「鎌倉殿の13人」第26回「悲しむ前に」を見た:「頼朝の死という最大の危機」を乗り越え「鎌倉を守る同志」になった政子と義時
Posted at 22/07/04 PermaLink» Tweet
7月4日(月)雨
夜半からかなり激しい雨が降っていて、夜明けごろからは降ったり止んだり。今は降っているが、そう大したことはない。ただ、降っていると外での作業ができなくなるので買い物や中でする作業、洋服の染み抜きなど試してみたりしながら、昨夜の「鎌倉殿の13人」の録画を見直したりしていた。
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/26.html
「鎌倉殿の13人」第26回「悲しむ前に」をみた。この大河ドラマは見れば見るほど面白くなるところがあるが、ついに頼朝の死という大きなターニングポイントを迎えた。このドラマが始まった時点は1175年、頼朝の死は1199年なので24年経っている。承久の乱は1221年だからこれから22年後。義時の死は1224年だから25年後。そういう意味でもちょうど中間まで来たということになるわけだ。
大河ドラマの感想というのは、大きな歴史を踏まえてのその事件の意味づけみたいなものをどのように解釈するかという点と、純粋にドラマとしてどうかという問題がある。ドラマと言っても前衛的なものではないから基本的に人間ドラマになるわけで、それをコメディの部分とシリアスの部分をどう折り混ぜながら話を展開していくか、それをどう評価するかということになる。
また映像作品だから、そのカメラワークやロケーション、スタジオ撮影、照明や音響・音楽の技術などももちろん感想・評価の対象になるし、役者の演技ももちろん大きい。役者の存在というのはもちろん演技だけではなく、というか演技に滲み出る個性表現のようなもの、役柄の押さえ方そのほか、みていてさまざまなところに感想を持つ。衣装や小道具、建物の様子、社会制度や宮中の秩序、武家のしきたり、その時代に何を食べていたのか、さまざまなことについてどこまでリアルを追求しているのか、どこからが芝居の嘘なのかなどについてもとても色々気になるところがあり、そのあたりを鮮やかな解釈、鮮やかな表現がなされているとそれだけで「これはいい」と嘆息するということになるわけだ。
ドラマの作り方も毎回それぞれ工夫がなされていて、前回は「頼朝最後の1日」という三一致の法則的なある種古典的な作り方だった。今回は頼朝を看取る人々と、看取りの中で頼朝後の秩序のあり方を模索する人々、そしてその中でより大きな権力を得ようとする人々それぞれが描かれていて、大きく三者三様になっていてその辺りが面白いと思った。
またそれぞれの人々の「鎌倉(政権)」像というものがそれぞれに語られていて、そのヴィジョンの危うさやあるいは困難さ、そして簡単にいえば権力に対する欲望に対するスタンスの違いみたいなものが端的に描かれていてその辺りも面白かった。
頼朝が落馬したのが1198年の12月27日、臨終出家が1月11日、死去が13日なので多分17日間。私の父が亡くなった時、呼吸困難に陥って人工呼吸器に繋がれたのが11月15日で亡くなったのが12月4日だったので19日間。ほぼ同じ期間、会話もできずに「今日は少し顔色がいいな」「目を開けてくれるといいな」と思いながら過ごしたので、思えば同じくらいの長さだったのだなと思う。身内を看取ったことのある人にとっては、他人事ではない、痛切な思いがこの辺りの描写には感じられたのではないかと思う。
なんというか、昨日の放送について具体的なことであれも良かった、これも良かったと思うことはたくさんあるのだが、なんというかむしろ全体にこの作品がいかに素晴らしいか、ということの方が語りたくなる感じはある。私は大河ドラマをそんなにたくさんみているわけではないのだけど、私がみた中では最も素晴らしい作品ではないかと思っていて、それは大泉洋さんが「外国の長いドラマに十分対抗し得る初めての大河ドラマではないか」というようなことをインタビューで言っていたが、実際にそうではないかと思った。
もちろん三谷作品の「クセ」みたいなものはあり、それに対する好き嫌いはもちろんあるし、演技などについてももっとむき出しの野性みたいなものが鎌倉時代にはあったはずで、みんなお上品で小綺麗だ、というような批判もまたあり得るとは思う。また鎌倉を描くドラマだからということもあるが平家や朝廷がやや戯画的すぎて、底なしに広がる権威と権力の魔窟、という雰囲気が十分には出てこない、大姫の入内交渉のあたりでその一端は出たけれどもあんなもんじゃない、という感じの方が強い、というようなことはある。
しかしそれは正直「ないものねだり」なんだろうと思う。黒澤明の「七人の侍」の時点で、描写されている農民たちは現代人に比べれば多少マシではあってもやはり「劇団の若手だな」という感が強かったし、日本人のかなりの割合がまだ実際に農民だった時代ですらそうなのだから、2020年台の現代に「地に足がついた鎌倉時代人」を描くことは望むべくもないだろう。
描くことができるとしたら、その時代の精神とともに、現代にも通じる政治ドラマ、人間関係のドラマのような部分であって、それが歴史ものが流行し、また「応仁の乱」や「観応の擾乱」のような本格的な歴史書に多くの人々が親しむようになって、いわば史実厨が歴史家だけでなく一般視聴者にも多く存在するようになったそういううるさ方の多い時代では、通り一遍の伝統的な歴史解釈では満足しない視聴者がたくさんいる上に、ウェルメイドの商業的な表現や奇を衒った史実改変にも手厳しい批判がくるような状況の中で、できる限り史実に忠実に、説が分かれているところではなるほどこういうふうに理由をつけてこの解釈を採用し、このように表現したのかと納得できる展開を作るということは、並大抵の腕前ではないと思った。
今回のストーリーの軸は頼朝が死の床にある中で、ただ一人必死に看病する政子と、頼朝が打ち立てた鎌倉(政権)をいかに維持していくかに心血を注ぐ義時の二人なわけだけど、その周りの人々は自分が次の体制でどのような役割を担うかについて心を躍らせたり、今までの勢威を維持できるかに汲々としたりしている一方で、黙々と葬儀の準備を進める八田や、滞りない政権交代・世代交代に向けて奔走する義時に信頼を寄せて援助・協力する文官たちを除けば、「次に自分がどんな踊りを踊るか」の方に心を奪われてしまっている。
この大河ドラマ全体も、結局はこの姉と弟のドラマと言えなくはないわけで、それが最も端的に現れたのがこの「頼朝の死という最大の危機」であった、ということなのだろうと思う。
文官たちも、「鎌倉あってこその自分達」なのであり、関東に地盤を持つ武官の御家人たちと違って自分たちは基本的には京都から流れてきた人たちだから、鎌倉を失えば寄る方を失う。しかし御家人たちは、北条時政も含め、「鎌倉がなくても自分たちはいる、自分たちあってこその鎌倉」であると考えていて、だからその中でいかに有利な地位を占めるかにしか関心がなくなっている。
この時点で最も権威と権力を認められていたのが御台所である政子であり、その政子が娘婿で頼朝弟である全成を鎌倉殿に、という時政の意思に逆らって我が子頼家を次の鎌倉殿に指名し、頼朝と眺めた鎌倉の景色をともに眺めて決意を促すわけだが、そのより家の返事自体が梶原景時のアドバイス通り「一度は断る」という作戦的な意思の現れであって、時政や牧の方、妹の実衣と対立してでも頼家に任せようとした政子の意思がまたどこかで齟齬を見せるであろうことの伏線になっているのは痛々しい感じがし、またそこでの小利口な振る舞いにもよって梶原景時が没落することもまた暗示されている感があってこれも印象に残った。
葬儀万端を滞りなく終わらせ、頼家が鎌倉殿になることを御家人たちの前で明らかにすることによって時政たちとの間に隙間風が吹き、比企が喜ぶということになるが、一連の流れを終わらせた義時が自分は引退すると政子に告げ、政子が「あなたは卑怯よ」と強い言葉を持って義時を引き留め、頼朝の臨終出家の際にそのもとどりから出てきた頼朝の念持仏を渡して頼朝の遺志としての義時の政権参画を促す場面は、緊張感に満ち満ちていた。
義時は従来、権力に取り憑かれ策謀の源であり、簡単に言えば悪人として描かれてきたわけで、しかし結果的に義時の子孫が鎌倉時代を通じて繁栄したことは、そういう見方をする歴史好きな人々には理不尽に感じられ、義時を歴史の悪役として見るのが定着していたわけだけど、よく考えて見ると権力に取り憑かれた悪人がこうした権力抗争の中でただ一人生き残るというのは並大抵のことではないわけで、逆に言えば義時が他の御家人たちにはなかったもの、彼だけが持っていたものがあるから生き残ったのだ、という解釈があり得る、ということを説得力を持ってこのドラマは語ってくれていると思う。
つまり彼は、特に頼朝の後半生においては、我々が思っていた以上に頼朝のフォロワーであったのであり、徹底的に頼朝に学んだことを実行していったことによって幕府内での地位を自然に高めていった。彼が大事にしたのは北条でも御家人でもなく、頼朝とともに築いた鎌倉(政権)そのものであり、そこが時政との違いだったということなのだろうと思う。そしてそれを共有できたのはそこにしかよるべのない文官たちを除けば政子だけだったのであり、昨日のドラマは政子と義時が本当の意味で「同志」になったことを描いた回だったのだと思う。
表現の技術的なことでも色々書きたいことはあるのだが、今日はここまでにしておこうと思う。来週10日は参院選の開票速報に伴って一回休みということで、たまたまだがまさに前半のクライマックスがすえらるのにふさわしい日程になった。
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