「生きて暮らして死ぬこと」と「酒を飲みたい、金が欲しい、モテたい」

Posted at 22/10/29

10月29日(土)晴れ

今日はよく晴れている。朝のうちにブログを書こうと思っていたのだけどいろいろなことを考えたり調べたりしているうちにだんだんだれてきて、書くのが遅くなった。

昨日は読みかけの本をかなり読み進められたので今朝はそれを書くつもりだったのだが、少し熱量が足りないので明日書ければ書こうと思う。

朝ドラ(朝のドライブ)に出かけて国道を走らせ、給油して山の方に登って塩パンを買って帰ったが、南の山並みがピンクに色づいていて綺麗だった。

いや、頭が本当に働かないな。「2.5次元の誘惑」の更新を読んだり「君の名は。」の批評を読んだりして、面白かったのだがそれについて書くというところまで心も頭も動いてない。

https://shonenjumpplus.com/episode/316190246913848550#

https://twitter.com/bunshun_online/status/1585738847559643137

ただ、両方とも良かったのでリンクは張っておきます。

***

https://twitter.com/tsugeju/status/1585646624163868672

そういえばツイッターで人生において現実は「生きて暮らして死ぬこと」だけで、それ以外は全てフィクションだ、という山本直樹さんの意見を読んだのだけど、まあこれはある種の唯物論で、つまりはその部分だけが人生の下部構造で、そのほかの部分は上部構造のフィクションだ、みたいな感じだなと思った。

ただこの考えはこの考えとしてある種の説得力とか強さのようなものは持っていて、そう考えてみるとこの人の書いているマンガの本質性みたいなものはその辺と繋がってるんだろうなあと思ったりした。

その辺をオブラートに包むのが現今の趨勢ではあって、だからその意味での現実に根ざした熱量のようなものが作品に反映されない傾向になってるんだろうなと思う。山本さんの作品自体も昔はスピリッツでかなり過激なものが掲載されていたけど、今もあれは大手誌で掲載できるのだろうか。

https://www4.nhk.or.jp/kabukitune/x/2022-10-28/07/68953/4663441/

これは中村莟玉さんがやっているFMの「カブキ・チューン」という番組に出てきた落語作家の小佐田定雄さんの話とつながるなあと思った。小佐田さんの書く新作落語は時代性を持たないもので、どうやって作るのかといえば結局人間は「酒を飲みたい、お金が欲しい、モテたい」のみっつの欲望から逃れられないからそういうところに人間のおかしみみたいなものが出て、だから落語は無限に作れるんだ、という話をしていて、ああこれもある種の唯物論というか唯欲望論みたいなものだなと思ったのだった。

まあ昨今の表現規制の趨勢もあって小佐田さんも婉曲な言い方をしているが、「酒を飲みたい、お金が欲しい、モテたい」というのも本来は「飲む、打つ、買う」を言い換えたのだろうなと思う。ただ言い換えた方がわかりやすいというか、返って本質的な言い方に感じるように言い換えられているのが言葉の職人というか作家というものの力ではないかなと思ったのだった。

頭は動かないがとりあえず動いた範囲で書いてみた。

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