「世界史としての大東亜戦争」:日本が戦争に向かった理由/「戦争放棄」という魔法の呪文の期限切れ
Posted at 22/08/10 PermaLink» Tweet
8月10日(水)晴れ
北の方では豪雨、関東から西では猛暑酷暑という感じになっているが、諏訪でも寝苦しかった。まあ寝苦しくなくてもそんなによく眠れてないのでどこまで暑さのせいかは分からないが。今日は朝からやることがたくさんあってそれを考えていてよく眠れなかったということもある。休み休み無理をしないで行こう。
昨日はいろいろものを考えていて少し整理されたのだが、「美しく生きる」と似ているが「自然に生きる」というのもあるなと朝考えていて思った。仕事のことなども少し整理されてきたのでもう少し詰めたら方針として成立するかもしれない。しっかりやろう。
昨日は「世界史としての大東亜戦争」を少し読めた。とりあえず第3章まで読めたのだが、今まで読んだ感じでは、「20年前にこれを読みたかった」というのが正直なところ。あの頃は右と左でドンパチやっていて、こういう冷静な議論はなかなか読むことができなかった。日本が当事者となり、また当事者と利害関係のある人がまだ多かったあの頃ではなかなかそういうこともできなかったのかもしれない。戦後57年にはなかった冷静に分析するための環境が、戦後77年の今年になってようやく整ってきたということなのかもしれない。
いろいろ面白かったが、日本の近代化の軸になる思想が、西欧的立憲主義の形を取り「大日本帝国」の形を定める帝国憲法を中心としたいわば国際主義と、教育勅語に現れる「共同体としての日本」の二つがあり、それが融合しないまま見切り発車して、日本民族の優秀性により帝国が成功したという日本主義・民族意識とアジアを指導していくというアジア主義が後者の中でも分裂して、その二つが数十年せめぎ合っていたけれども、1920年代後半以降の国際状況の変化の中で国内政治的に西欧よりの国際主義が弱体化し、後者が暴走するようになったという分析はわかりやすいと思った。
司馬遼太郎などが昭和日本はいきなり狂った、みたいなことを言っていてそう思っている人も多いだろうけど、もともと二つあったものの一方が国際関係の変化で失速してしまった、というふうに考えるのが現実的だろうと思う。
またアメリカも、元々は「例外の国」「孤立した国」という意識を持っていたのがウィルソン政権あたりで「自分たちの理想こそが普遍」といういわば「目覚め」を経て、現在の国際法規範(侵略戦争の禁止など)を金科玉条とする理想主義の側面が強くなってくるなどの変化があった、というのもわかりやすいと思った。
また日米交渉においても、日米間にはもともと対立する根深い問題などは存在しなかくて、だからこそそういう問題で交渉もできず、妥協することもできなくて、現実論的なやりとりの中から突然理想主義的な「ハル・ノート」が提出されて日本は最後通牒と受け取った、という展開もなるほどと思った。
***
またこれは戦争に関し、Twitterでやりとりをして思ったことだが、日本がなぜとても平和意識が強い国になったのかという問題に対して、戦後から言論界・教育界を支配してきた勢力の力がやはり強かったのだろうなと思った。
これはシンプルすぎる見取り図だが、もともとはGHQのGS、つまり民政局がニューディーラーの影響が強い左派的な人々によって主導されていて、右派言論人は公職追放され、共産党・社会党を中心とした左派政党と日教組、またリベラル派の大学知識人の三位一体で平和教育が推進されたのが相当効果を挙げていたということなのだろうと思う。
しかしその前段階として、米軍によって苛烈な空襲が行われ、多くの若者が戦死したのに、占領軍としてやってきた米軍は思いがけず「寛容」で、その占領政策に対してギャップ萌えを感じたというか一種のストックホルム症候群的なものに日本全体がなったということもあるのではないかという気がした。
特に「戦争放棄」という言葉が魔法の呪文だったのではないかという気がする。いやでも付き合わなければならなかった戦争を、放棄できる!まるで魔法の言葉で、「戦争を放棄したら自分たちは戦わなくていいんだ!」というある種の興奮というか酩酊に一気に洗脳された感じはあると思う。「他の国が攻めてきたらどうするか」という不安も左派は「戦争しない国にはどこも攻めてこない」というおまじないまがいの言説でそれでも多くの支持を得、保守政権は「攻めてきたらアメリカが守ってくれる」という現実的な、それでも「自分たちは戦争を放棄していられる」という仕組みを作ったために、「戦争の議論自体がナンセンス、反省だけしてればいい」という変な状態になってしまったのだろう。
現実にロシアがウクライナに侵攻し、中国の台湾有事がまさに現実味を帯びている今になっても、その幻想から冷めない人が多いのは、そうした教育が戦後70年以上続けられてきたことの賜物なのだろうと思う。
実際のところ、日本人が戦争と平和について現実的な議論をするためには「戦争放棄」という魔法の呪文はもう効かなくなった、あるいは最初から効いていた気がしただけの嘘だった、というところから確認しないといけないのだと思うが、そうなるとまた戦後日本の国体は大変動が必要になるわけで、そこまでは安倍さん達の努力もまだ及んでいないなあと思う。
そんなことを考えた。
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