「鎌倉殿の13人」第35回「苦い盃」を見た:「あなたは本当はわかっている」という言葉の苦さ
Posted at 22/09/12 PermaLink» Tweet
9月12日(月)曇り
昨夜は「鎌倉殿の13人」第35回「苦い盃」を見た。時期としては元久元年(1204)12月、坊門信清の娘(11・役名は千世)が鎌倉に到着し、実朝(12)に輿入れする時期から翌年6月の畠山重忠の乱の直前までの時期を描いている。
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/35.html
大河ドラマは一人の成長を描くときは通常子役と本役の二人態勢なので、10代の特に前半が本役を演じるのはなかなか難しいところがあるわけだけど、今回も36歳の柿澤勇人さんが12歳の実朝を演じ、23歳の加藤小夏さんが11歳の千世(西八条禅尼)を演じているので、その辺りを勘案しないと物語として実朝が年齢相応でない情けない感じに見えてしまう。泰時が子役から本役になったときは「成長著しい泰時」という字幕である種のギャグでそこを乗り切ったが、実朝はその辺りを一度確認しておかないといけないなと思った。できればこの辺りは中学生くらいの役者に演じさせると良いと思うのだが、三役制というのは子役・青年期・老年期という感じの朝ドラの「おしん」などではあったけれども、27歳で亡くなる実朝にそれは難しかったのだろうなと思う。
テーマは実朝に代替わりして初期の北条時政の執権の時期に、父の専横ぶりに苦々しい思いを持っている義時の葛藤のようなものを、畠山重忠に「あなたは本当はわかっている」と指摘されるところが中心になっていると言っていいだろう。一方で、周りのお膳立て通りに話が運び、特にまだ自分はそのつもりもないのに結婚させられることに悩む実朝が、和田義盛邸であった謎の「歩き巫女(大竹しのぶ)」に「お前の悩みはお前一人だけの悩みではない」と諭され、こころが晴れる場面が良かった。これは恐らくは実朝が和歌を詠む際に、自分だけの思いを詠むのではなく、過去も未来も含めた多くの人の思いとして詠むような、そういう話につながっていくのではないかと思った。
伊賀の方(のえ)の本性を知り、父義時の女性を見る目のなさにヤキモキする泰時だが、和田義盛邸で巫女に「双六が苦手だろう」と言われて「やるだけで苦しくなる」と答えるのは、タイムラインを読んでいて気づいたが双六をしていて梶原景時に騙し討ちされた「上総介広常の生まれ変わり」という深読みファンの見方を裏付けているわけで、泰時が生まれた時に「ぶえいぶえい」と泣いていたことを考えれば、これはもう確かにそういうことだと考えるべきだろう。となると、のえの本性がわからない義時にヤキモキする泰時という図も、泰時の一本気な性格からそうなっているというだけでなくまた別の側面から見られるわけでこの重層性をどの程度表に出して物語が作られていくのかという関心も出てくるわけだ。
実朝が泰時と鶴丸を連れてお忍びで和田義盛邸に行くというのはもちろんフィクションなのだけど、フィクションであるだけにさまざまな伏線が仕込まれていたなと思う。最大の伏線はもちろん実朝に対して歩き巫女が「雪の日に外出するな」というものだったが、和田義盛が「息子たちは大きくなってうちに寄り付かない」というのも息子たちに押されて渋々反乱を起こすことになるのだろうなと今後が予想される。
そういう意味でのフィクションであるだけに抜かりのない伏線の運びはあったけれども、やはり和田邸での実朝の羽の伸ばし方は暗い展開の多い最近のこの作品の中では救いになる部分ではあるなと思った。実朝がいなくなって大騒ぎになっている御所の中で、和田邸に一度同行したことがある八田知家が見つけにくる展開はまあ自然ではあったが、畠山討伐の兵を動かす将軍の命令書に、真子たちよりも先に実朝のところに参上した時政が中身を隠して花押を書かせるという展開はよくできているなと思った。12歳の少年がこの状況で執権の祖父を信用してしまうのは仕方のないことだろうけど、逆にそれが実朝の時政に対する不信感を持つようになり、それが牧氏の乱への伏線になっていると考えられるわけで、これもよくできているなと思った。
今までメインのストーリーに触れていなかったが、要は宮中と平賀朝雅の陰謀により京で毒殺された時政とりくの愛児・政範の死をめぐるミステリーの中で、重忠の子・畠山重保が真相を義時や大江広元に打ち明けるが、朝雅はりくに取り入り畠山のせいだと吹き込む。激昂したりくは時政を焚き付けて畠山を討伐させようとし、時政は逡巡するが結局はりくの言う通り、実朝を動かして命令を出させようとする。それを知って阻止しようとする広元や政子たちだが、実朝が行方不明になるという大騒動と重なってどさくさ紛れに時政が実朝に花押を書かせるということになるわけだ。
この重大な時に義時はいないわけだが、実は疑われて領地に帰ってしまった畠山重忠のところに話に行っているわけで、重忠との盃を交わす中で義時の時政に対する苦い思いを重忠は指摘し、「時政と自分の戦いになったらどちらに着くか」「あなたは本当はわかっているのではないか」と笑顔の中にも眼光鋭く迫る重忠に対し、目を逸らして「それ以上は」と言葉を濁し制止するしかない義時の葛藤が描かれ、畠山重忠の乱だけでなく牧氏の乱の伏線にもなっている言葉の使い方が巧みだなと思った。ここの重忠の演技はタイムラインでも絶賛されていたが、今回はいろいろと見どころはあったけれども、やはりこの重忠の演技が白眉ではなかったかと思う。
タイトルの「苦い盃」というのはこの場面を指しているのかと思っていたけれども、実朝が婚礼の盃を交わすときの逡巡や、政範が毒殺された毒入りの盃も指しているというタイムラインの指摘を見て、これはなるほどと思った。三谷大河というのはこういうところにいろいろと仕込んでくるので、視聴者の方もそこを読み取ろうとして見ているからいろいろと見つけてくる、ということはあるわけで、そこがこのドラマ(視聴率的にはいまだにイマイチではあるようだが)に熱狂的なネットファンがつく一つの理由ではないかと思う。
もう一つ注目されることは女性たちの描き方だなと思う。今回注目されるのは、義時の後妻に入ったのえに対し、三浦義村が一瞬で「指に飯粒がついていた。握り飯を食いながら裁縫するやつはいない」と本性を見抜くところが笑ったが、のえが祖父の二階堂に「絶対男児を産んで跡を継がせる。出なければなんであんな陰気な男と」と言ってるのもなんというかとは思った。これも伊賀氏の乱の伏線になっているわけなのだが。
息子を失って悲しむりくが息子の政範を殺した平賀朝雅に騙されてしまうというのは実衣が息子の頼全を殺した源仲章に騙されてしまうというのとパラレルで、二人がさらに権力的な動きをするというのもパラレルであるわけだが、大姫、三幡、頼家と3人の子供を権力闘争の中で失った政子がそれでも「鎌倉」を支えようとしていると、少なくともそう描かれているのと好対照になっている。政子のそういう意味での評価は鰻登りなわけで、そういう政子に褒められて大江広元が一瞬なんか変な雰囲気になるのも広元が幕府を支える役回りであるだけになるほどと思わされるところはあった。自由闊達な巴と厳かな気品を持った千世の対照もまた、実朝にとって悩ましいというのも面白い。
老婆の扱いはややネタ的に走りすぎている感はなくはないが、比企尼が善哉(公暁)に「北条を許すな」と吹き込んだり、歩き巫女が実朝に感情のやりどころの手解きをしたりするのは、「そのようにその人がなった理由」みたいなものをそこで与えているのがドラマ的には面白いなと思う。ただ、何かの結果が起こるのは必ず何か原因がある、みたいな作りになっているのはまあウェルメイドドラマとしては仕方ないのだろうけど、ちょっとそこまでやらなくてもいいのにという気はしなくはなかった。
マクベスの3人の魔女のようにもう一人こういう老婆が出てくるのではないかという説もタイムラインにはあったが、さてそれはどうなのだろうか。
次回はいよいよ畠山重忠の乱ということになるわけだが、かなり本格的な戦闘場面がロケで描かれるようで、今までこの時代を描いた大河ドラマとはまた違うところにクライマックスを持ってくる描き方が面白いなと思う。それだけ畠山重忠というキャラクターが大事に描かれてきたということだし、次回にまた期待したいと思う。
***
今朝は早起きしてブログを書くことにした。私はもともと早く起きることにしているのだが、その元々の理由は、村上春樹さんのインタビューを読んでいて、朝3時か4時かに起きてコーヒーを入れ、昨日書いた文を読み返して書き始め、数時間集中して書く、という話を読んだことだった。それより以前に小林よしのりさんの1日の生活のマンガを読んだ時もそれほど早くはないけれども午前中に集中して仕事をし、その日の仕事の成功を約束させる、ということが書いてあったことも思い出した。
私も以前はそういう感じでものを書いていたのだけど、いろいろな忙しさにかまけているうちに朝のルーティンもだいぶ変化してきてしまって、せっかくならそれをもう一度今日はやってみようと思ったのだった。
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