「進撃の巨人」とはどういう物語だったのか

Posted at 21/06/11

※以下の記述は全34巻における内容を前提としたものなので、いわゆるネタバレを嫌う方は作品をお読みになってから読んでください。




「進撃の巨人」が完結した。最終話が掲載された別冊マガジンが発売されたのが4月9日、そして最終巻34巻が発売されたのが6月9日。最終話の後にもいくつかの議論があり、それもあってか最終巻には始祖ユミルとミカサの会話、というかミカサが一方的にユミルに語りかけるだけだが、それでも「起こらなかった過去」が描かれているのはユミルからの返答でもあるのだろう、と最終コマの後に4ページが追加されて、より物語の主題の考察がしやすいような構成になっていた。

つまりはこの物語は、人間を巨人にする奇妙な生命体と合体した始祖ユミルが、暴虐の最愛の王・フリッツへの愛のために、王を「愛ゆえに守って」死に、世界を破壊し支配し続ける、つまりそういう「愛の呪い」が2000年間解くことができず、そして2000年後に「暴虐の」最愛の恋人・エレンを「愛ゆえに殺す」ことのできたミカサによってその「愛の呪い」が解かれた、という物語であったわけだ。

つまり、第1話のサブタイトル、「二千年後の君へ」の「君」とは、ミカサのことだったのだ。

現実には「愛のために」始祖ユミルは王を守って死に、あろうことか王は娘たちにユミルの死体を食わせることによってその巨人化する能力を継承させ、さらに「九つの巨人」が世界を支配する道具としてエルディア帝国を繁栄させ、そしてそれに絶望した「壁の中の初代王」がパラディ島に引きこもって束の間の繁栄を享受するが、巨人化能力を支配することを可能にしたかつての敵国マーレによってパラディが滅ぼされようとする、というところから「進撃の巨人」の物語は語られ始めたわけである。

しかし、単行本で挿入された始祖ユミルとミカサとの「会話」の中で、ユミルは王を守ることなく娘たちを守り、そして王は暗殺者の槍によって息絶えている。つまり、「巨人の物語」そのものが起こらなかった、消滅した話になった、というわけである。

しかし、これは平行世界の物語ではないので、たとえ物語の起源が消滅しても、「すでに起こったこと」は無くならない。ただ、巨人の存在が世界から消滅しただけである。

34巻の長大な物語の中で、話が二つに分かれるのは22巻のラスト、エレンたち調査兵団が初めて「海を見る」場面で、それまでの物語は「人類対巨人」の戦いの物語だった。そしてその巨人の謎の大要がエレンの父・グリシャの手記によって明らかにされたことで、23巻からはマーレ編、つまり「パラディ島対世界」の戦いの物語が始まる。前半では「人類の希望」であったエレンが、後半では「世界の敵」になる。

しかしこれは、巨人が世界にもたらした災厄を終わらせ、またパラディ島が世界によって滅ぼされないようにするためにエレンと始祖ユミルが展開していく物語でもあった。エレンは「地鳴らし」を発動することで、世界を踏み潰していく。それは「パラディ島を守るため」であることが宣言される。しかしアルミンやミカサ、ハンジたちは世界を守るためにエレンを止めようとする。

しかし容易なことでは地鳴らしは止まらず、シャーディスやマガト、ハンジたちが英雄的な死を遂げる中でアルミンたちの追跡は続き、ついにミカサによってエレンが殺されることで地鳴らしは止み、巨人は消滅するわけだが、この時にすでに人類の8割は踏み潰されていた。

この「人類の8割の死滅」が論議になったわけだが、つまりはエレンとユミルの「戦略」は、パラディ島が滅ぼされず、人類もまた滅びないためには、パラディ島出身のアルミンたちが英雄的な行動でエレンおよび地鳴らしを止めることが必要だ、ということであり、そして巨人の能力が消えた丸腰の世界の中でパラディ島が生き延びるためには、「勢力の均衡」が必要であるという厳然たる事実があって、そのためには人類の8割の死滅が条件になった、ということになるわけだ。

そしてその和平に説得力を持たせるためにはアルミンたちに「世界を救った英雄」という地位を与えることが必要であり、そのために彼らに「自由」を与えた、ということになる。

だから、愛と呪いと憎しみと暴力が生み出した「巨人の力に支配された世界」を終わらせるだけでなく、世界に「平和」をもたらすためには「愛ゆえに暴虐の恋人を殺すことができたミカサ」の存在と、「世界を守るために仲間とですら戦い、そしてその説得力を持って理性と話合い、そして友情の力によって世界に平和をもたらすことができる力を持ったアルミン」の存在が必要だったわけである。

流れの中で、しかし自らの意思を持ってパラディ島の女王になったヒストリアからの手紙で戦いは終わらないかもしれない、「それでもエレンはこの世界を私たちに託すことを選んだ。今私たちが生きている巨人のいない世界を」と語り、アルミンが「戦いは無くならないよ。でも散々殺し合ったもの同士がなぜパラディ島に現れ平和を訴えるのか」その物語を伝えることで、戦いを終わらせよう、と語る。「エレンを止めるために」フリッツやダズらを殺さざるを得なかったが、逆にパラディを滅ぼしにきたライナーやガビたちと共に命をかけて戦った。それがあってこその友情でもあるわけである。

連載ではその結末が語られないままになっていたが、単行本で追加されたコマの中ではその後のパラディ島の発展が暗示され、その中でミカサが平和に年老いて死ぬ描写があって、彼らの試みは成功したように見える。しかしすぐ次のコマで同じ場面が戦争に巻き込まれ、瓦礫に帰す場面が描かれて、「例え巨人がいなくなっても戦争は無くならない」ということが示される。

しかしエレンの眠る「昼寝の木」はその後もそびえていき、遥か未来に犬と共に訪れた少年が見たその木には、巨大なうろがある。このウロは、始祖ユミルが逃げ込んで、巨人の力を持つことになったあの生命体が潜んでいた巨大な穴とそっくりである。人類は再び、戦争だけでなく巨人の力に呪われることになるのか。というところで全編が幕となる。

「物語の奴隷」という言葉があるが、主人公エレンは物語を進めるために自由に行動できないという束縛があると、作者の諫山さんが発言しているのを読んだことがあるが、ここまで読み進めてくるとミカサやアルミンもまた、ある意味物語の奴隷であったことがわかる。しかし、エレンがどういう人間かがアニメで梶裕貴さんの声が当てられることによってつかめた、と語っていたけれども、他の主人公たちも物語の中でどんどん自由になっていってそのキャラクターでしかできない行動を取るようになる。

中でも最も感動したのは「どうしてもエレンを殺せない」ミカサが、エレンを殺すことを決める場面で、エレンが見せた夢の中でエレンと逃亡したミカサに、エレンが「俺が死んだらマフラーを捨ててくれ。俺のことを忘れて自由になってくれ」と言われて、現実のミカサが「ごめん。できない」とマフラーを巻き直し、エレンを殺すことを決意して迷いなくエレンの首を切り、そして首だけになったエレンの唇にキスをする場面だ。こんなに愛しているのに自分のことを忘れてくれと言ったエレンの首を切り、そしてキスをする。こんな残酷な愛があるだろうか。

この場面に至る長大な物語であったとも言えるし、愛と欲望と呪いに満ちた世界から理性と合理の世界を作るための英雄譚であったとも言えるし、しかしまたその理性の世界も所詮は一時的なものであり、世界はまた太古の静かな自然の闘争の世界に戻るかもしれない。

人類の8割を殺す物語、というのはポリコレ的な人々に好まれる物語ではないが、人類はもともとポリコレ的な存在ではないので、むしろ根源的なポリコレ批判であるとさえ言えなくもない。しかしこの物語はそんな矮小なものではなくて、語られるべき人類が直面し苦悩し行動してきた多くの物語、多くの主題が無尽蔵に内包された、偉大な物語の一つなのだと思う。




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