人間は自由だ

Posted at 21/06/17

ツイッターで書いていて思ったが、最近、「人間は自由だ」ということをあまり言わなくなった気がする。それは世間一般のぎすぎすした空気ということもあるし、このコロナ状況の中での「自由のなさ」に対する意識の表れでもあるかもしれないが、「自粛」を「強制」であると捉えている人が多いからだろうなという気もするし、「自由なんて絵に描いた餅にすぎない」という感覚が行き渡り、「人間は自由だ」という主張が「お為ごかし」と捉えられるようになってきているということがあるのかもしれない。

「じょうずに生きる」「じょうずに考える」「じょうずに買い物する」「じょうずな投資」「じょうずなパートナー選び」みたいな何でもかんでも「じょうずにやらなければならない」みたいな感じがとても強くなっていて、「自由に生きる」「自由に考える」「自由に買い物する」「自由に投資する」「自由にパートナーを選ぶ」みたいなことは危険思想、みたいな感じが感じられるのは、ちょっとうざったい感じがする。

まあ、「下手を打たない」「下手なことを言わない」「下手な振る舞いをしない」「下手なことをツイートして炎上しない」みたいなことを過剰に恐れるようになって、試行錯誤とかそういうものまで「やってはいけないこと」みたいになってきている。もともと日本の官僚制の無謬神話みたいなものの縛りが日本にはあるので、そういうものがより一般化してキツくなってきたというところもあるのかもしれない。

しかし、根本のところで人間は自由に生きないと精神は死ぬので、本当は割とどこかで自由なことをやってるのではないかという気はする。規制が厳しくなるとそういう自由の現れは「外飲み」みたいな現象としてはバグとしか思えないような感じで出てくるのは実際にはあまりよくないと思うが、まあそれが人間というものなんだろうなとも思う。

自由に行動するのは自己責任、みたいな感じもあまり感じは良くなくて、失敗してもそのツケを払ったらもう一度自由にやり直せることが必要だなと思う。ただ、その許容力が社会全体で下がっているのはかなりきついなと思う。

結局自由があまり重きを置かれないのは、全体として社会経済がきついから社会全体に余裕がないということなんだろうなと思う。自由を拡大できるような経済を刺激し活発化させるような政治はまず必要だろうなと思う。

自由に考えることでよりじょうずに考えることができるようになる、という面もあると思う。自由についてまた考えてみるのも良いかもしれない。

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