ワクチン3回目接種/表現の自由と「目覚めた人」とキャンセルカルチャー
Posted at 22/04/11 PermaLink» Tweet
4月11日(月)晴れ
昨日の夜はよく眠れた。昨日は午後にワクチンの3回目接種に行き、1、2回目のファイザーではなくモデルナを接種したのだが、今のところ特に副反応らしきものはない。というより、1、2回目もそうだったが、ワクチンを打った日は緊張が解けるというか、すごく眠くなるしお腹も空いて食欲も出る。ワクチンが身体にダメージを与えることは確かだと思うのだけど、それが自分の身体が受け入れるとむしろ弛緩するという反応になるようだ。これが新型コロナワクチンだからそうなのか、他のワクチンでもそうなのかはわからないが、自分の意識としてはある種の人体実験として打っているのでまあ面白いなと思う。
昨日は色々なことがあったし今朝もあったしこれからもあるんだろうなと思う。一昨日の夜はよく眠れなかったので一日ぼうっとするかなと思っていたのだが、午前中に「中央公論」を買ってきて少し読んだ。特集が三つあり、一つはウクライナ戦役を扱った「プーチン暴走 世界の悪夢」。いくつかの論考をざっと読んだが、ネットで読んでいることと比べて格段に新しいことはないように思った。
二つ目はキャンセルカルチャーの問題を扱った「正義と悪意の境界線」。どうもなかなか面倒な議論というか、読んでいて方向性の出せるような話ではないなと改めて思ったが、現状この手の争いが「相手をいかにキャンセルするか」の仕掛け合いみたいになっているのはなんだかつまらんなあという気がした。つまりは「足の引っ張り合い」であるのだが、「正義に目覚めた=woke」の側がキャンセルを仕掛け、それに応戦するという形が頻発しているようで、相変わらずそういう「正義」は危険だなと思う。
ただ思ったのは、昔は気にならなかったようなことがどんどん「気になる」表現として認定されていくという話は実際、「言論の自由」「表現の自由」は進歩していくものという固定観念、つまり「許されない表現はどんどん減っていき、究極的には何を表現しても良くなる」という自分の中にもあった思想が必ずしも共有されなくなってきているのだなあということを思った。
それぞれの人たちの中には大事にしたいものがあり、それはセンシティブなものであるわけだが、何がその人にとってセンシティブなのかは結構違う。私はあいちトリエンナーレ的な表現はやはり「やめたほうがいい」と思うけれども、萌え絵的な表現が何が問題なのか基本的には納得できない。ただ表現が昔よりどぎつくなってる面はあると思うが、それは「言論の自由の進展」の中で出てきた進化でもあるわけで、まあそれを行き過ぎだと顔を顰める人がいるのはわからなくはない。それを女性差別と結びつけるwokeismは正直気持ち悪いというか、自分の欲望で他者の欲望を取り締まろうという剥き出しの支配欲のようなものを感じてしまうが、例えば「天皇の写真を焼く」というような表現については学生の頃だったらそれも表現かなあと思った気はするけど、今は「国家の象徴の表象を暴力的な表現で否定する」ことは良くないと思う。それは自分の中で皇室への尊崇や国家の意義の重要性について「目覚めたwoke」からだといえばそうかもしれないとは思う。
逆にいえば、アメリカなどでもそうだが日本でもいわゆる保守といわゆるリベラル(どちらも一筋縄ではいかない大きな広がりがあるので「いわゆる」をつけておく)の溝が生まれ、そしてそれが広がり、深まっているということなんだろうと思う。対立がより先鋭化しているからこそ、お互いの表現がより「気に入らない」ものになってきているのだろう。
特にマンガ表現は「性的なもの・暴力的なもの」がどうしても含まれる。小説でもそうだが、絵で表現するマンガはよりその面が強いだろう。それらを排除しようとしてきたのは伝統的には伝統保守・宗教保守の側だったのでマンガ製作者は基本的にリベラル・左翼を支持してきたわけだが、フェミニズムやポリティカルコレクトネスの影響で性表現や暴力表現が左派に排除されるようになってきて、彼らは大挙して保守の側につくようになってきた。自分たちの仕事を否定する勢力の側につくはずがないわけで、左翼の側はそれを裏切りと非難するが、変わってしまったのは左翼の側なので、そのあたりはそんなものだろうと思う。
日本におけるキャンセルカルチャーの問題で取り上げられていたのはオリンピックにおける小山田圭吾さんの降板の件、それからTwitterでのトラブルをきっかけにした日本中世史研究者のテニュア(研究者としての無期雇用)取り消しの件の二つが主だっただろう。まあ雑誌の性質上、一般的な議論の中でこの二つの件が取り上げられていたわけだけど、この二つに関してはちょっと状況がいろいろ違う。
小山田さんの件に関しては背景としてもともとオリンピック招致委員会自体をめぐってオリンピック開催に反対する勢力が森元首相をキャンセルしたわけだが、遡れば国立競技場の設計をめぐってザハ案がキャンセルされているわけで、これはもう完全にある種の政争の一環だった。マラソンの東京開催もキャンセルされているし、ロシアドーピング問題でキャンセルされROCとしてしか参加できず(そういえばウクライナ問題以前いそういうのもあった)、オリンピックという行事自体がある意味満身創痍の状態でなんとか開催された感がある。
小山田さんの件に関しては「いじめ」の問題は以前からネット上で燻っていたが、開会式の演出なども当初のチームが解任されたり終始ごたごたしていて、直前になってサプライズ的に小山田さんの名が出てきたために一気に火がついて炎上・解任という流れになった。この件に関してはネットで語られてきたことと実態とは違うという話も出てきているが、小山田さん本人が弁明しているわけではないので、そのままになっている。ただ、「いじめがあった」ないしは「いじめと呼べるかもしれない事象がないわけではなかった」という推定が覆ってはいないということもあり、その「負い目」から発言しにくいということはあるのだろうと思う。
日本中世史研究者の件に関しては、Twitterで他の研究者を非公開アカウントで「誹謗していた」のがTwitter上でのある論争をめぐって誰がやったのかはわからないけどスクリーンショットが公開され、それが原因で一気に燃え上がり、謝罪したにも関わらず公開書簡で名指しで非難され、それが原因となって大河ドラマの監修を降板しただけでなく、研究者にとっては死活的な重要問題であるテニュア満了による無期雇用の資格が取り消されたという典型的な「立場の弱いものを狙ったキャンセルカルチャー」だったと思う。
私自身は彼のtweet自体は言葉の強い表現もあるが基本的に誹謗中傷にあたるような文言ではないと思っていたのでまず謝罪したこと自体が意外だったが、攻撃側はそれを「差別」と結び付けて攻撃し、彼が反論できない状況の中で一気に状況が悪化した。非公開アカウントのツイート内容を公開するというのは当時のTwitterの状況では「ルール違反」だったと思うが、もちろん法律的に明記されているわけでも判例があるわけでもないので、そのことは指摘する論者もいたが概ねスルーされてしまった。
しかしこのことによってたかがTwitter上での論争が一気に「ルールなき戦い」になってしまった面は良くなかったと思う。SNSでの表現でキャンセルされるというのは以前はバイトで悪ふざけをした青少年の例はあったが、前途有為の学者の将来が断たれるという大事になったわけで、殺すか殺されるかの戦いになってしまったわけだ。Twitter上での議論はTwitter上で解決すべき、みたいな暗黙の了解は完全に踏み躙られ、新たなデュープロセスはまだ成立していない。
私は基本的にはTwitterは自由な言論空間であるべきだと思っていたから、こうしたキャンセルカルチャーの大波に飲み込まれてしまったことは大変残念だと思う。もちろんすでにアメリカでトランプ大統領のアカウントが永久に削除されるなどこうした表現の自由はなくなりつつあったが、日本で完全に「自由な言論空間」の息の根が止められたのはこの件だったのではないかと思う。イーロン・マスク氏がTwitterの現況に異議を唱え、経営に参画したこともあり、状況は改善されるという期待も世界的にはあるのだが。
個人的には中世史研究者の方のキャリアは取り戻されるべきだと思うし、それによって失われる可能性がある未来の業績を強く惜しむ。相手方が妥協しないのであれば裁判で権利を回復するしかないが、一刻も早く正常な研究生活に戻れることを願ってやまない。
三つ目はオカルトの特集で、これも興味深い感じではあったがあまりじっくり読む余裕がなかったが、鏡リュウジさんのインタビューは面白かった。割と研究者寄りの人だなとは思っていたけど、客員教授をやっているとは知らなかった。
月曜日恒例の「鎌倉殿の13人」の感想だが、いろいろ長くなったので改めて書こうと思う。
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