くなったり減ったりしがちで血中酸素濃度が下がっている、という指摘があり、これは自分なりになるほどなあと思った。いずれにしても、寝て起きた時には頭がスッキリと気持ちよく目覚めるのが当たり前、みたいなイメージがあるから起きた時に寂しい気持ちというかネガティブな気持ちになるのはどういうことなんだ、という感じがあったので、そのように説明されるとなるほどと思うし、またそういう人は自分だけではないのだなと思えば安心感もある、ということは思った。いずれにしてもぐっすり眠ることは大事だとは思ったのだけど。

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韓国ソウルの繁華街、梨泰院でハロウィン前に150人以上が亡くなる群衆雪崩事故が起こったということで、メディアでもさまざまにその時の状況や原因について語られていて、特に昨日にハロウィン当日を迎えた日本でも渋谷を中心に警戒が強まった。

ただ、こういうことはハロウィンのような催し物だけではなく、また渋谷や梨泰院のような都会の繁華街だけで起こることではない。日本の地方としてこのようなことが一番起こりやすいのは、普段はあまり人がいない、歩き慣れない場所で夜間に極端に大勢の人々が集まる催し物、つまり花火大会だ。

日本で群衆雪崩の一番典型的な例が起こったのは2001年7月の明石市の花火大会の際に歩道橋で起こった事故で、これはいまだに記憶が新しい(考えてみたらこれは911同時多発テロの直前だったのだ)が、この時は11人が亡くなり183人が負傷している。

今年の日本でも京都府亀岡市でこういうことがあったという記事を読んだ。

https://www.j-cast.com/2022/08/12443705.html

この時は警備側の尽力で大きな事故には繋がらず、大変良かったのだが、ある意味強引な警備に対する批判はあったようだ。当然ながら明石の事故以来、日本ではそういうことに関しては警備側の意識は徹底しているのだろうなと思う。

この保津川の件に関しても花火大会である。花火大会は私の地元でもコロナ前は戦没者追悼の意味を込めて湖で8月15日に開催されていたが、毎年40万人ほどの人出があり、小さな都市にとってはキャパシティを超えているのではないかと思うことが多かった。

湖岸への道が雑踏になるのはもちろん、周辺の道路は深夜まで渋滞する。数年前に開催中に豪雨に見舞われた時には中止になった後、観衆がずぶ濡れになったまま駅まで歩き、豪雨で電車も止まってしまったために深夜の3時ごろでも難民のような人たちが改札口近くで座り込んでいる状態だった。

渋谷や梨泰院のような場所は普段から雑踏なので来る人たちもある程度は慣れているのではないかとは思うがこのようなことが起こってしまったわけで、地方の花火大会などだと指示に従わず勝手に進んで事故寸前の事態になることも今までもあったのではないかと思う。

「狭い場所に人が集中する」という現象が日本で起こるのは花火大会やハロウイン、あるいはコミケのような行事の時だけでなく、地震その他によって鉄道の運行が止まってしまったような時にはよく起こっている。昔はホームに人が溢れて危険、というようなことがよく起こっていたが、最近では駅自体に入場制限をするなどキャパシティを超えて人が集中しないような工夫がとられるようになってきている。

コミケなどではこのような措置は徹底しているわけだが、このような行事の時も、入場制限や群衆の進行状況などに応じた進入を制限する措置を取るべきだと思うし、それだけ警備の人数も必要だということになるだろう。保津川の例を見ると花火を見に来る人たちにそういう心構え自体がないことも多いのだろうなとは思うが、事前にその辺りもテレビ広告などや駅前でビラを配るなどして、徹底するようにしたほうがいいのではないかと思った。

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202210/0015765372.shtml

このような事故が起こるのはその国の文化という部分もなくはないが、ある種の物理現象であるという点においては世界共通のことであるから、こうした警備技術の国際的な普及みたいなことも行われていくと良いだろうなと思った。

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ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が続いている。クリミアなど南部戦線においてロシアにもある種の焦りが生じているのか、ロシア・ウクライナ・国連・トルコの四者で合意していたオデッサなどの港からの穀物輸出についての合意を一方的に停止すると宣言し、実際にタグボートが攻撃されるなどの事態に進んでいるようだ。

ロシアは穀物輸出の民間戦から黒海艦隊が攻撃された主張しているというが、はっきりとした証拠はないようで、ウクライナの経済だけでなく世界の食糧事情においても重要な輸出について取引材料にするのは正しくないだろう。

ウクライナ侵攻が勃発したのは2月24日で、もう8ヶ月以上ウクライナは戦い続けているわけだが、緒戦で南部・東南部ではかなりロシアの侵攻を許したものの、首都キエフ周辺や東部ハリコフ周辺などではロシア軍を押し返すことに成功し、当初の諸国の予想をはるかに超えた善戦をウクライナは続けている。

まだまだ今後の展開はわからないけれども、ウクライナが善戦しているのはアメリカをはじめとした西側諸国がさまざまな軍事支援を行い、またロシアに制裁をかけているということが大きいことは確かだ。

こうした独裁国家・権威主義国家からの「民主主義国家」への攻撃に対し、西側諸国が結束して援助しながら直接の攻撃はしない、というような事態が今までの歴史上あったかと考えてみたのだが、おそらく初めてのことだろう。

それは、世界に核状況が生まれる前は、ある国が大国に攻撃を受けて、世界がその国を援助しようと思ったら、基本的に参戦して大国を攻撃することが可能だったからで、例えばクリミア戦争の時はトルコの側に立ってイギリス・フランス・サルデーニャが参戦している。

第二次世界大戦前のスペイン内戦でもドイツ軍がゲルニカを空爆するなどファシズム国家間の国際協力みたいなものがあった。

義勇兵という点で古くはアメリカ独立戦争の際にラファイエットが戦い、ギリシャ独立戦争にバイロンが参戦し、スペイン内戦でヘミングウェイが参加したことは知られているが、今回のウクライナでもロバート・ケネディの孫が義勇兵として参加するなど、ある種の伝統が続いているのだが、国家としてはアメリカもヨーロッパ諸国も参戦は手控えている。

それはバイデン大統領の発言にあるように、核兵器と大陸間弾道弾を多数所持した大国が引き起こした戦争に核大国が正面から参戦したら第三次世界大戦になる、というおそれがあるからで、アメリカも北大西洋条約機構軍も直接には参戦していないし、武器の供与も例えばモスクワも射程に収めるようなものは供与されていない。ロシアの側としてはウクライナの戦いはアメリカの代理戦争だと公言して非難を強めているが、だからと言って直接的に米軍基地などの攻撃には踏み切っていないわけで、ある意味での「限定戦争」の一線は一応のところ守っている。

ロシアの戦争目的は最終的にはウクライナの併合ということになるだろうが、ウクライナも国家の存亡がかかっているから譲歩するわけにいかないし、ウクライナのような人口も面積も大きく農業生産的にも重要であるような国が滅ぼされ併合されるようなことがあれば現代の国際秩序の根幹が揺るぐわけで、アメリカとしても譲歩するわけにはいかない。

だからこのような形の「奇妙な戦争」になっているわけだ。こうした新しいタイプの戦争については解決のための処方箋はいまだに書かれていない。国際秩序を従来のものとして保つことができるのか、それが崩壊し雪崩のように強国による周辺諸国への侵略が常態化するのか、というような状況にあるだろうし、最も懸念されるのは台湾情勢への飛び火であり、ロシアの動きに連動して中国が動くか否かが懸念されているのだけれども、とりあえずこれは「全く新しい事態」であるということを自分の中で確認しておく必要があると思ったので書いてみた。もちろん今までの事例は検討しておくべきだが、核大国で国連安保理常任理事国が侵略に走るという事態を既存の組織は想定していなかったことは確かだ。

類似の事例としてはアメリカによるテロとの戦争、アフガニスタンとイラクでの戦争が類似している点がなくはないのだけど、これはもともとがテロリストによるアメリカ中枢の攻撃ということから始まっているので、ウクライナにおける戦争とは同列には語れないところがある。ただ、イラクに関しては正当性に疑問があるところもあるから、比較可能なところはなくはないかもしれない。

アメリカがイラクを攻撃する正当性の根拠としてフセイン政権が独裁政権であったという主張はあると思われるから、ロシアがウクライナを攻撃する正当性の根拠としてゼレンスキー政権が「ネオナチ」であるという主張があった、というような正当化のロジックがあったのだろう。

ただ、全体的にみてこうしたロシアの正当化のロジックが相当杜撰であることは否めず、ロシアを支持する多くの学者を含めた人たちはロシアのロジックに概ね賛成しているわけだが、そうなるとその杜撰さが彼らの今までの仕事を疑問視することにもつながってしまっていて、かなり残念なことになっている。

現在進行中の戦争を語るのは難しいというか、要はロシアがなりふり構わず力でウクライナを押さえつけようとしてうまくいってないというだけのことがいろいろな現象面から語るといろいろな要素が出てきているだけ、とも言えるのだけど、議論も戦争もそうした各局面で争われるので仕方のないことではあるのだが、私としての結論としては結局はロシアが1日も早く撤退し平和を回復してほしいとしか言いようがないので、やはり進行中の戦争を語るのは難しいということになる。

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