電話にまつわるいくつかの話/伊藤博文との電話/グローバル化という名のアメリカ化/声という身体性を持つメディアの力

Posted at 22/01/14

1月14日(金)晴れ

昨日降った雪が少し積もっていたので雪をかこうと思ったがそれほどはなく、箒ではいて路面をあらわにした。時間が経てば溶けるだろう。

今日は朝から忙しくて文章を書く暇がなかったが、「IT全史」を読んで電話について知ったこと、考えたことなどを書いてみたい。

アメリカでベルによって電話が発明されたのが1876年なのだが、その年には伊沢修二と金子堅太郎がベルの自宅で通信を体験しているという。アメリカで電話が事業化したのが1877年(明治10年)で、日本では1890年(明治23年、第1回帝国議会の年)に東京と横浜で事業化されている。つまり、電信は「明治維新の前からある技術」なのに対し、電話は「明治維新後の技術」であったということだ。「原敬日記」だったと思うが伊藤博文と電話で話したという記事があって、確かそれは立憲政友会の設立の頃の話だったと思うから、そういう機密に類する話が1900年(明治33年)ごろには行われていたのだなと確認した。

電話の普及に関しては少し驚いたのだが、1960年時点で日本での電話の普及率はわずか3.9%だったのだという。それでググってみたのだが、住宅用の電話は万博の後の1975年(昭和50年)でも2000万台しかない。当時の世帯数と比して、普及率はどれくらいになるのだろうか。万博の年の1970年(昭和45年)で700万台くらい。当時私の家にはすでに電話があった。自分の記憶の中では結構貧乏だったのだけど、幼稚園の名札の裏に家の電話番号が連絡先として書かれていたのを思い出す。その番号は今でも覚えている。家に大人がいないときに電話がかかってきて出たことがあるが、同居していた叔父からだったのでちゃんと対応したと褒めてもらったのだが、固定電話にはそういう記憶が伴っている。

考えてみると当時の私の家は東京都下にあって都市近郊であったから一般家庭にも十分電話が普及していたということなのかもしれない。大学生の時も下宿の電話は呼び出しだったし、小学校高学年の当時に住んでいた郡部では有線電話はあるけど電電公社の電話はない、という家も結構あった。当時も都市と地方のそういう部分での格差は大きかったから、その表れでもあるのだとは思うが、日本は戦後かなりたっても案外貧しかった、ということも言えるのだろうと思う。友人の社会学者が日本が本当に豊かになったのは1980年代だと言ってそういうものかと思ったが、90年代にはもうバブルが崩壊して再貧困化がスタートしているのだよなと思う。

日本では中曽根行政改革の時期に電話が自由化され、民営化されたけれども長いあいだ国営事業だった。これはアメリカとの大きな違いで、イギリスでも電信事業は1868年に国有化され、ヨーロッパ諸国では通信事業は国営だった。日本でも通信事業は国営で、明治元年に官営の電信事業が廟議決定されて翌年には事業化し、電話も明治23年に逓信省の管轄で官営で始まった。戦後も電電公社が電話事業を統括し、いわゆる三公社五現業のうち国鉄・専売・電電の三つが三公社だった。

通信事業の民営化は行政のスリム化・事業経営の効率化という文脈で語られているけれども、実際には世界的なアメリカナイズという形でのグローバル化によるものだと考えるべきではないかと書きながら考えている。現在の世界の通信を牛耳っているのがアメリカ企業であるGAFAなどの巨大企業であることを考えれば、グローバル化とは世界のアメリカ化であったのだということは確認しておかなければならないと思った。

あと電話について思ったのは、電信に比べて比較にならないほど身近な通信技術であったことで、「声」という「身体」を媒介にしていることが大きかったのだなと思う。このことが電話に「おしゃべりの発見」という「予期せぬ成功」(ドラッカー)をもたらした。これにより電話事業は収益を大幅に上げることになった。「長電話というある種の罪の意識を伴う快楽」は距離の障壁を乗り越えて世界を近いものにしたと思う。これはネットの発展により国際通話が圧倒的に安価になった現在では特に大きいと思う。

電話は今では携帯電話が主流になり、普及率が139.2%と二台持ちの人も珍しくなくなったが、固定電話の世帯普及率は50%を切って、以前のように固定電話が「一人前の条件」ではなくなっているが、やはり事業所などでは携帯番号しか連絡先がないと信用が得られないケースはまだあるだろう。

「おしゃべり=長電話」というのはつまりは「目的の無い会話」であって、だからこそ本当はかなり情報量が多かったりする。目的のある会話では語られない問題の背景や関連する事象がおしゃべりによって明らかにされることも多い。だから警察の取り調べでも「雑談」から情報を拾うことがかなり重要なのであり、人間にとって原初からの身体的なコミュニケーション手段であるおしゃべりが可能になったということが電話の普及の最大の要因だったのだと思う。

現代のSNSは書き文字によるおしゃべりであるが、電話に比べればトラブルの発生確率は格段に高いわけで、そのあたりに人間の一つの限界があるのではないかと思う。書き文字は身体性を感じられないので相手が生身の人間であるというたじろぎがなくなってしまうのだろうと思う。

いわゆるコミュ障というのは相手の身体性に対する拒絶感のようなものが大きいのだろうと思うし、そのあたりは一つのテーマになるかもしれない。

テレビ電話もいいけれどもだんだん疲れて来るから声だけの電話というツールはほどよいものだと思うし、ある種の究極の発明だったのではないかという気はする。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday