「ウクライナはロシアの一部」なのか「ウクライナはウクライナ」なのか

Posted at 22/02/25

2月25日(金)晴れ

昨日はロシアがウクライナに侵攻した。色々情報が錯綜していたが、いくつか空港や防空施設が攻撃され、ロシアはウクライナの制空権を握ったと言うようなことをいい、また地上軍も首都キエフに迫っているようだが、基本的に軍事施設が狙われているようだ。

まだ予断を許さないのでなんとも言えないが、昨日考えたことを少し書いておこうと思う。

今回の戦争の背景にあるのは「ウクライナとは何か」ということだなと思う。ロシアにとってはウクライナはロシア史の一部。日本の教科書でもヴァイキングがたてたノブゴロド王国に続き、コンスタンチノープルからキリスト教が入ってきたキエフ公国がその次の段階として描かれている。モンゴルの征服を経てモスクワ大公国が自立し、それが現代のロシアにつながるわけだが、キエフはロシアにとって自分たちの古い都という位置付けだろう。しかしウクライナにとってはロシアは弾圧者ということになる。キエフ公国の後継者はモスクワではなく、リトアニア王国や西ウクライナの公国をその後継者と考えている。リトアニア=ポーランドの弱体化とともにウクライナのコサック国家はモスクワの支配下に入るが、彼らはモスクワに弾圧されてきたという意識を持っている。だからロシア革命後、レーニンはウクライナ人の主張を認めてロシアとは別にウクライナ国家を少なくとも形式上は認めたわけだが、ソ連崩壊後プーチンはそうした見方を否定しようとしているということなんだろうと思う。

ロシアにとってのウクライナ(キエフ=ルーシ)は西欧にとってのギリシャ・ローマと似てる。西欧は自分たちの文明をギリシャ・ローマの後継者と位置付けていて、ギリシャ→ローマ→ゲルマン国家という歴史の筋道が日本の教科書でも教えられるが、現代ギリシャ人やイタリア人にとっては、歴史に横入りされてる、強く言えば簒奪されてるように感じる部分があるのではないかと思う。

これは日本人にとっての漢籍も似たところがある。漢籍は日本人の文明の揺り籠でもあるが、外国文献でもある。漢心と大和心、漢学と国学の対立と協調が日本であったことは、中世・近代には大国ではなくなったギリシャやウクライナと違って中国は概ねずっと強大であり続け、近隣の大国として意識せざるを得なかったところが違うわけだ。

ウクライナはウクライナであってロシアの一部ではない、という主張が日本で理解されるようになったのはつい最近のことだと思う。だから今起こっていることがなんなのか、理解が難しい人は多いだろう。特に日本にはロシアの専門家は多くてもウクライナの専門家はそう多くはない。また日本での世界史教育事情を鑑みてもウクライナ理解が国民レベルで広がっているとは言えないだろう。

しかしロシアが現在は主権国家として承認しあっている国家に対して国連安保理議長国でありながら安保理開催中に侵攻を始めるというのは国連成立後初めての事態で、その衝撃は911にも匹敵するものだと思う。ロシアの行為を非難するのはもちろんだが、一方で事態の推移を冷静に見守り、同じような権威主義国家である中国の動向も含めて、日本周辺の警戒も強めていかなければならないと思う。

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