「文化の解釈学」を読み始めた/「プーチン」や「ロシア」や「ポリコレ」はどのような意味の体系を持っているのか/「気力」について

Posted at 22/04/14

4月14日(木)曇り時々雨

昨日までは天気は良かったが、昨日の夜から時々雨が降っている。でもしとしと雨で、そんなにまとまっては降ってはいない。今朝は職場の地区の資源ごみ回収の日なのでそれを出しに行ったついでに車を運転して近くを走ったのだが、山の中腹にある神社や別の山の中腹にあるお寺の境内の桜がどちらもすごくよく咲いていて、またその向かいにある高校の坂道の桜も綺麗で、花曇りという感じだった。明日まで持ってくれると良いなと思う。

昨日は車の定期点検にディーラーに持っていったのだが、ちょうど近くに岩波書店の本は全て揃っている図書館があるので待ち時間にそこまで歩き、ギアーツ「文化の解釈学」I・II(1987)を借りてきた。思ったより近くて歩いて5分ほどだったので地理関係が実感できたのだが、普段車に乗っているとわからない距離感というものはあるなあと改めて思う。

文化の解釈学〈1〉 (岩波現代選書)
C. ギアーツ
岩波書店
1987-05-29

まだあまり読んでいないのだが、「文化とは何か」について重ねられてきた考察の中で、幅広すぎる考え方の中でそれを狭めて考える、「選択する」ことが必要だと言っていて、つまりはそれを「一つの視点から」に狭めて考えるということではないかと思ったのだが、まあそうしないとあれもこれもでは人生や社会や世界の複雑さを捉えきれない、というのはよくわかる。「人間は自分自身が張り巡らした意味の網の中にかかっている動物である」と考え、「文化をこの網として捉える」という比喩は、一つの見方としてはなるほどと思うし、つまりは「文化とは意味の体系である」ということだろう。従って「文化を研究するということはその意味を解釈すること、その解釈の仕方自体を探究すること」、ということになるのだろう。

この考え方はよくわかる。例えば、今一番訳がわからない行動をしているのはロシアのウラジーミル・プーチンとその元で作戦行動を指令するロシア軍幹部、さまざまに発せられるプロパガンダ、現場のロシア兵の行動や戦争犯罪を主導していると言われるFSBの軍人たちであり、彼らがどのような意味の体系を持ち、どのような解釈をして蛮行を実行しているのかということについては、実際の戦いの帰趨をロシアの思い通りにさせないことと同時に彼らのここでいう意味の「文化」を解明しなければならない部分はあるだろう。

これは例えばベネディクトが第二次世界大戦中に日本に対して行い、「菊と刀」という文化論的な業績をあげたのと同じような行為であり、日本でもこうした人文学的な分析を行うことで得られた知見によってこのウクライナ戦役の戦中・戦後のロシアとの関わり方についてより妥当な関わり方ができる可能性があるわけで、「ロシアだけが悪いのか」と言った低次元の問題提起ではなく、「ロシアとは何か」というところまで踏み込んで各場面における行動を「厚い記述」によって解釈を重ねていく必要が日本にもあるのだと思う。

ここからは自分の「感じ」だが、東大入学式における河瀬直美氏のスピーチなどは80年代相対主義の悪しき残滓だと思うが、萌え絵などは嬉々として叩くのにウクライナにおけるロシア軍のレイプなどの行動には口をつぐむ日本のアカデミアの一部に見られるあまりにバランスを欠いた行動には呆れてしまう、というか大変残念に思うのだが、それを積極的に批判する動きもきちんと出てきてはいるので、日本が日本として責任を持った行動をできるような政府・学界・産業界・防衛界・言論界の構築が、ロシアを分析することで従来の中露寄りすぎるスタンスを是正する方向で行われていくと良いと思う。

それにしても「ロシア」における、少なくともプーチンとそれを支持する人たちにおける意味の体系としての文化というものに対する考え方は、相当我々が考えている世界と見え方が違うだろうと思われるので、面白そうだとは思うがあまり近づきたくない感じもあり、研究成果が待たれるなと思う。

また、もう一つ意味の体系としての文化ということで言えば、日本で一番混乱している界隈はポリティカルコレクティズムの界隈だろうなと思う。彼らがどのような意味の体系を持っているかというのは、彼ら自身が自覚している部分と、彼らが実際に無意識も含めた中で依拠している体系はかなり違っていて、そこで大きな混乱が起こっているのだろうと思う。

まあロシアにしろポリティカルコレクティズム界隈にしろあまり近づきたくはないし避けて通りたいものではあるのだが、情報がシャワーとなって降り注いでくる部分もあるので自分が接した「記述」だけでも十分「厚い」ものがあり、その辺を手掛かりに考えていくことになるのだろうと思う。専門家のようにはいかないが、見える範囲での観察と解明を専門家の知見も参考にしながらしていければ良いのではないかと思う。

***

後悔と不安、自信と楽観のことについては昨日少し書いたことで自分の中では少し落ち着いた感じがある。最近、ここはもっとこうしたほうがいい、というようなことが「見えて」きているのは、近年になく「気力」が充実してきた、というほどではないけれどもエネルギー感が自分の中で少しは感じられるようになってきたからだろうなと思うのだが、これがなぜそうなってきたのかはまだあまりよくわからない。

これは今まで「自分がやっていること、やってきたことが正しいのかどうかよくわからない」という感じだったのが、「自分がやってきたこと、やっていることはそんなに大きくは間違っていないのではないか」という感じがしてきた感じがあるからかな、という気はする。実態がそんなに大きく変化しているわけでもないのにそういう感じがしてきたのは、ある種の「割り切り」ができてきたからという気もしなくはないし、いずれにしても、まあ人生これからだと思ってまた頑張っていければいいな、とは思っている。


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