「鎌倉殿の13人」:第17回「助命と宿命」を見た。「小四郎どの、あなたを信用することはできません」

Posted at 22/05/02

5月2日(月)晴れ

5月2日、といえば八十八夜。「夏も近づく・・・」と歌われる日だが、当地の最低気温は4.7度。最高気温の予想も17度なので寒い感じ。4月の後半にもうストーブはいらないという日が何日かあったが、ここのところまた使っている。5日は立夏なので暦の上ではもう春も終わりなのだが、まだ寒い。二十四節気は穀雨、七十二候は牡丹華(ぼたんはなさく)。当家の庭の牡丹も咲き始めているので、これは季節に合っているのだなと思う。

昨日はインドにいる友人とウクライナやロシアのことについて話していたのだが、大体昨日のブログに書いたようなことを話して、自分の頭の整理をしようと思ったのだけど、その後で「鎌倉殿の13人」をみてまた頭の中がとっ散らかった感じ。なかなか連休中のたるんだ頭にあの展開はきついな。しかしまあこの辺りを義時の人格形成的に取り上げるのもそれはそれでわかる気がするので歴史ものというのはある意味容赦ないなと思う。

とりあえず鎌倉殿の感想から書いて少しずつ頭の中を再整理していかないとなと思う。今朝はジャンプもスピリッツもヤンマガも出ない月曜日なので、時間はある。ジャンププラスの更新はあるが、まあ量的にはそれほどではない。

https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/17.html

「鎌倉殿の13人」第17回「助命と宿命」。かなり重い展開が続くようになってきた。

義時は忙しいらしくようやく自邸に帰って息子の顔を見てずいぶん変わったなと言ったらそれは三浦義村の娘だったというくすぐりが入るが、まあこの後の展開の重さを考えるとこのくらいのギャグは必要という感じなんだなと思った。そこに工藤祐経が現れるが八重との因縁もあるようで、また曽我兄弟と思われる子供達に石をぶつけられたりして、「伊東氏の物語」がサイドストーリーとしてあることがちょっとだけ示された。

前回木曾義仲が討たれ、反す刀で今度は一ノ谷に平家を破った義経が梶原景時とともに院に参内して後白河法皇に称賛される。鵯越(ひよどりごえ)とか馬に乗ったまま下ったとかすでに義経伝説ができていて、それを景時に指摘されると、「平三、歴史はこうやってできるんだ」とうそぶく義経。検非違使の官位を与えられて辞退するが、「頼朝は気にするな」と法皇に絆され、また法皇に送り込まれた静にまた目を奪われてしまう義経。結局官位を受けてしまうわけだが、まあ全て伏線という感じ。

梶原景時は「平三」と呼ばれるが、義経には「へいぞう」と呼ばれていた。これは「へいざ」という読みもあり、歌舞伎では三の字は「名古屋山三(なごやさんざ)」など「ざ」と呼ばれることが多いように思うが、歌舞伎役者である中村獅童さんに向かってそう言っているのだからそれが正しいということなんだろうなとは思った。今ネットで見てみると梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)とあるのでそういうことなのだろう。

義経が静(御前)に目を奪われるその次の場面で比企能員の姪・郷御前が義経の妻になることが鎌倉で語られ、北条と比企の鞘当てのようになる。

義経以外の鎌倉方の御家人たちは京を離れて鎌倉に戻ってきているようだ。同じ場面で頼朝は義時に「(木曾義仲の息子の)義高を討て」と命ずる。統治のために必要な心構えを持たせるために義時にやらせようとする頼朝と、それを受け止めて従おうとする義時だが、娘の大姫の義高への思いを見ている政子はそれをやめさせようとする。一度は逡巡した義時だが、結局伊豆に匿うということで話がまとまる。

しかしそこに絡んでくるのが甲斐の武田で、信義と長男の一条忠頼が鎌倉を訪れて恩賞について頼朝に談判した際に、義高が幽閉されているのを知ってともに立ち上がろうと唆す。

和田義盛に連れられて巴御前が義時を訪ね、義仲の手紙を義高に渡してくれと頼むが、義時が内容を改めようとすると巴は「無礼者!」とくってかかり、義盛に抑えられる。名前が「義」ばっかりだな。

義時は義高を匿う手筈を整えて義高を案内しようとするが、それに対して義高は「小四郎どの、あなたは信用できません。」という。恐らくは義仲を救ってくれることに対する期待が義時に対してはあったのだろうけど、それが裏切られたということなのだろう。義高は「鎌倉殿を許せない」というが、結局巴御前から届けられた義仲の手紙を読んで匿われることに同意する。

義時は三浦義村や和田・畠山を巻き込んで義高を逃す算段をし、実行に移すが義時に「あなたと話したくない。あなたは信用しない」と言った義高は結局匿われた場所を抜け出し、木曽に向かう。

一条忠頼が義高を訪ねたことで義高の脱出が露見する。それを報告した忠頼はその場で討たれる。それは本来工藤に振られていたのだが結局逡巡してできなかったので仁田忠常がそれをフォローする。義高の脱出に怒った頼朝は義高を捉えることを命じるが、そこに政子と実衣、大姫が現れ、義高の助命を嘆願する。自害をも辞さない大姫に頼朝も折れ、熊野牛王神符(ではないかとTwitterで示唆する方がおられた)の誓約書に命は助けると書く。義時は「義高の命は助けろ」と御家人たちにいう。

しかし命令の変更を知らなかった藤内光澄が義高を見つけ、義高は応戦しようとするが大姫にもらった手毬が刀の鯉口に結びつけられていて刀を抜けないという描写の後、藤内が首桶を持って鎌倉に帰り、頼朝は「これは宿命だ」というが、悲嘆に暮れた政子は「絶対に許さない」と捨て台詞をして場を去る。

見ていてこれはきついなと思ったのは、これらの後始末が全て義時に課されたことだ。息子を討たれた武田信義に「謀反をしようとしたらこうなるという警告だ」と告げ、「わしは家人ではない。お前らはおかしい」と言われたり、激怒した政子の言葉によって藤内を成敗する役目もふられて「北条が試されている」という時政の言葉に従って断罪し、「そんなつもりはなかった」という政子に「御台所の言葉の重さを自覚しないといけない。私たちはもう昔の私たちではない」と告げたり、ハードな場面は続いた。

ただ個人的にはこれが大きいなと思い、役柄上の小四郎がこのように変化した、変わらざるを得なかった一番大きな言葉は、助けようとした義高に「あなたの言葉は聞きたくない。あなたは信用できない」と言われたことではなかったかと思った。

今までで義時史上最大の事件は上総介誅殺の場面で何もできなかったことだったわけだが、それでも色々な意味で義時は気を使われたりなんの間のと頼られたりしてきて、「善人枠」であったわけだけど、義高に面と向かって「あなたは信用できない」と言われたことが、義時を変えたのではないかと思わされた。もう「善人として振る舞う」ことはできない、ないし許されないのだと。

結局のところ、義高がもし義時をとりあえずは信用して伊豆に逃げていれば大姫に自害を仄めかされて「父の負けじゃ」と言った以上、義高は出家はさせられても殺されることはなかったと思われるわけだが、義高が義時を信用しなかったがために義高は殺されることになった。また政子の無理な嘆願を聞いてなんとかしてやろうと三浦義村や和田や畠山にも頼んで(三浦義澄は強く義村を嗜める)危ない橋を渡ろうとしたのに義時の心遣いは全て水泡に帰し、政子の迂闊な発言で頼朝の命に従っただけの藤内も殺さざるを得なくなり、良かれと思ってしたことが全て裏目に出て全ての重みが義時に背負わされてしまう。

感情を表に出せるのは家族の前だけ、しかし今までは「小四郎どのにしかできないことがあります」と励ましてきた八重すらも今回は言葉をかけることができない。ただ無心の金剛(泰時)に「ごめんな」と謝り、無邪気に顔を撫でられる場面が印象的だった。

この辺りの展開はいくつかの史実を引っ付けているので虚構の部分も多いし、演出も少し強すぎると感じたところもいくつかあった。義高の逃亡については史実はよく知らないのだが、Wikipediaでは大姫自身が逃したと書かれている。このドラマでの大姫がそこまで企むのは少し無理があるので政子たちが逃した話になっているのだが、この件を「家庭内の問題」として扱おうとする政子と、政子が怒りに任せて発言すると人が斬られることをはっきりさせ、それを北条氏内部で処理させようとする頼朝と、理不尽な命でも政子の巻いた種として自分たちがやらなければならないという時政、冷たい態度で政子にそれを告げざるを得ない義時という「家庭内の問題」として跳ね返ってきてしまった苦しみ、みたいな演出になっていた。

武田信義との対峙の場面も、武田の顔は明るく見えるが義時の顔は暗くされていて表情が見えない演出になっていて、これはやりたいことはわかるが小栗旬さんの演技も見たかったなという感じもある。

義時のある種の理想主義はまだ失われたわけではないのだと思うのだが、もうあからさまな善人顔はできないわけで、ここからが北条義時という人物の造形の難所に差し掛かっていくと思うのだが、今後の小栗旬さんの演技には期待したいと思う。周りの脚本や演出は少し痒いところに手が届きすぎな感じはするけれども、主役の演技だけは生身の人間のやることなので、脚本も演出も手出しはできないところがある。

どうしても暗い展開にならざるを得ない史実なのだが、それでは見ていて辛いばかりかといえばそうでもなく、やはり面白いことは面白いわけで、その辺の作劇は上手いなと思う。逆に言えば、そうした史実と脚本と演出を乗り越えて「小栗旬の北条義時」がどう演じられていくかを見届けることこそが、主要な関心になってきた感がある。そして今回の演技は、特に政子に御台所としての言葉の重みを告げるところの鬼気迫る感じは、開き直って捨て鉢になってるかとさえ感じさせられるような、それでいて姉への愛情も感じさせるところもあり、その一端が見えたような感じがする。

まあそうは言っても辛い展開であり、連休中にこれかよという感はなくはないが、この押しつぶされそうな展開をどう演技で跳ね返していくかが見どころだろうと思われ、(もちろん今後も脚本や演出の妙も問題になるわけだが)今後に期待したいと思っている。


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