総選挙について/冷遇される議員と自民党を出たり入ったりする議員

Posted at 21/10/20

いろいろと再建中なので昨日告示された衆議院議員総選挙(第49回)についてもまだ自分の中でどうとらえるのかついていけていないところが多いのだが、新聞や報道を見て思ったことや感じたことを少しだけ書いておきたいと思う。

私の家で取っている新聞は全国紙でなく地域紙(県全体ですらなく県の中部と南部の一部を対象にしたもの)なのであまり全国大の情報が載っているわけではないので、そういう情報はネットから取るか全国紙を買うかしないといけない。とりあえず今朝はまだ買っていないので、そうした状況での感想ということになる。

「平成史」を読みながら、平成の歴史現象の多くは日本という国に住む人々の活力が低下しつつあることを感じるものが多いなというところは感じているのだけど、「まだなんとかなる」ところはいくらでもあると思うので、その辺りのところを中心にこの衆議院選や背後の動きみたいなものを中心に争点というか対立軸みたいなものを後でまとめてみたいと思っている。

それらはつまり「緊縮=財政健全化」か「積極財政=経済活性化」かとか、「行き過ぎた表現を規制すべき」か「表現の自由を堅持すべき」かとか、エネルギー政策(原発再稼働か自然エネルギーかなどをめぐる)や国防政策(軍備強化・米軍との連携のあり方・軍備よりアジア外交とか)のさまざまな意見対立が総選挙の争点にどのように反映されていくか、あるいはそれを目指すかといったことだ。選挙の時こそがそれが最も真剣な議論になるべきところではある。

しかし選挙というものは政策の論争だけでなく、最も生々しい権力闘争でもある。誰に、どの政治集団に権力を任せるのかということをめぐって笑顔で行われる乱戦なわけである。「この人に任せてもいい」「この人には任せたくない」という感情的なもの、あるいは動物的な直感のようなものがそれぞれの有権者に働いて、それが集団的な感情としてある種の実体のあるものになってきて、選挙戦の帰趨を左右することはよくあることだ。

選挙に関して政策論争ではなく人物月旦を行うことはあまり知性的でないと嫌う向きもあるが、選挙が権力闘争でもある以上、そうした人間的な魅力の多寡についても争われているというのが実情であって、特に日本のような国ではそういう傾向が強い。「平成史」は比較的冷静でなるべく公正であろうとする記述が心がけられていると思うが、それでもある程度の人物批評はある。他の多くの「平成史」の記述がその辺りのところが多すぎるのに比べれば相当禁欲的ではあるが、しかしそこを抜きにしては語れないのが政治というものなのだろうと思う。そしてその時の政治や国民の判断の帰趨が歴史を作っていく。

今回気になったことは、というかそんなに大したことはまだいろいろ観察していないのだが、「NHKと裁判している党弁護士法72条違反で」という政党、これはもちろん「NHKから国民を守る党」略称N国が党名をいじったものだが、これを「NHK党」と略した報道を見て、これは両者に取って嫌だろうなと思った。

それにしてもこの党名はどう考えても昨今のラノベの題名並みに煮崩れているのだが、「れいわ新選組」もキラキラネームのようだし「支持政党なし(政治団体名)」はTwitterによくあるウケを狙って失敗したツイートのような感じである。ただこのような党が一定の支持を得ているというのが現状であり(支持政党なしはまだ議員を出してないと思うが)ある種のポピュリズム現象と考えられると思うのだが、この辺りのところはもう少し考えてみたい。

もう一つへえっと思ったのは自民党総裁選で先行する岸田・河野両氏に肉薄した高市早苗自民党政調会長の元夫・山本拓氏(前議員)が定数11の北信越ブロックで21位として名簿に搭載されていることである。2014年、2017年の総選挙では同じブロックの1位で搭載され当然当選しているのだが、今回は19人いる重複立候補の下になっている。今回の比例一位は民進党を離党し前回は無所属で新潟二区で当選しその後自民党に入った鷲尾英一郎氏が比例単独で一位に搭載されている。これは同じ選挙区の細田健一議員との選挙区調整の結果だと思われ、山本氏は弾き飛ばされた感がある。この辺りも権力闘争だろうけれども、麻生派の甘利幹事長が過去に麻生おろしに動いた前歴のある山本氏を冷遇したということなのか、その辺りはよくわからないが続報があると思われる。

もちろんこの総選挙で自民党が北信越ブロックで一定数の議席を確保し、また小選挙区で多くの当選者を出せば重複立候補ではなくなり山本氏の当選もあり得るのだが、状況としてはかなり厳しい感じはする。たまたま地元紙に出ていた北信越ブロックでそういうドラマがあったということは、全国的にもすでにこういう悲喜こもごもはあるのだろう。

東京15区はIR汚職で係争中の自民党を離党した秋元司前議員は結局立候補を取りやめたが、自民党系ではずっと民主党系の野党議員だった柿沢未途氏と都連の推薦を得た今村洋史氏の二人が立候補し、他に立憲と維新の議員、無所属で二人が立候補し混沌とした状況になっている。父親の柿澤弘治元外務大臣以来民主党系と自民党系を往来している柿沢氏が有権者からどういう評価を得るのかがポイントではないかと思う。

まあ、有名な政治家で言えばチャーチルが保守党から自由党へ、また自由党から保守党へと渡り歩いたことはよく知られている(イギリスの議会は日本のような扇形の議席配置ではなく与党と野党が直接面と向かい合って論戦する形式だから政党を移ることは「川を渡る」と表現されるくらい重大なこと)ので、しっかりとした政治的主張をしていけば大成することはあるというのは留保しておこうと思う。

選挙は先に述べたように政策論争と権力闘争の二つの側面があるので、その両面から見ていかないといけないのだが、少し見ただけで観点がいくつも出てくるのが総選挙というものであり、またいろいろ見聞きし考察して書いてみたいと思う。

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