阿佐ヶ谷姉妹の唯一無二の芸の面白さ/日本国憲法前文の「平和の敵」への攻撃性/ウクライナ戦役と日中戦争
Posted at 22/03/03 PermaLink» Tweet
3月3日(木)晴れ
今日は桃の節句。家の玄関に桃と菜の花を花瓶に生けてあるのだが、まだ寒い日が多いのであまり開いてない。花を買ったのはセブンイレブンなのでセブンではずっと温度が高いからかなり開いている。当然だけど気温の差で花の持ちが違うなと改めて思う。明後日が啓蟄。春は近い。
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昨日はなんとなくテレビを見てたら阿佐ヶ谷姉妹をやっていて、面白くて最後まで見てしまった。私は今の芸人はあまり面白いと思う人がいないのでほとんどバラエティとかは見ないのだが、阿佐ヶ谷姉妹だけは妙な面白さがあるのでどこが面白いんだろうと思いながら見てるところはあったが、昨日もとても面白かった。
芸自体は四つ披露されていて、最初のおばさんあるあるネタ、2本目のスタンドマイクの漫才,三つ目の誘拐犯と人質のコント,四つ目が歌。芸も盛り沢山で、渡辺正行と大竹まことのインタビューも良かった。東京乾電池の養成所出身というのはへえっと思ったが、芸の基礎に演劇があるのだと分かるとすごくなるほどと思う。
三つ目の誘拐犯も人質も両方おばさんで二人でボンジョヴィネタで盛り上がるというのが特に二人の資質が出ていて面白いなあと思った。歌とネタの組み合わせ芸だと思っていたけど、こういう小芝居みたいなのも上手い。歌だけじゃないんだなあと。
初期の芸は演劇的にしっかり台本を作ってやっていたというのが丸わかり、みたいなものだったらしいのだけど、徐々に彼女ら自身の持ち味を見つけて芸風を作り上げていった話がインタビューで語られていて、遅咲きだけど唯一無二の芸になったのだなと思う。
それでも、歌えば場が持つ、特に二人で歌えばそれだけで許せてしまうというのは圧倒的な強みだなと思う。それに加えて飄々とした掴みどころのないおばさん芸。これは絶対追随する人がいないオンリーワンの強みがある。女性芸人がおばさんらしく演じるというと上沼恵美子さんとかになるが、あの人は芸人がおばさんを演じているという感じだけど、大竹さんがいうように普通のおばさんと芸人の間というのは誰も真似できないというか真似しようともしないだろうなと思う。芸人の世界で生きてるとあの芸にはならないと思うし、あれは演劇上がりだからこそああいうたたずまいでいられるんだろうなと思う。
ピンクのドレスで地味なおばさん顔のよく似た二人の妙にうまい歌としれっとしたネタ。あれは基礎に演劇があるからあんなにカチッと決まるんだなとようやく分かった感じがした。演劇の応用力を久しぶりに確認できた感じがする。いやほんとに唯一無二の芸だなと思う。
上沼さんは大阪の芸だけど、阿佐ヶ谷姉妹は東京でしか成り立たない人材と芸なのだと思う。それも山の手の。サザエさんと、安田祥子・由紀さおり姉妹を足して2で割ったような感じ。なんというかある意味受けるに決まっている感があるが、誰もできないみたいな感じのものだったのを、なんかやっちゃってるところがすごいなと思った。これからも頑張っていただきたいと思った。
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ロシアのウクライナ侵攻、いろいろ思うところがあるのだけど、池内恵さんの指摘で、ガルージン大使がテレビでロシアの攻撃による被害を全部ウクライナのせいにし、「人をいっぱい殺して、真顔で嘘ついて平然と生きていく人たちの顔を、日本で多くの人が見ることは、社会を変えていくと思う。良きにつけ悪しきにつけ。」と言われているのは本当にそうだというか、そういう人たちが日本の隣にいるという現実は現実として対処していかなければならないということはわかっていかないといけないだろうなと思う。日本国憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」とあるこの文の意味を再度考えないといけないだろうなと思う。この文は逆に言えばそうした「諸国民の構成と信義」を平気で踏みにじる国家が現れた場合は、断固制裁を加えるべきだと書いてあるようにも思える。考えてみればこの憲法を作らせたアメリカ=連合国は平和を踏み躙ったナチスら(もちろん彼らの観点には戦前の日本も含まれるわけだが)との戦いを踏まえてこの憲法を作らせたことは確かなのであって、言外にそうした国々が現れたら断固として戦うべきだ、というところまで読まなければならないと思った。
「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」という文はまさにそれを奪われようとしているウクライナの人々の権利を確認しそれを奪っているロシアを強く非難するものとなるし、「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」という文はまさに日本が今どう行動すべきかの指針になるだろう。
「平和憲法」と言われているけれども、よく読んでみたら「平和の敵」に対してどういう立場に立ちどう対処すべきかは、ちゃんと書かれているのだなと思った。
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もう一つ感じたことは、現代のプーチン・ロシアの行動が、満州事変から第二次世界大戦に至る日本の行動を思い起こさせるところが多くあるということだ。今回中国はプーチンと会談しNATOの東方拡大に反対するという声明を出していることもあって表立ってロシアを非難はしていないが、ドネツク・ルガンスクの独立承認に関しては「満州国ではないか」という疑念が中国の指導部には存在するのだという。それも含めて、ロシアのウクライナへの侵攻は支那事変の勃発から首都南京への進軍などに関してもかなり似ている部分がある。ウクライナ政府の腐敗ぶりなどは当時の国民政府にそっくりだし、中国を舐めて失敗するあたりもプーチンに似ている。満州事変で強く欧米の非難を浴びたというのも、今回のロシアのやり方を見ているとこういうふうに見えるのだな、こういうことなんだなということがよくわかる。
どちらが正しいとか正しくないというよりも、こういうことに関しこういうふうに行動したら欧米国際社会にはこういうふうに見える、というのはまさに日本の進撃をビデオテープで見ているような感じがする。もちろん中国軍の初期の弱さは今回のウクライナとは全然違うし、中国の便衣兵のやりたい放題とかも違うけれども、日本兵を処刑して進撃する日本軍に見せつけるとかは、捕虜のロシア兵をネットに晒してロシア国民に見せつけることとやり方が人道的?になっただけで意図は変わらないわけだ。割と歓迎されると思っていた日本兵たちが中国民衆の激しい抵抗と敵意に出会って戸惑い、士気が下がったというのもよく似ている。
またウクライナは全地域がほぼ平坦だから奥地に篭れることができた中国とは違うが、援蒋ルートを通じて欧米から潤沢な援助を得られたというところも似ている。もちろん違うところは多いけれども、いろいろ思い起こさせる点が多くて、ああこういうことをしてしまったのは大きな失敗だったなあと思うところが多い。
兵士がどこに連れて行かれるかわからずにいきなり前線に行って戦死してしまったとかいう話もよく聞いたし、この辺りも支那事変=日中戦争を思い起こしてしまう。ロシアのやってることがいちいち日本の恥を思い起こさせて鬱になる、とTwitterで呟いている人がいたが、これはよくわかる。
いずれにしても大東亜共栄圏と大ロシア復活という幻想的な大目標や、「ロシアとウクライナは兄弟」と「日本と中国は同文同種」という相手に受け入れられていない価値観などもよく似ていて、ロシアにはロシアの言い分があり部分的にそれはそれでわからなくはないところもあるというのも、日本は悪くなかった、日本にも日本の言い分があるというのと似ている部分が多くて、これはなかなか日本の国際的な評価は厳しかっただろうなというのも容易に想像できる。
だから日本のやるべきことは、そういう失敗を振り返ってその場合どう行動すべきだったかを再検討して今後に備えることがまず必要なことで、また「平和の敵」に対して断固として戦うのはもちろんのこと、どのように戦うのかもちゃんと考えていかなければいけないわけで、それこそがまずは肝腎要の安全保障原則なのだと思う。
左翼のように幻想的な平和主義に逃げてもどうにもならないし、侵略を許してそのまま放っておく、ウクライナは降伏すべきなどと主張するのも憲法前文に照らしても無責任なわけで、しっかりと見ていかなければいけないと思う。これは東京裁判など一連の戦争犯罪裁判についてもどの判決のどこが不当であり、どれは受け入れざるを得ないのかとかもちゃんと検討し直す必要にもつながるのではないかと思う。そこで何ができるかというのとは別に、今後に生かすことにはつながると思う。
そういうのが本当の「国際政治のリアリズム」なのではないかと思った。
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