「資本主義経済の構造的な長期停滞」は本当か/まだ十分に統計に反映されていないデジタル企業の実態

Posted at 22/01/30

1月30日(日)曇りというか霧

せっかく書き始めたものがMacBookAirがなんか変な作動をして書いているものが消えてしまった。再起動を一度してみたけどまた飛んだ。どうなっているんだろう。とりあえずこまめに保存するしかないなあ。

普段は朝起きていろいろやって外にも出てから文章を書き始めるのだけど、今日は起きてすぐ机に向かっているので外の様子とか書くことがないのだよな。

***

「資本主義の新しい形」を読んでいる。1-2-2「自然利子率の低下」が意味するもの と 1-2-3なぜ投資機会の喪失が起きているのか の部分について。

この辺りは昨日書いたことに引き続いて「世界経済の長期停滞」について書かれているんだけど、読み始めた時はほんとかなと思いながら読んでいた。というのは、日本経済は確かに長期停滞しているのだけど、世界はそんなことはないと思っていたからだ。

しかしこの本を読んでいるうちに、日本は確かに経済運営に失策・無策があったけれども、世界的にも長期停滞傾向は深刻に受け止められているのだということがわかってきた。

つまりは日本の場合は外国として意識されるのが中国などの周辺の新興国と株価と景気が政権運営に大きく関わってきてしまうアメリカなど、ある意味特殊な事例だからであるということはあるのだなとは思った。

ここからは長期停滞論の話の続き、というか長期停滞論を裏付けるための議論なのだけど、「自然利子率」の低下傾向が続いていることを明らかにすることで世界的に投資意欲が下がっているということを証明しようというものだ。

利子率は実際には様々な要素で決まるので実質金利が経済状況をそのまま反映しているとは限らないとして「自然利子率」というものを考えるのだという。これは完全雇用になった場合(潜在成長率を実現した場合とも言い変えられている)の利子率ということなのだが、ちょっとこの辺はよくわからなかった。

基本的に重要なのは利子率は金融市場における資金の需要と供給によって決定するということで、商品の価格がその商品に対する需要と供給から決定するのと同じことであり、つまりは利子率は「資金の価格」のようなものだということだ。資金が必要とされれば利子率は上がり、資金が必要でなければ利子率は下がる。

「自然利子率の低下傾向」が続いているということは、資金が余っている状態が続いているということになる。これについて研究しているイングランド銀行のレイチェルとスミスの見解は、サマーズの「長期停滞論」を裏付けるものになるわけで、彼らも「貯蓄傾向の高まりと投資の減退」が背景にあるとしているわけである。

貯蓄性向を高める要因として彼らは
 1グローバルな環境での労働供給の低下
 2格差拡大による消費の低迷
 3新興国政府による予防的な資金保全
という要因があるとしている。

また投資が望ましい水準に達しないのは
 1資本財の相対価格の低下
 2公共投資の低下傾向
 3安全資産の利回りと望ましい投資による投資収益率の乖離(信用スプレッド)拡大
があるとする。

つまりは「消費低迷による総需要の弱さ」と「十分な収益性を伴う投資機会の欠如」が原因だとする。

これはつまり世界的なデフレ傾向がずっと続いているということで、ネットを調べていてグリーンスパンがデフレを恐れてバブル状態にまで資金供給をしても景気は過熱せずインフレも起こらなかったと述べていることと重なって、世界経済の「長期停滞」の一つの証拠であるというのはなるほどと思った。

サマーズがこの状況の改善のために金融政策でなく財政政策をとるべき、と主張しているのは意外に思われたが、著者はそれに対し日本でバブル崩壊後に行われた緊急経済対策が功を奏さず、成長率低下の食い止めに失敗したことを例に挙げ、サマーズは楽観的過ぎると主張する。これゆえに著者は「長期停滞状態」にある景気は構造的なものからきているので財政政策によって景気を刺激することはできないとしている。

ここにこの議論が挿入されている理由はよくわからないが、少なくとも著者は単なる財政政策だけでこの苦境を脱することはできない、と考えているのはわかった。

次の項で、著者は成長率の低下、企業の現金保持の傾向、利子率の低下という「全体的な停滞傾向」は、「一時的なものでなく長期的なもの、循環的なものでなく構造的なもの」ではないか、という議論を裏付けるものとして、「労働生産性の低下」を挙げている。

成長率の低下や企業の内部留保の増大もそうだが、労働生産性の低下も「日本企業の弱点」として言われることが多いのだが、これらは全て世界的な傾向だということなのだろう。実際、主要先進国の生産性の向上率は40年間一貫して低下しているという。

これに関してロバート・ゴードンは1960年代のような高度成長は資本主義の常態ではなく、20世紀に一度きりしか起こらなかった唯一無二の存在であるから当然なのだ、と主張している。

というのは、資本主義の経済発展にイノベーションが必要なのは当然なわけだけど、そのイノベーションは第一次産業革命(蒸気機関・道路)1750-1830、第二次産業革命(電気・内燃機関)1870-1900、第三次産業革命(コンピュータ、ウェブ、携帯電話)1960-とあったけれども、「第二次産業革命こそが最も重要」であり、それが1890-1972の高い生産性向上をもたらした、というわけだ。航空機や空調設備、高速道路などの整備も第二次産業革命のスピンオフに過ぎず、そのインパクトがもたらした生産性向上も石油ショックまでで出尽くした、というわけである。

だから先進諸国が再び高度成長を実現することはないし、また新興国の経済成長もいずれは止まってしまって低成長に入ってしまう、と見ているわけである。つまり、「投資機会の喪失」がなぜ起こっているかというと、成長率の爆発的向上は「一度きり」のことだったからで再現性がないから、ということになるわけである。

それだと世界はいずれ低成長状態に入り、それが定着していくということになりそうだけど、必ずしもそうではないのではないかと著者はいうわけである。というのは第三次産業革命で進展しつつあるのは「経済の非物質化」であるけれども、その経済活動の非物質的な側面は経済統計に十分反映されていない、十分に捕捉できていない可能性が強い、というのである。

これは最初読んでいてそんなことあるのかなと思ったが、確かに考えてみると、「非物質的なもの」は現在であっても十分に資産であるとか資本であるとかに換算されてないものはかなり多いということがわかってくる。

いわゆる知的財産権や商標権なども徐々に資産として認められてきてはいるが、例えばまだ商業化されていない特許権や、まだ開発中で特許の申請もなされていない研究などは、経費にはなっていても資産にはなっていないだろう。製品で言えばまだ「原料」の状態の研究内容は、現在の会計制度ではまだ反映されていないと考えるのが妥当だろうと思う。その辺は詳しくないのではっきりは言えないけど、知っている限りではそうだと思う。

Amazonなどは上がった収益を研究開発費にどんどん回すので常に赤字になり、税金を払わない状態が続いていて問題になったことがあったが、研究開発された結果がどんどん製品化されて収益を上げることになることを考えれば、経費だけでなく資産ないし資本としても考える余地はあるわけだ。またすでにシステムの一部として稼働していても、それは外部からは把握しにくい。そうなるとデジタル企業や研究開発に莫大な経費を投じている企業には目に見えない資産に対して課税されていないわけだから、それが妥当なのかという問題が起こってくる。

無形資産は外部から把握しにくく、評価も難しいわけで、結局それはそれが生み出す所得も正確に把握されないことになる。当然ながら実店舗を持つ小売業はそこに固定資産税などが課税されるが、実店舗を持たないAmazonはその負担は最小限しかないわけである。それは税負担の公平性において問題視されているわけである。

実際、GAFAなどの巨大企業は課税を逃れているということは近来強く指摘されるようになってきている。その中の一定の部分はタックスヘイブンを利用したある意味伝統的な課税逃れだが、上記のような会計制度が「資本主義の非物質化」に追いつかないために起こっているという部分はかなりあるだろう。

先日もGAFAを対象にした課税方針についての国際合意があった。これは例えばAmazonが日本やヨーロッパであげる利益がほとんどその国で課税されていないことへの強い不満が反映されたものだったわけだけど、トランプ前大統領も指摘していたようにアメリカでも十分に課税されているとは言えないわけである。

これは逆に言えば、こうした第三次産業革命によるイノベーションにおける労働生産性の向上は、まだ十分に統計に反映されていないということでもあるわけで、そうなるとゴードンの前提自体が違ってくることになる。この生産性の向上が第二次産業革命によるものに匹敵するだけのものになるかどうかはわからないが、実際にはそこに投資機会は存在しているのかもしれないということだろう。

新しいビジネスモデルというのは当然ながら既存のシステム(税制など)を前提としてより優位に立てる仕組みを構築するわけだから、その点において新しい企業は常に古い企業よりも優位に立てるところはある。だから古い企業がそこで新しい企業に負けないためにはビジネスの再構築=リストラクチャリングが必要になるということも言えるわけなのだけど、それも日本企業ではあまり有効な形で行われておらず、人件費の削減すなわち人員削減と雇用の非正規化に頼り過ぎているという問題は大きいと思う。

本来のリストラクチャリングはこういう文脈に従えば新しい知識とそれを作り出す力を持った人材を多く採用してそこを強化していくこと、そういう意味で言えば人件費を増やすことであるはずなのだが、日本企業が伝統的にやってきた「社内で人材を育てる」ということよりも「外部のコンサルタントの知恵を借りる」みたいなことになってしまっていて、この辺りのところも難しい。アメリカならヘッドハンティングのようにその企業で力を活かせない人を他の企業が採用するという形で人材市場もある程度は機能すると思われるが、ウェットな人間関係が支配する日本ではなかなかそれも難しいのだろうなとは思う。

ただそういう問題があるところにはある意味ビジネスチャンスがあるとも言えるわけで、そこから日本ならではの新しい仕組みが構築されていくと面白いなとは思う。

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書き終わるまでにさらに3度ほどエディタが飛んだのでとりあえずシステムをアップデートしてみようと思う。

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