「鎌倉殿の13人」第27回「鎌倉殿と13人」を見た:頼家の才能と繊細さ/義時の配慮と苦さ/ラスボスとしての宮沢りえ

Posted at 22/07/18

7月18日(月)晴れ

昨日は色々とやることが多くて、それでもなんというか事前に思っていたことができないことがいくつかあってそれがちょっと残念な感じになったりして、気分的にはとてもいいという感じでもなかったのだが、まあ仕方ないかなあと思ったり。世の中が動き出す前の今の時間は静かで落ち着いていていいのだけど、動き出したらまた落ち着かなくなるんだろうなあとか思ったり。

自分がいるのに一番楽な場所、というのを考えていたりしたのだが、まあどこも帯に短し襷に長しでなかなかここがベストというのは難しい。いろいろな物事に追われてそんなことも忘れていたが、そういうようなことも追求していけるといいなと思ったりした。

***

「鎌倉殿の13人」第27回「鎌倉殿と13人」を見た。タイトル回収回な訳だが、なんとも波乱含みというか人数が多いせいもあって散らかった印象はあった。ただ、この13人の選定について最初は梶原と文官4人だけだったのが比企能員と北条時政が張り合ってメンバーを増やした結果12人になり、政子の裁定によって義時も加えられて13人になった、という構成にしたのは「比企と北条(と言っても主に時政とりく)の対立」という構図を際立たせるためには良かったかなと思う。

https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/27.html

まあなんとも不穏な展開というか、アヴァンでは聞き分けが良かった頼家がラストには先頭的になっているし、後鳥羽上皇もいきなり大人になっていてラスボス感強かったが、タイトルロールではラストに配置された名前が「りく 宮沢りえ」だったので、ついに「りく=牧の方がラスボス」という形がしばらく続くということになるのかなと思った。

頼家が訴訟の多さに驚いたり、和田義盛が梶原景時から侍所長官を取り戻そうとして揉めたり、奥に戻ったら二人の妻が鞘当てをやっていたりして、いきなり重圧の中で彼からみて「つまらない争い」ばかりに直面し、やる気を無くしていたら周りが気を遣って仕事を減らしてやろうとしたら返って頼家が傷ついてしまったり、みたいな展開は「二代目がいきなり社長になることの難しさ」みたいなものが現れていて世知辛かったが、まあ本人も周りも戸惑っているということなんだろうなと思う。

つまりは金子大地さんがインタビューで言っているように、いかつい「大人」たち、文官にしろ御家人たちにしろ自分より遥かに年長かつ海千山千で経験豊富な大人たちに面と向き合ってるだけで強いプレッシャーを感じ、肩に力が入ってしまっていただろうなと思う。自分の周りに近習として集めた若者たちも比企が何人、北条が何人という感じで、彼らに英才教育を施して自分の股肱の臣にしようとする頼家の発想は間違ってはいないと思うが、そうなると老臣たちとの権力争いの要素も出てくるわけで、そのあたり、無自覚なまま戦争を始めてしまった感がある。

頼家も義時を頼りにし、自分の側にいてほしいと思っていたが、政子の一言で義時も13人の側に加わることになって「敵になった」と認識しているところが痛々しい。義時も13人の披露の場で頼家が近習5人の披露を行うという対抗措置をぶつけてきて、それを主導したのが弟の時連(時房)だったというのがまあどのように受け止めているか。時連に関しては義時自身が近習に押し込んだということもあるからそのこと自体は心配していないと思うが頼家の好戦的なやり方に困ったことになったという感じだろうか。

小ネタでは時連が蹴鞠が上手いということが発覚したり、文覚が捕まったり、実衣が結城朝光に琵琶を習ったりなどが面白かった。時連(時房)は頼家や実朝の蹴鞠の相手を務め、後鳥羽上皇にも気に入られて出仕したりもしているので、人間どこに才能があるかわからないという話でもあるのだろう。文覚も神護寺中興の祖となっていたのであんなに怪しいままというのもどうかと思うがまあ話の展開上仕方ないのだろうな。

結城朝光に関しては畠山重忠と親しくその死後は身を正し、北条時頼の時代まで長寿を保った人物だが、梶原景時の変で重要な役回りになってくるので、その前に出しておいたという感じだろうか。実衣や琵琶との関わりについては今後どうなっていくのだろうか。

昨日は参院選で一回休みになったので第2部スタートという感じだったが、史実がそうとはいえちょっと散らかった感じになったのは残念だった。次回は梶原景時の変なので真の第二部スタートみたいな感じになるのかもしれない。

頼家も大変だが、その補佐の仕方で迷う周りも大変だなと思うし、その中で権力争いに追われる比企と時政に対して、まあ良しときは苦々しく思っているだろうなと思う。

まあ周りの状況に翻弄されて意固地になっていく頼家を見ていると、頼朝はどんな風だったっけなと思うわけだが、考えてみたら最初に出てきた時点で佐殿はすでに30歳を超えているのだった。周りが色々なことを言っても鷹揚に受け止める部分もあれば自分の主張を貫く部分もあり、ブレない姿勢をすでに身につけているので、頼家にとってのロールモデルにはなかなかならなかっただろう。頼朝はうまくいかないことを前提に慎重にことを進めることができたが頼家は最初から完璧に鎌倉殿を演じなければならないと思いすぎていたのだろう。そしてそれには繊細すぎたということなのだろうなと思った。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday