ウクライナのしたたかな人々/ゼレンスキー演説:大切なものを守ること、大切なものが守ってくれること

Posted at 22/03/12

3月12日(土) 晴れ

昨日は一つ懸案が解決していて、また別の懸案が一つできたりして、前者のおかげでよく寝られたような気もしていたのだけどこの時間になってまた眠くなってきた。寝てた時間は5時間なので長いのか短いのか。まあもう少し寝ててもよかったかな。

ウクライナ出身で最も有名な政治家といえばロシア革命初期の指導者でありスターリンに追放・暗殺されたレフ・トロツキーであり、またイスラエルの女性首相ゴルダ・メイアになるかと思うが、この戦争によってゼレンスキー大統領がウクライナ史に残る大統領になったことは間違い無いだろう。色々情報が入ってくるにつれ、ウクライナ人という人たちもただやられている可哀想な人たちではなく、勇敢に戦うと共にロシアと対等な情報戦も戦うしたたかな人々であることもわかってきて、今後の展開が特に注目されるようになったなと思う。

ゼレンスキー大統領のイギリス議会での演説は、ハムレットに始まりチャーチルの演説を引用して戦う決意を述べた素晴らしいものだったが、こういう演説で人の心を動かすためには、古典に対する広く深い教養が必要だ。最近古典に関し「実社会でなんの役にも立たない」というような人が増えているが、実際にはそういう言葉で人を動かすこともできないし動かされもしない、そういう意味で少し可哀想な人なんだなと思う。古典を学習することの意味は、日本古典であれば日本に住む人間の横ではなく縦の連帯、年代的にも高齢者から中学生高校生まで、同じものについて感じ、同じものついて論じ合うことができる共通の紐帯を持つことであるし、他国の古典、特にヨーロッパ世界の古典については幅広いヨーロッパの人々との共通の紐帯とさらに縦の歴史上の人々との紐帯を感じることができるもので、そういう縦横のコミュニケーションにおいては欠くことのできないものだと思う。

ゼレンスキーの演説に現れているように、こういうものが必要になるのは平時だけでなく、有事の際にも大きな力を発揮する。そうした古典の生き生きとした解釈や引用は、人の心を深く動かすものであり、また人の心を動かす必要性はまさにゼレンスキーが現在置かれた状況を見ればそれがどういう時かよくわかる。彼はまさに国家の攻防、国民の興亡を賭けて演説しているのであり、そういう時に力を持つのがこうした読み続けられてきた言葉たちであることを、よく示してくれたと思う。

文化を大事にしてきた人々はいざという時に文化によって強い力、強い味方を得られ、文化を蔑ろにしてきた人たちはいざという時に文化によって助けを求めることは難しいだろう。

文化というものは、それ自体が大切なものであるわけだけど、より大きなものを守るためにも大切なものであるということ、いざとなったらわれわれ自身がその大切なものによって守られることを、私たちはリアルタイムで見ているのだと思う。

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