「コンピュータの歴史」のどこが面白いのかと思っていたが、少し調べてみたら面白かった。ヴィジョンが実現していく面白さ。

Posted at 22/01/20

1月20日(木)曇り

今日は大寒。ただ、当地の最低気温はマイナス6.3度でものすごく寒いというわけではない。でも考えてみたらこの気温で「それほどではない」ということ自体、この時期がすごく寒いということではある。体を冷やしすぎないように気をつけているが、少し運動不足になってきているし身体が乾燥してきている感じもするのでなるべく歩いてまた水を飲むようにしないとと思う。

いろいろな本を拾い読みしていて(「IT全史」「<近代の超克>論」「資本主義の新しい形」「絵でわかるマクロ経済学」「経済学は人びとを幸福にできるか」「現代日本政治史」「一流の投資家はなぜ、メンタルを大切にするのか?」「頼朝と義時 武家政権の誕生」etc)なかなか進まないのだが、とりあえず読みかけの「IT全史」を進めることにし、「第六章 コンピュータの誕生」を読んでいる。

コンピュータ以前の計算装置として挙げられているのがチャールズ・バベッジの階差機関・解析機関で、これは構造的に現在のコンピュータの原型になっているという。入力装置・演算装置・外部記憶装置・出力装置からなる構造という意味である。また入力システムはパンチカードが使われている。パンチカードのシステムは私の子供の頃のコンピュータのイメージそのもので、鉄腕アトムなどでもよく出てくる。このパンチカードの開発には詩人のバイロンの娘(エイダ・ラブレス)が関わっていたという説があるという。蒸気機関で機械的に稼働するシステムになるはずだったようだが、最終的には未完成だったようだ。(バベッジは1871年に死去)対数表の作成等を目指していたようだ。

またヘルマン・ホレリスの統計システム(タピュレーティングマシン)は電気的に稼働したもので、1890年のアメリカ国勢調査で使われたという。彼の会社を含む4社が合併して1911年にCTR社(Computing Tapulating Recording)となり、1924年にIBM(International Business Machines)社となったという。

電子的に稼働するコンピュータの開発は1936-46年に飛躍的に進み、1942年に開発されたアタナソフとベリーによるABC(Atanasoff-Berry Computer)は二進法を使う、機械(リレー)を使わず全て電子的に処理する、演算装置と記憶装置(メモリ)を分離するという特徴を持っていたという。(ここはググって調べた)

一般にコンピュータの祖とされているのは1946年にモークリー・エッカート・ノイマンによって作られたENIACで、60秒の弾道を計算するのに手動の計算機を使うと20時間かかるところを30秒で計算したという。ただしこれは重さ30トン、167㎡の面積を必要とし、17468本の真空管が使用された巨大なものだったという。

一方で1945年にヴァネヴァー・ブッシュはMEMEXという「人の知能を増幅する装置」の構想を発表した。彼は戦時中は原爆を開発したマンハッタン計画の科学計画開発庁の最高責任者だったと。彼の構想には現在のパソコンのシステム、大量の情報の記憶と検索機能、ウェアラブル端末、インターネットのハイパーリンクなどに発展するものが含まれていたという。ヴィジョナリーというのはそういうものなんだなと改めて思う。ノイマンなども天才・奇才として有名だけど、この分野では後になってもジョブズとかゲイツとかそうした感じの人が多いわけで、まさにコンピュータは天才たちの遊び場という感じがするなと思った。

「コンピュータの歴史」みたいなものをすごく興味を持って調べてる人たちとかがいて、どこが面白いのかと思っていたが、こうして読んでまた簡単に調べてみるだけでやはりこれは面白いなと思わざるを得ない。

「予言が実現していく面白さ」というのはアイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」を読んだ時の印象に重なる。まだ途中なのでこのくらいに留めておこうと思うが、いろいろなことがあるなと思う。

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