「平等=競争社会」か「格差=棲み分け社会」か

Posted at 21/12/06

12月6日(月)曇り

昨日はなんか色々あってバタバタしてしまった。

ただなんとか自分の部屋の片付けはそれなりに進められたのでよかった。大平という人がどういう人かというのは読んでいるうちにだいぶわかってきたけれども、財政についてはやはり緊縮的な思想を持っている人だというのはわかってきた。

第一次吉田茂内閣では積極財政派の石橋湛山が大蔵大臣だったが、大平は棒樫理論と呼ばれる着想を支持者からの手紙で得て、それを石橋に伝えているという。それは樹勢が衰えた樫の木は一度棒のようにほとんどの枝を落とし、そこから再生させないとダメだという考え方だったわけだ。

戦後の緊縮財政といえば昭和24年のドッジラインだが、この時は生産力の弱さに起因する物価の高騰・補助金とアメリカからの援助に頼った「竹馬経済」の問題点などが指摘されて採用されたが、財政黒字は実現したものの深刻な不況をもたらし、下山・松川・三鷹といった国鉄がらみの事件が起こったり争議が厳しくなったりした。しかし昭和25年の朝鮮戦争開始による特需景気で日本経済は息を吹き返すことができた。

しかしもともとニューディーラー(つまり積極財政派)の多かったGHQ内部ではかなり反発も強かったという。

もう一つの占領下の財政政策では税制に関するシャウプ勧告があるが、これは直接税中心主義、所得税の個人課税など現代の税制の骨格を作ったものだが、それに消費税という間接税が加えられたことをどのように考えるかという問題がある。

所得税は累進課税なので高所得者ほど税金の負担割合が増え、格差の是正につながるわけで、「一億総中流」と言われた昭和後期の状況はこのシャウプ税制がもたらした部分が大きいだろう。一方で平成になって導入された消費税は所得に関わらず税率は一定なので逆進性があり、また配当所得や上場株式等の譲渡所得等の税率は約20%で一定なので、こうした所得の多い富裕層に有利な税制になっている。

格差拡大を是とするか非とするかはある意味哲学の問題だが、社会の安定や社会的流動性の確保(特に低所得者層から高所得者になる方向の流動性)のためには格差は少ない方がベターだろう。

ただ、低所得者層も含め、格差拡大を是とする新自由主義的な考え方が案外支持されるのは、所得や生活水準の差がつきにくい社会状況だとかなりの部分がどんぐりの背比べになり、同レベルの人よりいかに少しでも上に行くかといった鍔迫り合いや足の引っ張り合いが激しくなるので、明らかに差がついている方が心が安らかである、と考える人も一定数いるからではないかと思う。

平等社会は裏を返せば競争社会であり、競争に倦む人も出やすいが、格差社会は最初から「実家の太さ」で勝負がついているので、志が高く意思が強固な人でないとそのスタートラインの差を克服することは難しくなる。現在の社会の多様性というのはある意味それぞれの段階の「どこで諦めたか」というようなところでグループ分けが進んでいるように思われ、昭和の頃のようなある意味フラットな「ヨーイドン」の状態ではなくなっている。

私などはこういう社会よりもやる気一つでそう困難でもなく自分の進みたい方向に進める可能性があった80年代の方が良かったと思うけれども、優勝劣敗のように見える現代の格差社会の方が居心地がいい人もいるだろうし、その辺は私が思っているよりもそうなのかもしれないなという気もしている。

ちょっと取り留めもない話になったが、「平等=競争社会」か「格差=棲み分け社会」かというのは社会デザインの問題でもあるし税制や財政の考え方一つで変わってくるところもあるので、実際のところ国民の多数は何を求めてるんだろうなと少し思った次第。


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