推しの政治家・安倍晋三元首相の暗殺事件/「しね」はなぜ犯罪にならないのか

Posted at 22/07/09

7月9日(土)晴れ

安倍晋三元総理が奈良市の近鉄大和西大寺駅前での演説中に銃撃され、昨日午後五時過ぎに亡くなった。この件については書くべきことがおそらくものすごくたくさんあるので、うまく整理されていないところで少し書けることだけでも書いてみよう。

出てきた頃の安倍さんは、私にはアイドル的な政治家だったなと思う。「推しの政治家」といえばいいか。21世紀初頭に颯爽と登場した小泉元総理が「小泉内閣メールマガジン」を創刊し、その編集長になったのが当時官房副長官の安倍さんだった。内閣のメルマガは今でも購読している(今はそんなにちゃんと読んでないが)けれども、最初の数年は割とちゃんと読んでいたし、編集後記に(晋)という署名があって、誰だろうと思って調べたら安倍晋太郎さんの息子なんだ、結構似てるな、と思ったのが安倍さんを認識した最初ではなかったかと思う。

安倍さんは小泉訪朝の際に拉致被害者の帰国を実現し、そして彼らを北朝鮮に戻さないことを主張して一躍キーマンになった。皇位継承問題に関しても、小泉首相が把握してなかった秋篠宮妃殿下の懐妊をどうも知っていたようで、男系継承派の中心として活躍していたことが思い出される。その後幹事長に抜擢され、小泉退陣後は首相になって、「美しい国日本」を唱えて憲法改正を実現を目指す、という方向へ行った。この辺りは順風満帆、官房長官以外の主要閣僚を経験しなくても戦後最年少の首相になるというまさにプリンスぶりを発揮していた。

しかし政権運営は行き詰まり、わずか一年で持病の悪化により政権を投げ出した。この時は私自身がひどく落胆し、友人に政治家が辞めたからと言ってそんなに落ち込むのはおかしいと言われたことを思い出す。

その後はそれゆえにそんなに期待しないでいたのだが、2012年に吉田茂以来の政権復帰を果たすと「アベノミクス」を武器に長期政権を実現し、安保法制等様々な課題を解決していった。消費税増税は疑問だったけれども、長期政権の中で日本の国際的地位は高められたと思うし、日米同盟の結束を強化し、「自由で開かれたインド太平洋」という一帯一路を掲げる中国に対して対中包囲網の大戦略を打ち出すなど、世界戦略を練ることができる政治家として一頭地を抜く存在であり続けた。

憲政史上最長政権を実現したあと総理大臣は辞任したが、その後も保守派の重鎮として存在感を持つとともに、国民に対しても「いざという時には安倍さんがいる」という安心感をも提供していたなあと思う。

そんな安倍さんが斃れたことで、政局のある程度の流動化は避けられないだろう。それは国内政治的にも国際政治的にもそうだと思う。好むと好まざるとにかかわらず、安倍さんはこの国の柱石の一人になっていたのであり、この政治家が命を落としたことは日本にとってあまりに大きいと思う。

事件の背景など様々なことを考えるし、Twitterではいろいろ書いてみたりもするのだが、はっきりしたことがわからないま、まとまったものを書くほどのものを自分が持ち合わせてはいないので、そのことについて書くのは辞めておこうと思う。ただ警備体制に油断がなかったかと、その辺りだけが残念でならない部分がある。

安倍さんは保守派の重鎮だったから、特に左翼方面には多くの「敵」がいた。彼らは臆面もなく「あべしね」などとあべさんを攻撃し続けたが、安倍さんは取り合う様子もなく受け流していた。しかしその態度も、「政治家には限度を超えた言葉による攻撃をしても構わない」という風潮を助長したのではないかと残念な部分もある。

日本の法律では「殺すぞ」といえば脅迫罪になるが、「死ね」と言っても罪には問われないそうだ。しかし、マンガやドラマを考えても、「お前を殺す」と言って刺す犯人よりも「死ね!」と言って刺す犯人の方が想像しやすいように、「死ね」と「殺す」は事実上同じ意味として使われていることが多いだろう。旋回の法律改正で「侮辱罪の厳罰化」が行われたわけだが、こうした「死ね」という言葉も犯罪要件を構成するように運用を変えても、表現の自由に対して限度を超えた制限がかかるとはいえないのではないかという気がする。

日本史上、数々の政治家を標的とした殺人事件はあったが、今回のような衆人環視の元での殺人といえば大化の改新の蘇我入鹿暗殺とか、東京駅での原敬・濱口雄幸両首相の暗殺事件などそんなに多くないように思う。犯人の背景は必ず詳細に明らかにされるべきだが、もし何も出てこなければ原敬の暗殺が一番近いことになるかもしれない。原を暗殺した中岡艮一は職場で同僚が「原は悪いやつだ」というのを聞き、暗殺を決意したという話があるが、今回の事件と安倍氏への限界を超えたような悪魔化とが本当に関係ないのかも検討されていくべきだろうと思う。

「死ね」が犯罪か、という問題は言論の自由の問題とも絡み、Twitter上でも様々な意見が交わされているが、法律家や法律に詳しい人たちはほぼ犯罪ではないという見解のようだ。しかし法律を作るのは国民(の代表者である国会)であるから、「殺す」とニアリイコールである「死ね」という表現の扱いを現在のままにしていいのかという議論はあっていいはずで、今後俎上に上ることを期待したいと思う。絵画表現等のケースではまたそれはそれとして検討されるべきだと思う。

それにしても、この件はまだ現在進行中の事件だろう。明日は参議院選挙もあり、この事件の影響がどう出るかも予断を許さない。

ただ、どのように事態が変わろうとも、日本がより明るい社会に、多くの人が希望を持てる社会になってほしいということは変わらないし、また世界もそうなるように日本が役割を果たしていければいいなと思う。

安倍さんのご冥福を心よりお祈りします。


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by Luke Peterson

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