探し物と草刈り/自分を支えるもの

Posted at 21/10/19

少し前になるのだが、地元の少し関係のある美術館が経営的に苦しいということでクラウドファンディングの募集をしていて、私も少しは役に立ちたいと思い多少協力したのだが、そうしたらそのお礼として美術館の年間入場券とコーヒーチケットを数枚送ってきてくれた。

昨日そのことを思い出し、まだ一度も行っていないからもったいないなあと思って送られてきた封筒を探したのだが出てこない。心当たりのあるところを全部見てみたのだがだんだん腹が立ってきて感情が暴走してきたのでとりあえず探すのはやめてご飯を食べ、テレビを少し見て早めに寝た。

心当たりのある違うところを探したりしているうちにそういえば同じような書類を確定申告関係のファイルにしまった(熱海市の豪雨災害のために寄付金をふるさと納税で納めたのでその書類)なと思いつき、朝になって探してみたらあった。その時には自分の頭の中で同じような趣旨だったから同じようなところにしまったのだが、その後の用途は全く違うわけで、それを同じところにしまってしまう頭が問題だなと思ったのだが、基本的に自分の生活や活動を支える「もの」や「金」の管理が苦手なので、そういうところを直していかないといけないなと思った。

自分の活動を支えている1番の根本は身体(生命)だと思うが、社会的にそれを支えているのはそういうものや金(財産)だから、そういうことを疎かにしてはいけないのだが、そういうことを割合苦手にしてきた。そういうものにこだわるから争いが起きるのだ、という無産主義的なイデオロギーがまだ心のどこかにこびりついているということもあるし、フローを多くしておけばなんとかなるというストックよりフロー重視の、つまり自分の金を稼ぐ能力を当てに、あるいは過大評価する思想が管理に無頓着な言い訳になってきているなと思うのだが、サラリーマンではないので収入は増減があり、支出もある程度以上は抑えられないから使えるものをきちんと使えるようにしておかないと(優待・無料引き換え等の券を期限切れにしてしまうこともとても多い)自分の足元を支えられない。

そういうことを軽視するマインドが今回また明らかになったなと思って、その辺はしっかりしていかなければいけないなと思った次第。

とはいえ自分一人でやり切れることには限界があるのでなんとかならないかなあと思うのだが、とりあえずできることからなんとかしていこうとは思っている。昨日はそういうことで裏山の畑に通じる道の藪を払ったり草を刈ったりしていたのだが、急に冷え込んだためか植物の勢いがなくなっていてかなり刈りやすくはなっていたのだがこの夏のうちにほとんどやれなかった部分がかなりあるので決めたところまで進まなかった。

というか、実際に刈り始めてみると気がつかなかったところに枝が伸びたり蔓草がはびこっていたりして手間がとてもかかる。灌木がかなり大きくなっているのもあったからそれを山鋸で切ったり、竹藪が侵入してきていてそれらも1メートルくらいの高さで切ったり(そうすると枯れるという話を先日聞いた)していると体力を使う。足場もしっかりしていないのでこちらが疲れていると危ないから元気のある時だけしかやらないようにしているということもある。天気が良くて元気があって時間とやる気がある時というのは本当に限られているからなかなか進まない。

そんなに長時間やったわけではないのだが思ったより疲れて作業終了後もなかなか他のことに手がつかなかった。

書類整理はまた頭を使うしどのように片付けるかで頭を悩ます(悩ました結果優待券を確定申告書類のファイルに入れるというようなトンチンカンなことをやったりする)のでそれこそ疲れていない時にしかできないのだが、本を読むのはある程度疲れていてもできるので、書類整理は諦めて與那覇潤「平成史」の続きを読んでいた。

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by Luke Peterson

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