三浦義村の葛藤:義時の「もうちょっと付き合ってくれよ」と大姫への「好きに生きたらいい」/トウの母親の名前:「鎌倉殿の13人」

Posted at 22/06/23

6月16日(木)雨

昨日はとても強い雨が降っていた。梅雨末期、というには早い気がするがもうそろそろそういう感じなのだろうか。午後、書類関係の仕事を片付けていてできたから郵便局に出しに行くとき、雨がとても強くて大きめの傘をさして書類の封筒を守りながら職場から郵便局を往復したら、体の前はあまり濡れなかったが背中がずぶ濡れになっていた。このままではまずいと思いシャツを扇風機の風を当てたり暑いけどファンヒーターをつけて熱風を当てたりしてなんとかいいかなというくらいにはなったが、ズボンが湿っているのはなかなか乾かずに困ったのだが、そちらはどうも汗をかいたせいが大きかったようで、仕事をしているうちに引いてきた。この時期は予定外の雨に困らされる時は時々ある。普段自動車で移動しているためにそういうことに無頓着になりがちだが、自然は容赦ない時は容赦ないなと改めて思った。

今朝も雨が降っていて、資源ごみの処理などでいろいろ動いていたのだが、時に激しく降ってワイパーを最速で動かしても前が見にくかったりし、ああ六月だなあと思ったりした。

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「鎌倉殿の13人」の24回「変わらぬ人」のことについてたらればさんが三浦義村について書いていた。


これは私も見ていてこの場面をどう解釈するかは迷った。よく意図を取りきれていなかったなと思う。

三浦義村は斜に構えて「頼朝は身内も信用できなくなったのさ」みたいに言ってても、頼朝の懐に飛び込んで手足のように動きながら頼朝に言いたいことも言う義時の動きを羨ましく思うところもあるように思う。

だから義時に隠居を仄めかしたのも「ずっとこのポジにいるのも飽きた」という思いがあったようにも思うし、そうかと思ったら父の義澄をたきつけて「もともと三浦は北条より上だったのに遅れをとっている」
と行ったりしているのも、義村自身が自分の進むべき道を見つけられずに苛立っているように思えた。

頼朝が死んで御家人たちの間の争いがはじまると、おそらく義村は義時を支えるということに存在意義を見出していく、という方向に行くのではないかと思うのだが、まだ自分でも良くわかっていないのだろう。そしてそのこと自体を自分でもよく自覚していないのではないか。

今回の展開の主役であったのは範頼とともに大姫であったわけだが、義村はどちらにも微妙に絡んでいる。範頼に関しては先に述べたとおりだが、大姫に対しては京で入内交渉の時に丹後局に叱責されてショックで落ち込んでいるところを「好きに生きればいい」と励ましたりしている。

大姫が義高のことを忘れられず、入内の話にも全く乗る気はなかったのだが、政子や実衣たちが全成の口寄せで義高を呼び出すという大姫の好みに合わせようとしてスピ系に走って大姫に「前向きに生きろ」と言おうとして返って大姫を怒らせた。しかし大姫は時が経つにつれて義高の印象がぼんやりしてくることに耐えられず、和田義盛の家人になっている巴を訪ね、義高の話を聞こうとする。そこで巴は自分の話として、「義仲は思い人であったが、あの時死ななくて良かった。また、義仲もそういう自分を咎めたりは絶対しない」と話して、大姫は前向きに生きる気持ちになる。

大姫は義高のことを忘れられないと思いながらも両親の役に立ちたいという思いもあったので、それならという気持ちで承諾したわけだが、日本の権力闘争の頂点でもある入内という件に関しては大姫だけでなく頼朝や政子も全くの準備不足であることを叱責され、大姫は憂いに沈んでしまう。

大姫はその夜宿を抜け出して騒ぎになるが、たまたま見つけた義村は大姫の様子を見て「生きたいように生きればいい、無理に入内しようとすることはない」と諭すわけだけれども、実際これは義村が自分自身に言っている、つまり自分はあまり面白いと思ってもいない鎌倉の権力闘争の中にいて、義時に「もう少し付き合ってくれよ」と言われているけれども、もうそんなの投げ出したいよなと思っていて、そういう形で大姫に同情してそういう言葉をかけたのではないか、と思ったのだ。

結局大姫はその言葉を聞いて、「生きたいように、好きなように生きるとはどういうことか」と考えてしまい、今度は「義高のもとに行きたい、好きなように生きるとは、好きなように死ぬことだ」と思い定め、なくなってしまうという結果になった。

義村の心理描写みたいなものは直接的には描かれていないので彼の行動から推し量るしかないのだが、このように考えてみると義村は「好きなように生きる」という選択ではなく、「義時にもう少し付き合って権力闘争の中に身を置く」という選択をすることになる、という描き方になるのではないかと思った。

今描かれているのは義村のモラトリアムの末期の葛藤なのかもしれない。彼も自分の生き方だけでなく、三浦氏を背負っているわけで、「好きに生きろ」ということで「源氏の未来」を背負うことをやめた大姫が返って心弱く、衰弱死してしまったことを後悔するようにも思う。

大姫の存在は中世の武家の女性の宿命といえばそうなのだが、ただ家の繁栄のために尽くすのは女性だけではなく男もそうで、「自由な男の代表」みたいに描かれている三浦義村が同じように「家か自分か」の葛藤を背負っているというところまで考えられている脚本なのではないかと思った。

そうした大姫に対し、政子たちはスピリチュアルな手段を用いても「源氏のために前向きに生きる」ことを求めようとし、第三者(とは言い切れないが)である巴は恋に生きるのもアリだが運命の身を委ねるのも選択としてはアリ、自分は良かったと思う、と言ってるわけで、それはそれで筋が通っている。義村がある意味一番中途半端な関わり方をして傷口を広げた感はある。

また頼朝も諦めていた大姫が入内に前向きになったものの挫折したことで返って火がついてしまい、妹の三幡も入内させると言い出し始めて傷口を広げる結果になったのも痛々しい感じではあった。

***

もう一つ思ったことは範頼を善児が暗殺する場面。範頼とともに働いている農民・五藤太とその妻を殺し、「真桑瓜がいいな」と言って範頼を刺殺するわけだが、その場にいた五藤太の子のトウを連れ出して、自分の後継者にする、という展開になりそうな感じである。トウはこの場面で恐れて何もできないのではなく、善児に対して鎌を握りしめ、戦おうとする。善児はそれを見ておそらく「将来性」を感じたのだろう。

トウはもちろん名前があり、成長後の役を演じる人も発表されている、つまりかなりの大きい役なのだが、その父親の名が五藤太という名前で示されていたので今まで出たことがあるそれなりに大きい存在なのかなと思って調べてみたが、この場面が初めてのようだった。

「五藤太」役の人は調べてみると大河にも何回か出たことのある藤田健彦さん、「五藤太の妻」の人は文学座の山田里奈さんだった。


ちょっと不思議だったのは、どちらにしてもそう大きい役とはいえないのに五藤太の方は名前がついていて妻の方は「その妻」だったということだ。この時代、女性の本名は実際には伝わっていない例が多いし、政子ですら現在の場面でどのように呼ばれていたのか本当はわからないわけだけど(ドラマでは不便だから最初から政子にされているが)、庶民の女性もそういう名前がよくわからないとかそういうことを踏まえているのかなと考えたりもした。トウはこれから善児と同じような意味で重要な存在にはなるだろうから、両親のこともまた出てくるのかもしれない。

ところで、現在出演している人たちの中で文学座に属しているのはたかお鷹さんが【岡崎義実】役、横田栄司さんが【和田義盛】役であるとのこと。言われてみれば岡崎義実は新劇的な演技である気はするが、和田義盛の演技は新劇的と言っていいのかどうか。まあひょうきんな場面が多いからついそう思ってしまうが、和田合戦などはシリアスになるだろうし、その辺りも期待したい。



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