「人的資産」に投資せず「やったつもりの組織改革」に終始する日本企業/「鮨職人の10年の修行はムダ」と「宇宙開発」

Posted at 22/02/10

2月10日(木)雪

東京の方で雪が降るということで大変そうだなあと思っていたが、今朝になってみると東京は雨のようで、こちらの方が雪になっていてなんだよそれという感じがしている。車検に出して帰ってきたばかりの車が雪に埋もれていたので移動して車庫の中に入れた。朝から雪を降ろしたりかいたり資源ゴミの日でもあったからペットボトルを出したりいろいろ忙しかったがとりあえずヤンジャンを買ってきて家でネットを見ていたらもうこんな時間。

ぼうっとTwitterを見ていても割と発見のある時もあるし、そういう時はやっていて良かったなと思うのだけど、タイムラインを追っていてもろくなことが出てこない時もあり、そういう時は時間の無駄だなと思うのでまあなかなか難しい。でも誰かが書いていたけど「当たりくじをだけ買うことはできない」のでTwitterで何かを得ようとしたら無駄になる時間は必ずあるということだなとは思う。

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「資本主義の新しい形」の読みの続き。2-3-3日本における無形資産投資の停滞 では、アメリカに比較して日本の無形資産への投資が遅れていることがグラフで示されている。

無形資産投資は昨日書いたようにソフトウェアなどの「情報化資産」、研究開発費(科学的R&D)やデザインやその他の製品開発(科学的でないR&D)などの「革新的資産」、企業ブランド形成や人的資本育成や組織構造の構築などの「経済的競争能力」の三つに分かれるが、日本の無形資産投資のグラフを見て唖然とするのは、第三の「経済的競争能力」にあたる部分、特に「人材育成・組織改変投資」がアメリカに比べて圧倒的に少ないことだ。そして無形資産投資の額が有形資産投資に比べてかなり少ない。アメリカが2:1になっているのに対し、日本は逆に1:2くらいの割合になっている。

簡単に言えば、日本は「人的資産」に投資をせず(つまり金を出さず)、目に見えるわかりやすいものにだけ金を出すという状態になっているということだろう。そして頻繁に組織改革がおこなわれているにもかかわらずそこにあまり投資がなされていないということは、「やったつもりになっている表面的な組織改革」しかなされていないということなのだろう。

2-3-4無形資産投資の経済成長・産業構造転換へのインパクト では、「知財集約産業」の重要性が指摘されている。Intellectual Property Right-IndustryはIPR産業と略されているが、日本語Wikipediaを見ると「ファインケミカル、機能性高分子、医薬品の開発やソフトウェアの開発、集積回路の設計、マーケティング、デザイニング、宇宙開発、建築設計、コンテンツ産業」などがこれらにあたるとされている。

また、「知識集約型産業は一般的に高付加価値で先端的な設備を要し、特許法など、知的財産権の保護がなければ存続し得ないため、先進国に多く見られる。専門的な知識、技能を有する人材を要するため、一種の労働集約型産業ともいえる」とも指摘されている。

この本に戻ると重要なことは、これらの「知財集約的産業」はアメリカでは雇用者数が2800万人近く、GDPでは38%、間接的な雇用者まで含めると4500万人を超えているということだ。また韓国でも経済成長の担い手は無形資産集約的な産業になっているという研究が支持されている。労働生産性においても製造業に比べて無形資産集約的産業が差をつけている。

つまり現状、日本の産業の足枷になっているのは「無形資産への投資の消極性」にあるという結論になる。

これはおそらくその通りで、製造業がコモディティ的な生産に陥っている現在では優位性は発展途上国が持っているわけで、特にそこにおいて中国やアジア諸国に日本が敵うことは難しい。彼らは後発国の利点を生かし、その時点での最新設備を導入しているから、老朽化した施設を更新できない日本よりその点においてもはるかに有利だろうと思う。一昔前にイギリスの古い設備を論じていたような話になっている。

それなのになぜ日本は無形資産投資に消極的なのか、ということは次項以降で語られるようなのでこれに関連して考えたことを書いてみたい。

以前書いたが、現在の成長理論では「労働者個人の技能向上」はあまり評価されず、「新しい技術の導入」によって生産性が向上する、という評価になっている。これを日本の実態に当てはめるとどうなるかというと、例えば「寿司職人が数十年修行することは時間のムダ」ということになるわけだ。新しい寿司ロボットを開発してそれが握ればいい、という主張が一部にあるが、これはこうした「理論的根拠」をもっているということになる。もちろん「寿司という文化」という側面から考えれば暴論なのであって、多くの人はその主張に反感を持ったわけだが、彼らの主張がどこからきているのかということを知ることは重要だと思う。

そう考えてくると、そういう主張をするような人たちが「宇宙開発」という「知識集約産業」に熱心なのは同じ文脈から理解できることになる。日本を再び経済成長の軌道に乗せるには産業構造をこうした新しい産業中心に変えていくことが重要であって、未来はそこにしかないという考え方なのだろう。まだ正直子どもの遊びくらいにしか見えないが、偽悪的なポーズでわかりにくいけれどもそういう志があるということなのだいうことは考えておいてもいいと思った。

彼らはそういう方向に舵を切らない日本の産業界に痺れを切らしているのだろうなと思うのだけど、なぜそうならないのかについてはまた考えていかないといけないと思うが、今の時点で気づいたことだけを書いておく。

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