「鎌倉殿の13人」:軍略の天才・アマデウス義経とそれを誰よりも理解するサリエリ梶原

Posted at 22/04/25

4月25日(月)晴れ

いろいろ忙しくてブログを書き始めたのが10時前になったので更新も遅くなりそう。今日は天気がいい。この土日月はいろいろ発見とか経緯が進んだとかいくつかあったので自分なりに考えが進められそうなところがある。でもすでに朝からもう眠い。

「鎌倉殿の13人」第16回「伝説の幕開け」。木曾義仲との宇治川の戦い、平家との一ノ谷の戦いなど、「平家物語」とか「義経記」などではいよいよ本番、佳境に入るというところだが、この大河ドラマの主人公は源義経ではなく北条義時なので、やや傍観者的な視点でこの大いくさを見ている感じが新しい。

冒頭はまだ前回の上総介誅殺の動揺が収まる前の鎌倉。北条時政・義時・八重が揃って頼朝に伺候し、新たに生まれた男児後の泰時に「金剛」と名前をつけてもらう。時政が鎌倉に戻ったことを喜ぶ頼朝だが、時政は義時に上総が誅殺されて領地が分け与えられたのを見て慌てて出てきたという。もしいない時に何か言われていたら大変だと。確かにまあ、仕事が終わった後飲みに行く場にいないとそこで仕事の話が進んだり噂話で何か言われてると困るから行きたくなくても飲みに付き合う、みたいなことはあるわけで、もうヘソを曲げている段階では無くなったということなのだなと思う。

北条政子が御台所としての役割がわかった、御家人から鎌倉殿に言えないことを聞いてやることが必要だというのに対し、牧の方(りく)はとにかく子供を産んで、男なら後継に、女なら輿入れをさせろという。この辺りはいろいろと後で関係してくることなので、まあ種を巻いているということだろう。

義時は上総介の誅殺を引きずって特に頼朝の前では表情が硬いままだが、蒲殿・源範頼が率いる平家討伐部隊が頼朝により指名され、土肥・和田・畠山らが中核となり、いくさ奉行に梶原景時が指名されるが、上総を斬った梶原は皆に敬遠され、特に直情型の和田には嫌われているという描写が後の伏線になりそうだと思った。

先発の義経の部隊と合流した範頼たちは、木曽と戦う軍略を練るが、東国から京都を攻めるときの一つの定型となった瀬田橋(正面・範頼軍)と宇治橋(搦手・義経軍)の双方からの攻め手を決める。「意外にやる」範頼がもう義経に任せっきりなのが面白い。才能のある部下を上手く使える上司という感じだ。義経軍は宇治橋での戦いの戦略を練る際、梶原の提案に和田が「お前のいうことは聞かない」と言い出すが、義時が「梶原殿は鎌倉殿の命でやったのだから、恨むなら鎌倉殿を恨むのが筋というもの!」と断じて黙らせる。この辺り義時もまだ割り切れてない部分がありありだが、今まで若僧っぽかったのが秩序を正す迫力が出てきていて、ある意味での成長を感じさせた。

梶原の提案を義経は否定し、誰かに先陣争いをさせてその隙に畠山が川を渡れと命じ、皆がそれは・・・と言っているのに梶原が「九郎殿が正しい」という。このパターンは一ノ谷でも繰り返され、義経の天才ぶりを誰よりも理解できるのが強要人であり戦術にも自信がある梶原だった、という関係でこの二人が描かれるのは新しいパターンだなと思った。つまりは義経はアマデウス・モーツァルトであり、それを誰よりも理解できるが決して真似はできないサリエリが梶原だということになるわけだ。タイムラインでもうなっている人が多かったが、これはその作劇の意図に気づいたら皆感心するだろうと思う。

それにしても一番の見せ場の「宇治川の先陣争い」を計略だと言い切って義経の説明セリフだけでスルーするという大河も今までにないなあと思った。

宇治川で勝利し京に入った義経は法皇の御前に伺候するが「ゆるりとせよ」という法皇に対し「休んでる暇はありません、木曽を討ち、平家を滅ぼします!」と答えて、法皇は「よういった!」といっぺんに気に入ってしまう。この辺り、木曾義仲の不器用で愚直な忠誠ぶりに鮮やかに対比させているわけで、「頭がいい奴が好き」というこの大河での後白河法皇の性格をよく表しているなと思う。

木曽は落ち延び、巴と別れるが、この秋元才加さんの巴御前の別れの場面はとても絵になっていて、何か言いかけている時に矢で射られて死んだ義仲とともに悲劇ではあるがあっけない最期が描かれた。むしろこの大河では義仲そのものより鎌倉で人質になっている義高の処遇の方が重要になってくるわけで、今回はいわばその前哨という感じではあった。最後の紀行で松尾芭蕉が義仲にずいぶん入れ込み、墓を義仲の隣に立ててもらったというのは熱狂的ファンの本懐という感じで可笑しかった。

京からの知らせが各武将から続々と鎌倉に届き、大江広元や北条義時、比企能員ら平泉の藤原秀衡に備えて鎌倉にいる頼朝のもとでその報告が披露される。大江広元のそれぞれの報告書の評価が人物評としても面白いのだが、土肥や和田はお笑い枠にされている一方、義時は「たくさん書いてあるが何が重要なのか分かりにくい」と真面目な生徒がとにかく板書を写すみたいな評価になっていておかしかった。梶原の実務能力の優秀さと、義経のただ一言の報告がここでも秀才と天才の対比を見せていた。

三浦義村が八重のところに来て娘を預けていく場面で、「一人でも二人でも同じだろ」と言ってタイムラインでヘイトを買っていたのが可笑しかったが、よく昔のおばちゃんが母を失った子を引き取るときに「一人でも二人でも一緒だから大丈夫」というアレと対比してるんじゃないかと思った。ただ、泰時がのちに義村の娘を妻にするということがあるので、その伏線という意味もあるのだろうなと思った。

一ノ谷での鎌倉軍の軍議はまた梶原の提案をニベもなく義経が否定し、その先を述べる義経にまた梶原が賛成するというパターン。義経はさらに法皇に遣いをだして平家に和解を進める院宣を出させようとし、法皇はその義経の提案に喜んで乗る。この辺り、この二人が妙に波長が合うのが逆に義経の悲劇の前振りになるという感じが醸し出されていて面白かった。

安徳天皇にここに兵は来ないから安心してくださいという平宗盛の言葉が終わらないうちに背後の山から降りてきた義経軍に散々にやられ、それを見ていた梶原景時と義時が「八幡大菩薩の化身」と感心する傍観者ぶりが可笑しかったが、まあこれもまたこの大河のスタンスなんだなと思う。

平宗盛の小泉孝太郎さんは小泉元総理の長男なわけで、それがなんだか敗軍の将である平宗盛にピタッとハマってしまうのもどうかと思うが、次男の進次郎さんはレジ袋で味噌をつけていたがどうなるのかななどと余計なことを思ったりした。

いろいろとハイコンテクストに考えさせられることの多い回だったが、次回につながる義仲の死の瞬間の義高、また大姫の幼い恋の場面、義央と別れたときの巴御前の表情、上総介の死を引きずる義時の表情など、また政子、後白河院、そして何よりも生き生きとした義経の、それぞれの「顔」に印象が残った回でもあった。


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