日本の保守主義を誰を軸に考えていくか/イノベーションの時代にアメリカが勝つ理由

Posted at 22/01/16

1月16日(日)晴れ

今日は小正月。うちの地方ではお寺にお布施を持っていく習慣があり、9時ごろに持っていったらまだ用意ができてない感じで10時くらいにすればよかったと思った。本来墓参りの日でもあるからお墓に来る人はもっと遅いということなんだろうか。ちょっとわからなかった。家に帰って一息ついていたら親戚から電話があって母に渡したいものがあるというので取りに行った。少し立ち話をして西友で買い物をして帰った。

昨日は共通テストの東大会場で刃物事件があり、午後にはトンガで海底火山の巨大噴火が発生してなんだか非常事態ではあったのだが、今日はなんとなく用事を少しした以外は大体家で本を読んでいた。

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「日本の保守主義」をどういうものとして考えていくかということについて、なかなか結論は出てなかったのだけど、保守主義の本流は戦前の自由主義者、いわゆるオールドリベラリストからの流れだ、と考えるのがとりあえず最大公約数的に支持は得られるかなという風に思うようになってはきたのだが、それはそれでちょっと警戒感もなくはない。

「戦艦大和ノ最期」のなかである意味批判されてる学徒動員の少尉、みたいな感じがオールドリベラリストにはある。しかし例えば小林秀雄とかを「保守主義」の柱に据えようとすると、そういう感じが一番収まりが良いのだろう。

政治家から保守主義を見るのは少し難しい。石橋湛山を持ち上げる向きもあるのだが、私にはとちょっと軽薄すぎる印象がある。早稲田騒動の時に坪内逍遥に「早稲田のケレンスキー」と批判されてる感じがそのままのちにも残っている感がある。

鳩山一郎は私は評価したい部分が大きいのだけど、結局公職追放になって政治家として脂の乗った時期に吉田からの政権奪回という政争に費やしてしまい、不自由になってから総理大臣にはなったけど本当にやりたいことはやれなかったイメージがある。総理大臣になったから功成り名遂げた感はあるけど、本当の意味では悲劇の宰相なんだろうと思う。

考えてみると無意識に対米自立を目指した政治家は返り討ちにあってる。総選挙に勝利して公職追放食らった鳩山一郎が典型だけど、第4次中東戦争後にアラブで独自外交した田中角栄もロッキードグラマン砲を食らっている。

米中国交回復当時の周恩来とキッシンジャーのやりとりとか見てると当時のアメリカは中国とつるんで日本を棚上げしようという方向性もあったようなのだが、田中はいち早く中国と国交回復に動いたけどこの辺りの動きをどのくらい把握していたかどうかとか疑問もある。

中曽根以降はロンヤス不沈空母で対米協調外交だけど構造競技だのなんだのと経済的には結構やられてどんどん沈んでいった。90年代はアジア通貨危機でどこもかなり大変だったのに、日本以外の国はみんな復活してるのは何故なんだろうか。他の国がみんな中国の傘下に入ったというわけでもないと思うのだが。

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「IT全史」。マルコーニの無線電信からアマチュア無線の歴史になるのだけど、「アマチュア無線の歴史」というのは全く「パーソナルコンピュータの歴史」とか「インターネットの歴史」と重なる、特殊アメリカ的な自由な環境の中での成長にその本質があるんだなと読んでいて思った。

通信とか電波とかいうものは日本やヨーロッパでは国家が管理するものだったのが、アメリカではほとんど規制なく個人が勝手にやっていて、そこで発達した部分がとても大きい。それを考えるとパソコンやインターネットの規格においてアメリカが一人勝ちになったのも当然と言えば当然だなと思う。

これはドローンなどもそうだけどアメリカのような野放図なアマチュアの遊びは日本では許されない。他の国で規制の体系ができてから日本でも規制の元で許可する、という形になる。検索エンジンとかも日本でも可能性はあったはずだが著作権問題とかを盾に日本では開発が事実上できなかった。

これは当局に著作権を守るという意思があったというよりは国家の規制を個人が超えていくことを許さないという姿勢の問題だったと思うし、それは今でも基本的に変わってない。そして国民も基本的にそれを支持してるから、そういう国家の規制が残る分野での自由なイノベーションは日本では難しい。でもこれは日本だけでなく、アメリカ以外の国では概ねそうなんだと思う。

そういう意味では「イノベーションの時代」が続く限りアメリカの経済的突出は変わらないだろうと思う。他の国がやれば国家プロジェクトになってしまうので、役人は本能的に開発者がコントロール外のことを始めることを許さないわけだから。

ただ、ラジオ放送の歴史に関して読んでると、RCAの成立の経緯とかについては国家独占資本主義的なものを感じた。

本来イギリス資本のアメリカ・マルコーニ社がアメリカ資本になってRCAができ、それが設立したラジオ会社がサーノフを中心としたNBCで、それに対抗するCBSができた。NBCのサーノフは広告放送に否定的だったがCBSは積極的で、結局広告放送が主流になっていく。さらに戦時中(つまりニューディーラーの民主党政権期に)NBCが分割されてABCが生まれ、これで三大ネットワークが成立したことになる。

これを読んで思ったのは、アメリカの放送局の成立過程は日本の「国営放送のNHK」と「新聞資本が主導した民間放送」という成立過程とは全然違うということで、そういう経緯がメディア全体のあり方の日米の違いでもあるのだろうと思う。

小ネタで言えばラジオが自動車に搭載されたのは1930年代だったというのはへえっと思った。私は主にラジオを聞くのは車の中なので、90年前と同じことをやってると思うとちょっと感慨深い。

あと、アメリカでイノベーションが盛んになる理由の一つとして、まず始めてみて問題が起こったら直すという可謬主義のやり方があるわけだけど、これはアメリカの哲学であるプラグマティズムが背景にあるというのはなるほどと思った。「間違いを許容して直していく」というのは日本では官も民もなかなか馴染めない方法なので、こういうところもイノベーションの時代には難しいところではあるなあと思う。

これで「IT全史」、第4章無線電信の始まりからアマチュア無線、ラジオの発展のところまで読んだ。この辺の発展もドッグイヤー感あるよなあと思う。あっという間に昔の世界が知っている世界になっていく。

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