rei「生きてるだけで、疲労困憊。」を読んだ。

Posted at 21/07/27

reiさんの「生きてるだけで、疲労困憊」(KADOKAWA)を読んだ。というか、今ようやく読み終わったところ、という感じ。


 

この本は小山晃弘さんのレビューを読んで、どんな本なのか読んでみようと思って読んでみたのだが、レビューで書かれていることはもちろん間違ってはいないのだけど、読んだ感想は割と小山さんのレビューとは違うトーンになった。

 

中学までの特別支援学級での生活と、高校での体験、大学での体験、社会人での体験と、恐らくはだんだんより一般的な体験になっていくのだけど、自分が一番刺さったというか、自分自身のことを考えさせられたのは小学校・中学校時代の記述だった。

ここで書かれているのは、「どうやって毎日を生き残っていくか」という子ども自身による生存競争のようなもので、その中で「親の愛情を受けているグループ」と「親の愛情の薄いグループ」に分かれて、仲間で協力しながら生き残っていこう、という感じになっているのにとてもリアリティを感じた。

私自身、子ども時代は「子供は無力なので、早く大人になって自由に生きたい」と強く念じ続けていたから、毎日の生活をそうやって生き残っていこうとする感じが、ひしひしと感じられた。

その「声を上げられない子どもたちの酷薄な環境」に小山さんは義憤の念を表明されるのだが、多かれ少なかれ子供の世界というものはそういうものではないだろうかという感じの方が、自分は強く持った。

黙っていたら大人は何もやってくれないので自分でなんとかする、という姿勢でreiさんはずっと進んできたのだなと思うが、私も子供時代は基本的にはそうやってきたのでそれはよくわかる、というか、自分で選んだ道が実は見当違いだったり、うまく実現してもそれに耐えられなくて逃げてしまったり、みたいなことが起こるのもあるよなあと思った。

パソコンが登場してくると時代が違うので結構そういう共感は無くなっていくので、むしろ今の時代はこうやって生き残っていくのだなあという感じになるのだが、むしろその辺りの方が今の人には共感を持たれるのかもしれないなと思った。

小山さんはやはり理想主義者だなと感じるし、そこからreiさんの生育歴に義憤を感じるのはよくわかる。ただ、さまざまな理由でサバイブせざるを得なくなった子供たちというのは今もたくさんいるだろうと思うし、そういう経験をした人には割合共感されるのではないかという気がする。

読み終えた直後の感想なので、また色々違うことが出てくるような気はするが、とりあえずの感想として書いておきたい。

またTwitterにも書いたのだが、こうした本がKADOKWAから出されているのは意義があることだと思うのだが、現在の社長の夏野氏が表現規制を行うような口ぶりをしていることからも、こういう本が出されにくくなっていくとよくないなあと思ったりもしている。表現規制は、いろいろな意味で社会の困難を助長させるような気がする。



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