北条政子と三浦義村/ウェブ日記が減っている/「守りたいものを守る」か「イヤなものを倒す」か
Posted at 22/06/16 PermaLink» Tweet
6月16日(木)曇り
昨日はいろいろなことがあってまあここには書きにくいことなので書かないのだけど、そんなことでちょっと考えたりいろいろしていた。ただ疲れたので割とよく眠れたと思うのだが、それでも11時半に寝て起きたら4時15分だったから5時間弱の睡眠時間。ただ起きたらちゃんと動いた方がいいと思うので割と寝ぼけてる感じでなく気をしっかりさせて朝いろいろやっていた。
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一昨日は「100カメ」で「鎌倉殿の13人」の「富士の巻狩」を取り上げていて面白かったのだが、昨夜は「歴史探偵」で北条政子を取り上げていて、これも面白かった。承久の乱の時の政子の御家人たちへの檄がシェークスピア「ジュリアス・シーザー」のアントニーの市民たちへの演説に構造が似ているという話も面白かったけど、義時が死んだ後の伊賀氏の乱の時に伊賀氏の側についた三浦義村を説得するために深夜に吉村の屋敷を供に女性一人つけただけで訪れて義村を泰時陣営に連れ戻した話とかはかなり面白かった。義時の死後だから「鎌倉殿の13人」で取り上げられるかどうかはわからないが、作中でも九郎義経に「機を見るに敏」と評されている義村がこんなところでもキーパーソンになっているのは面白いなと思った。泰時は義村の娘を妻にしていたはずだよなと思ったが、比企の乱の前にはすでに離別しているのだな。義村が当初政村の側についたのと、そういうことで関係はあるのだろうか。
https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/R7X14LQP67/
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このブログ(note)も含めてそうなのだが、0年代にはウェブ日記というジャンルがあり、普通の人たちが自分の日常や考えたことなどをなんとなく書いて結構たくさんの人が読みに来るという現象があった。今でもそういうジャンルは多分あるのだと思うが、少なくとも私は昔に比べてそういうものを読まなくなったし、実際あまり見かけなくなったなと思う。
それは日常の取り留めのない風景みたいなものはウェブ日記よりSNSで発信するようになったからかもしれない。自分のhtml技術の限界の範囲で自作していたサイトも、ブログなどいろいろな仕様ができることによって様々なお仕着せのものが用意されるようになって書きやすくなった人もいれば自分の表現と受け入れることができず、撤退して行った人も多いのではないかと思う。
FaceBookをそのように使っている人もいるようだがFBは基本的にリアルの知り合いの範囲への発信なのであまり尖ったことは言いにくいということもある。私も、統合失調症について書かれた本が面白くてそのことについて書いたら高校の同学年の精神科医に「そういうものだと思われたら困る」みたいに書かれてちょっとそういうことでもないんだけどなと思ってFBに文章を載せるのはやめにした、ということがあった。批判も、直接知らない人からのものならきちんと反論できるが、知り合いの輪の中での批判と反論の応酬になるのはやはりあまりよろしくない。
Twitterは特に最近は基本的に匿名で発信するのが普通だから時には行きすぎた表現になってたりすることもあるけど、ちゃんと筋が通るような話をできる場合もあり、またどうにもならなくなったら関わりを断つこともできるので、その辺はFBなどとはかなり違う。
だからネットでやりとりを特に前提とせず、また書きたい時に書きたいように書ける個人ブログや個人サイトは下手をしたら誰も読みにこない可能性もあるとはいえ、それなりに使いやすいメディアではあると思う。
今ではnoteが出てきてnoteをそのように使っている人もいるけど、昔とはどうも雰囲気が違う。まあ、一言で言えばより戦略的になった、言葉を替えて言えば「戦略的であることを隠そうとしなくなった」という感じはある。
つまり「これは自分の意見の発信なのだ」とか、「これは課金させて収入を得ることが目的なのだ」とか「このnoteを自分のプラットフォームにして仕事を取る」とかの「戦略」が、より明確に、よりあざとく明示されるようになったような気がする。
0年代には課金を嫌う文化、ネットを儲けに利用することを嫌う文化みたいなのがあって、いかにも自分はそういうのと関係ありませんよ、みたいに振る舞うのが主流だったように思うし、またそう振舞っていたのに「Amazonのアフィリエイトのリンクを貼っていた!」みたいなことで糾弾されたりしていた。
逆に、「そういうことをするなら最初からそういうふうに振る舞え」みたいなことが「正しい」ことになって、逆に半農半漁みたいな野心もあるけど基本的には日常系、みたいなブログがあまり見られなくなってきたような感じがし、ネットのどの文章を読んでも「生焼けの戦略性」みたいなものを読ませられて胸焼けしがち、みたいな感じになってきている感じがする。
一つには、日常系のブログ、日記系の文章には「家族が登場する」ということがあるかもしれない。当時から「家族のことを書くなと家族に言われた」とか「家族のことは書かない」と言っている日記もあったが、特に最近は有名マンガ家のエッセイマンガが子供をすごく傷つけた、みたいな話とかも出てきてそういうものを避ける方向もあるのかなと思う。私も基本的に身近な人間について書くときはニュートラルなことしか少なくともブログでは書かないようになった。
自分にとって大事な存在をなんとなく日常的に書いているからウェブ日記というものは面白いのであって、そこらへんの縛りがキツくなってくるとこういうジャンルはもう難しくなったのかもしれないなと思う。
私はブログやnoteを書くときに前振り的に何か身近なことを書かないとなんとなく落ち着かないところがあって少し書いてしまうのだが、そうなるとnoteでもサムネされるのはその部分なので、題と違ったことを書いてることがほとんどだから読みにきにくいということになってしまう。スタイルを変えればいいのだが、なんだかそれも癪というかそういうところをいじると書けなくなる気がして直していないということもある。
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あとメモ的なことを書いておく。いずれ展開するかもしれないけど。
明確な主張を持った運動系の思想というものは、基本的に「大事なものがある。それを守りたい」という場合と、「嫌なものがある。それを倒したい」という場合の二つがあるなあということを考えていた。
現象面でいうと、後者の方が目立つし問題があるように思われる。「萌え絵は嫌だ。だからやめろ」とか「福祉のタダノリは許せない。だから減らせ」みたいな感じで、非常に攻撃的なことが多い。ネットでも炎上するのはだいたいこういう系統の考え方だ。
それならば、「大事なものがある。それを守りたい」という思想は良いような気がするし、正当であるように思えるが、「自衛する権利は大事なものだ。だから銃器所持は正当な権利だ。それを守りたい」という主張も上の類型に入るわけだ。「権利を守る」というのは民主主義の本旨だから自衛が権利と認められている文化・制度の社会ではそれを否定することは難しい。
治安機関に全てを委ねればそれでいいかと言えば、ロシアや中国のような監視社会になる可能性もあるし、その権力の行使にクレームをつけまくる日本の現状のような状態になる場合もある。子供に自衛権がある、と認めればいじめは減るだろうと思うが、学校での障害や殺人は多分増えるだろう。そこは結局トレードオフということになる。
また、最近では表現規制に熱心なのはフェミニズム、という印象が強くなっているが、私が思うフェミニズムの本質、というかそこは同意できるという部分は、「女性の自己決定権の尊重ないし確保」というところであるので、自由意志で女性が取り組んでいることをやめさせようとするような方向性はあまり賛成できない。また女性の保護という方向に傾きすぎているのも、それが個人としての独立性というものを結果的に毀損する場合も多いので、賛成できないことが割と多い。これは未成年者についてもそうだが、「未成年者の保護」については「女性の保護」とは別のロジックで考えるべきだと思うのだけどそこが混乱していることが多いように思う。
「女性の性的自己決定」というのはフェミニズムが長年取り組んできたことだと思うしそれを台無しにするような方向性も出てきているような気がするのだけど、自己決定能力というのは市民社会で独立した市民として最低限求められることであるから、そこを動かすならそれで社会が成り立つような包括性のある理論が必要だと思うけれどもそういうものはまだ出てきていないように思う。
フェミニズムを批判する側も、大部分の人は「女性の自己決定権」自体を批判したり否定したりしているわけではないように思うし、そこは大事にしてそれに矛盾する保護の問題を扱う時には慎重にした方がいいと思う。
まあこういう議論をややこしくしているのが「言語論的転回」の問題だなと思うのだけど、人文学や社会科学が焼け野原になりつつあるのもその影響があるようには思う。長年学問が拠って立ってきた基盤自体を批判し脱構築するというのは理屈としてはあり得るが、そのことによって失われるものも多々あるわけだから、その辺の塩梅が重要になるわけだけど、へんにアカデミズムに恨みがある人たちとかがそこを破壊したりもするので、心ある人たちが眉を顰める感じのことがよく起こっている。
その辺の問題の歴史についての議論は昨日読んだのだけど、まあこの辺はまだ考えがまとまっていないのでメモということにしておこうと思う。
歴史を勉強していたとき、指導してくださった先生が「この研究者はあまり筋が良くない」とか「この研究は古いけれどもしっかりしている」とかよく言っていたのだが、今考えてみるとこの「学問と「言語論的転回」との距離感」みたいなこともちょっと話に関わってくるなと思った。
昨日読んだ議論では例えば「つくる会」の教科書の執筆者や理論家は西欧の価値観の衝撃に対抗する日本の価値観を守りたい、という動機があったが今のネトウヨ作家の歴史本には「何を守りたいのか」と感じさせるものがなく、「自分は中国や韓国が嫌いだ、日本が好きだ」という好き嫌いの次元で理論を構築しているという話があって、それを「おたく的」と表現していたがそれはそれなりになるほどと思うところはあった。「天皇は左翼」みたいな発言は実際当時かなりめんくらったが、「守りたいものは特になく好き嫌いだけで物を言ってる」と考えてみるとわかりやすい。フェミニストも、「女性の自己決定権を守りたい」という動機よりも「オタクがきしょいから否定したい」という動機で動いている人たちがかなりいるように感じられるのも、同じような「オタク化」の問題なのかもしれない。
ただ、「自分はオタクなので全ての人の「スキ」を守る」という大義を「2.5次元の誘惑(リリサ)」で読んでしまうと、「オタク化」をそういう矮小化の言葉として使うことも憚られる感じはあるので、まあちょっとまたその辺は考えてみたい。まあメモということで。
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