9月11日に生と死について考える/「ブラタモリ」:恐山にはあの世とこの世の境のスピリチュアルな光景が広がっていた

Posted at 22/09/11

9月11日(日)晴れ

今日はいい天気だ。昨夜は中秋の名月だったということなのだが、うっかりして月を見るのを忘れていた。お月見という習慣がないせいもあるが、曇っていて見えない年もあるのだから、晴れた年はちゃんと見たかったなとは思った。

https://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/episode/te/GGXVK22VY2/

昨夜は「ブラタモリ」で恐山を取り上げていて、とても面白かった。恐山というのは寺山修司の「田園に死す」を見て以来、どうもおどろおどろしいイメージがあって苦手な感じだったのだが、昨日映像を見てみると、確かにこの世ならぬ風景ではあるのだが、その中にも普通に観光客のような人たちが多く訪れているし多くの著書を書いておられる南直哉氏が案内役で、あの世軸ではなくこの世軸で番組を見られたのは安心した。

ただ、油断してるとすぐあの世に引っ張られそうな感覚はあり、参道の両横に湯屋が建てられていて、男湯と女湯だけでなく混浴もあり、昔は建屋さえない露天だったとかいう話とかを聞いているとこの世感がどんどん薄れていくのがアレだなと思った。実際、そこに関わっている人たちは頑張ってこの世感を出しているのだろうという気がした。

荒涼としたこの世とも思えぬ風景の元が実は今でも吹き出している火山ガス、つまり硫化水素が原因だというのはなるほどと思った。生き物が生きてはいけないが人間には影響が少ない程度の硫化水素が今でも吹き出していると。しかしパソコンも3ヶ月も経つと壊れてしまうとか、かなり怖い場所ではあるなと思った。あの風景は結局は九尾の狐の殺生石と同じ原理でできているということなのだよな。

真ん中にある湖は火山としての恐山のカルデラ湖になるわけだが、そこから流れ出している川が三途の川であり、そこが放水路になる以前はもっと水が溜まっていたので湖底だった場所が平らになり、そこが今平らな場所になっているというのはなるほどと思った。ちゃんと地質学的な理由がある。そして浄土に例えられる澄んだ湖には魚はおろかバクテリアに至るまで生き物がおらず、だから澄んでいるのだとか、かなり死生を超越した環境であることよと少し気が遠くなる感じがあった。

私はこういうスピリチュアルなというか霊気が漂うような場所には惹かれてしまうところがあるのだが、この風景はどこかで見たと思うと、パキスタンのムスタン王国とかチベットの荒涼たる高原だよなと思う。ああいう場所にはやはり霊的なものを感じてしまうわけだが、高原だからこそのあの光景が、火山ガスの影響でもたらされているというのが日本的なのだなと思った。日本は改めて火山国だなと思う。日本の土壌の一番多い黒ボク土自体が火山性の土壌であることを知った時もそう思ったが、あの世とこの世の境目のような場所がやはり火山の影響でできているのだと知ると、我々は火山に生かされた土地に住んでいるのだと改めて思う。

今日は2001年の9月11日の同時多発テロから21年の日。あの航空機がワールドトレードセンターに突っ込んだ絵を思い出す。ウクライナではハリコフ周辺でウクライナ軍が大攻勢をかけてイジュームを奪還するなど大きなニュースもある。何よりエリザベス女王の諒闇中でもある。生と死について考えさせられる日である。

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by Luke Peterson

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