「綺麗にしてもらえますか。」9巻/「頼山陽の思想」/Twitterの特性:簡潔性とハブ機能/オールド左翼とwokeは別物/ウィズコロナと集団免疫

Posted at 22/11/26

11月26日(土)晴れたり雨が降ったり

昨日は母の薬の処方箋を取りに病院に行って、それを差し入れと一緒に母の入っている施設に届けたり、市の保健センターにコロナワクチン4回目の接種の住所地外の手続きに行って予約も取ってきたり、朝アフタヌーンとスペリオールを買い、昼前にビッグガンガンと「綺麗にしてもらえますか。」の9巻を買いに行ったりした。

「綺麗にしてもらえますか。」は記憶喪失の熱海のクリーニング屋さんの金目さんの話なのだが、作者さんの熱海愛が溢れていて、熱海の土砂災害の時にはつい同じ温泉地に住んでいるものとして義捐金を送ったりすることになったので微妙に影響を受けている。そういう意味でも個人的にも印象に残る作品。クリーニングの技術を描写したところなどとても面白いのだけど、金目さんをめぐる人間模様もさまざまな行事を挟みつつ緩やかに進行していて、その辺りも好きな作品。ヤングガンガンの連載なのだが、次の10巻で終わるということらしい。少し残念だが、この作品に関しては単行本派なので、名残を惜しみつつ次の巻が出るのを楽しみにしたいと思う。

「頼山陽の思想」今日が返却期限なのだがまだ147/333しか読んでいないのでこれは買おうと思う。先日丸善丸の内本店で見た時には在庫があったので、購入して続きをしっかり読みたい。なかなか腰を落ち着けて読む時間がないのが残念なのだが、自分が今後考えていくことにとっても必要なものだと思うようになったので、きちんと手元に置いて読むことにしようと思う。

それにしても、返却期限のある図書館の本を読むのは、短い時間の中で読むべきものを読み取ろうとすることに意味があるなと思った。借りてみて「これはちょっと今読むのは無理だな」と感じてすぐ返すものもあり、期間内にきっちり読み終えるといういわば当たり前のことが最近はなかなかなくなってきた。若い頃はとにかく最後まで読む、という感じで読み切りはするのだが後で何を買いてあったかちゃんと覚えていない、みたいなことも結構あったのだけど、最近は今自分が読む意味をはっきりと感じていないとちゃんと読めないことが多い。その分昔より深く読んでいるつもりではあるのだが。いずれにしてもその時に読める範囲で読むしかないのだけど。

***

Twitterに関して。Twitter社の動きとしては、イーロン・マスク氏が買収及び経営に乗り出したことで大幅なリストラが行われ、今まで政治的に、特に左派・wokeに有利になるように動いていた部分が大幅にカットされ、よりニュートラルな運営がなされるようになって歓迎の声が上がっている。左派メディア(といってもオールド左翼ではなくフェミニズムやラジカルリベラルのwoke系)の人々は大幅に既得権益を奪われたことで憤懣やる方なく、またそれらを支持する人たちは「Twitterは終わった」などといってマストドンに移ってそこでも騒ぎを起こしている、というようなドタバタが続いているので、Twitter騒動は未だ現在進行中ということだろう。

SNSというのはそれぞれに特性がある訳だが、Twitterの特性として「趣味人が交流し繋がりながら蛸壺化できる」というこちらのnoteの指摘が面白いなと思った。

https://note.com/mogura2001/n/n9cd65cd13624

Twitterは同好の士も見つけやすいし、一旦火がつくと全体にパッと広がるという特性を持っていて、これは「古き良きインターネット」の「いい面」が受け継がれていると言えるのではないかと思った。Twitterは言葉も映像も画像も取り扱えるけれども基本は140字の文字メディアであって、その「簡潔性」が重要なのだと思った。それゆえにTwitterは内部から外部のメディアに繋げるものとして機能していると言う指摘はその通りで、いわば空港と同じように「ハブ」の役割をしている、乗り継ぎ場所として機能していると言うことなのだろうなと思う。

Twitterは完全に閉じたSNSに比べるとノイズが入ってきやすいと言う面でストレスがあり、しかしだからこそ新しいことを知る手がかりが掴みやすいと言う指摘もその通りだと思う。私も変な話だけど訃報に関してはTwitterで知ることがほとんどになってきていて、こう言う短いニュースの伝達性の速さに関しては本当に右に出るメディアはないのではないかと思う。

そのほかなるほどと思ったのは

「昨年の衆議院選挙の野党共闘の大失敗から、ロシア連邦軍によるウクライナ侵攻、安倍晋三元総理の暗殺、今年の参議院選挙の大敗まで、何と言うか左派が一気に退潮をすることが連続しています。これに立憲民主党のCLP問題やブルージャパン疑惑、本多議員の追放なども加わり、信頼度が一気に崩壊しつつあるように思います。仁藤夢乃代表の疑惑も、加えていいでしょう。その止めとして、Twitter改革があるような。」

という指摘だ。あまり意識はしていないけれども、確かに、「左派の退潮」という傾向はあるだろうと思う。ただ、左翼と右派保守派の対立構図での動きというのは少し単純化しすぎであるような気がする。というのは、ソ連を支持してきたようなオールド左翼と、現在主流のフェミニズムやエコロジスト、ポリコレリベラリストのようないわゆるwoke左翼とは、重なる部分もないわけではないし同じ穴のムジナと言える面もなくはないが、私には本質的に似て非なるもの、相容れないものであるように感じるところがあるからだ。

「woke対アンチwokeの対立」という面では、より良心的でより穏健な左翼傾向の人も、行き過ぎではないかと懸念を示したりしているし、それに対して右翼だの反動だのアップデートだのなんだのと御託が飛んでくるのが現状というところがある。彼らは大変戦闘的で、その意味ではいわゆる新左翼(ブント・中核派など)の流れを汲んでいるのかなと感じるところがあるし、そのような指摘も散見される。

またロシアの侵略に関してはソ連に期待を持っていたオールド左翼の人たちやロシアスクールの政治家や外交官がプーチンへの期待を捨てきれずに現状からズレたことを言っていて、もう少し現状を見た方がいいと思うのだが、近年の世界の構図の変化は本当に激しくて、ついていけなくても無理はないと感じるところもある。

ただ、私はそれぞれの事象に対するスタンスを割としっかり目に決めているので、彼らの論理は彼らの論理として理解し、一歩引いて客観的にみていく必要もあるだろうとは思う。ただ行動する時には行動しないといけないし、自分自身が動かなくても支持の姿勢は保ちたいということはあるから、客観的に見ればいいというものでもないということもある。「立場」がある以上「本当の客観性」はないとも言えるし、「本当に客観的」な立場に立とうとすると達成すべきものが達成されないということもあり得るから、その辺りは考えていかなければならない。終わってから総括するなら反省もできるからいいのだけど、ウクライナ侵略に関してもその他のこともまだ終わりが見えないのでなかなか難しい。

「ウクライナと政府の対コロナ政策は一応支持、wokeには強く反対」というのが自分のポジションだけど「ウクライナを支持し、フェミニズムも強く支持」という人たちももちろんいるわけで、まあこの辺りは事象ごとに判断するしかないのだが、その辺について自分とスタンスが同じところも異なるところもある人に対してどういうふうに接していくかというのは、まあいろいろあるよなという感じではある。

***

ところで、現在中国や日本など比較的コロナ対策がうまくいっていたと思われたところで流行が残り、インドやアメリカ・ヨーロッパなどで感染がほぼストップしている(ように見える)というのは、集団免疫ができているかどうかだ、ということをテレビで専門家が言っていたが、何十万何百万の規模で死者を出した国では集団免疫ができているということなのかなと思う。日本は犠牲を小出しにして抑えてきているからまだダラダラと感染が続いているということだろうか。中国に至ってはゼロコロナを今でも続けているから全く集団免疫が成立していないということになるのだろうか。

つまり「ウィズコロナ政策」というのは言い換えれば目指すところは「集団免疫政策」なのだなと今更ながら認識する。変なカタカナ語を使わないで集団免疫といえばそうかなるほどと思ったのにな、と思った。

ただこれは今ネットで調べても必ずしもそのようには書いていないので、そういう認識が正しいのかどうかは自信がない。現在の集団免疫状況がどれくらいなのかというのも発表してもらえればいいと思うが、変異株のこともあってあまり正確なことは言えないのが現状なのかなとも思う。現代医学にとってもまだ感染症というものは克服されていないのだなと改めて思う。

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