伊藤俊一「荘園」を読んでいる。

Posted at 21/09/27

いろいろと忙しいというかめげていたりしてなかなか文章を書いたりするほど前向きに、また集中できる態勢になっていなかったのだけど、とりあえずは一息つけた、のかなという感じもするので、少し書いてみようと思う。






とはいえ、今見てみたら土曜日には更新しているので、全く書けなかったのは昨日だけということになるか。昨日今日はなんだかんだ言って少しずつ本を読んだりマンガを読んだりはしていて、特に伊藤俊一「荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで」(中公新書、2021)を読んでいる。

今は第4章「院政と領域型荘園」に入ったところ。第1章が奈良時代の初期荘園、第2章が摂関期に至る時期。この辺りに気候変動と農地・集落の荒廃と再建の話が絡んでくるところが本書の一つの特徴かもしれない。第3章は藤原頼通執政期の変化と「軍事貴族=源氏・平氏・藤原秀郷流」の成立、免田型荘園、つまり国司の支配を比較的のがれている荘園の成立などについて語られている。

今までの自分の知識と照らし合わせながら読んでいるのだけど、記憶がはっきりしないところやどの呼称が妥当でどの呼称が妥当でないかなど、少し微妙なところがそのままになっている部分はある。ただ思ったのは、長い歴史を持つ荘園の歴史の中で、色々な時期のいろいろな状況がどうしてもごちゃごちゃになりがちだということは読んでいて思った。

もう一つ、いわゆる「国風文化」(これもまた問題のある呼称ではあるが)の栄えた摂関時代が文学史的には一つの頂点、「中古」の時代であるために、この次代の社会状況が一つの完成であると思いがちなところが私などにはあるけれども、古代律令制から中世荘園公領制への流れという大きな状況の変化の立場から見れば、摂関期は「過渡期」として認識される、というのが一つにはある種不思議というかある種の抵抗感を含めて存在するなあと思った。

文学的には後世から見て「古典期」であった平安中期=摂関期が社会制度史的には過渡期である、ということは別に不思議ではないといえばないのだが、まあ捉え方・見方によって歴史は全然相貌を変えるなということを改めて思ったのだった。

まだ途中だが、読み進めていきたいと思う。

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