秋も深まってきた/中世の日記におけるマウンティングと「それ以上いけない」

Posted at 21/11/13

昨日はいろいろと感情が和らぐこともあり、よかったのだが前夜にあまり眠れなかったためにどうも疲れてしまい、昼食後は横になったら眠ってしまった。起きてからも調子はあまり良くなかったのだが、仕事はなんとかやって夜は早めにクールダウンできたので少し楽になったかもしれない。

今朝起きたのは5時を回っていたので少しは眠れた感じがする。朝色々やることを書き出して車に乗って茅野の方に出かけ、運動公園の近くのコンビニに車を止めて蓼科山や並木道の写真を撮った。いつもは車で通って綺麗だなと思うのだが運転中だから写真は撮れないので、今日は車を止めて撮ったのだが、思ったより交通量の多い道だなと思った。

中世の日記の世界 (日本史リブレット)
尾上 陽介
山川出版社
2003-05-01

 

昨日は尾上陽介「中世の日記の世界」(山川出版社日本史リブレット、2003)をパラパラと読み返し、エピソードの部分を少し読んだ。藤原実資の「小右記」の中に、自分が先任の中納言であるのに時の権力者・藤原道長の兄である道綱に先に大納言に昇進されてしまい、「道綱なんかろくに漢字も書けない、物事の色はも知らんやつのくせに!」などと日記でマウンティングしてるとか、藤原定家の「明月記」でなかなか昇進できないもどかしさや運動したのに叶えられないこと、昇進する夢を見て期待したり、それが叶えられなくて落ち込んだり、みたいな話がたくさん出てくるようだ。

また室町中期の公卿中山定親の日記「薩戒記」には六位蔵人の五辻重仲から聞いた後小松上皇と称光天皇の仲違いの話が書かれていて、その内容は琵琶法師を宮中に呼んで平家物語を聞きたいという天皇の希望を上皇が先例がないと許さない、と言ったようなまあ下らないと言えば下らない話なのだが、「上皇だって身分の低い召次の男を昇殿させているじゃないか」という旨を伝えてくれという言伝の使者に立てようとした貴族がそれを固辞し(そんな役目をされるの嫌だろうな)、さらに怒った天皇が生母に退位するから上皇に伝えてくれと言ったら泣きながら退出してしまったので仕方ないから天皇は自分で手紙を書いて上皇に伝えた、というような話で、それを書き留めた定親は「恐るべし恐るべし、言うなかれ言うなかれ」などと書き記していて、まあこれは現代におけるTwitterの「それ以上いけない」みたいなものだなと思った。

ということで、中世以来人間性というものはまあ進歩はしとらんし昔の人も偉い人ばかりではないということがわかるなど、歴史は勉強になるかもねと思ったのだった。

気温は1.7度。この秋一番の冷え込みだろう。寒いなと思いつつトイレに行ったら電気をつけた途端にバシッと言って電球が切れてしまった。気温に関係があるかどうかはわからないが、冬は色々住宅関係のこういうトラブルは多い。その代わり天気は良くて綺麗な写真は撮れる。長あれば短あり、短あれば長ありと言ったところか。

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by Luke Peterson

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