ウクライナ戦役を通じての第二次世界大戦と帝国日本の反省会

Posted at 22/03/19

3月19日(土)曇り

ウクライナ戦役が泥濘期の膠着状態に入り、東北地方の大規模地震の後は春の嵐のような天気で、一方で年度末は容赦なく訪れ、頭も身体もいろいろと追いつかない状態でなんとか動いているのだが、ちゃんと世界の変化についていけているのかがよくわからない。まあ落ち着いて冷静に行こう。

「ロシアのウクライナ侵略」という2022年とも思えないような出来事は、私たちが生まれる前の第二次世界大戦や、それを戦った大日本帝国という存在について、いろいろと考える機会を与えてくれている。正規軍が他国と全面戦争になったという形での「侵略」が起こったときに侵略された側がどのような反応を起こすか、それに世界がどう反応するか。それをわれわれ自身の感覚で受け止め、整理する機会が自分が生きているうちに怒るとは思わなかったけれども、戦争と平和について、起こってしまったことについてさまざまに考察しどう対処していくべきかについて、きちんと考えられる機会になったと思う。想像であれこれ考えたり、本を読んで考えを巡らせたりするのとは違う現実そのものが今動いていて、それに対する自分自身の感情の動きを観察するなどということは貴重な機会として生かされなければならない。それを元に、自分の中の歴史観もまた書き換えられていくべきだろうなと思う。歴史は修正されるというよりも常に更新されていくべきものだ。新たな出来事が起こるたびに更新されるのが不完全な人間のあるべき姿だろう。

ウクライナのゼレンスキー大統領の各国でのビデオ演説は、その国の歴史や文化を踏まえた上で最も聴衆の言葉に届くような事例や表現を使って行われていて、その辺りは只者ではないと感じさせる。アメリカでの演説で真珠湾攻撃の例を持ち出したことで日本では複雑な反応が起こっているけれども、それがウクライナから見たアメリカ人の感情に訴える例として採用されたものなのだろうと思う。「甲の薬は乙の毒」というが、一つの歴史的事実の解釈も国によって異なることは致し方がなく、またそれについて振り返る機会を得たというくらいに考えておけばいいと思うが、プーチンの妄想とロシア軍の泥濘期の苦戦のギャップはヒトラーとドイツ軍は思い起こさせるが、そのような独裁者のいなかった帝国日本の失敗はまた別のことで、むしろシビリアンコントロールの徹底こそが反省点であったと満洲事変以降の歴史を考えて改めて考えさせられる。

われわれにできることはそう多くはないが、できることを一つずつやっていきたいと思う。

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by Luke Peterson

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