「ことばは国家を超える」:言語ジェノサイドに負けない「ことば」の可能性について
Posted at 21/05/29 PermaLink» Tweet
私は言語学というものにはもともと馴染みがない、というより中学の時点で英語が苦手になってしまった私にとっては最も縁のない学問であるという気持ちが強くあり続けたが、この本を読んでみてそのあまりの人間臭さに言語学というものに返って興味を持ったというところがある。
この本は著者が何か体系的なことを伝えようというメッセージであるというよりは、著者の言語学者としての履歴を振り返りその中で感じてきた様々な思いの丈をそれぞれの章で述べているという感じがある。言語学は素人の自分にとってはそれぞれ大変興味深く、もう少し読んでみたいところはいろいろあるのだが、先人の言語学者たちに触れているところにおいては一面辛辣に見えるような批判もあり、その辺のところがまた大体は「それ以上いけない」という制止を自分にかけてストップしている感があってつい「もっと言ってくれよ」と思ったりしてしまうのが恐らくは著者の思うツボなのだろうなという気はした。
全体としてはウラルアルタイ語の類型学的な方向からのアプローチの重要性を説いている内容なのだけど、一つにはそれはインドヨーロッパ語の音韻的なアプローチからの「科学的な言語学」に対する批判のようなものがあり、ひいてはその背後に印欧語(屈折語)がウラルアルタイ語(膠着語)より高級な言語であるというヨーロッパ人の無意識のエスノセントリズムを批判する視点があるというのも面白かった。言語に貴賎がある、などということはかなり早い時期に考えなくなっていたので、というか私自身がそういう意味での文化相対主義の中で育ってきているということなのだが、先端の言語学の中でもそういう差別意識のようなものが内包されているのだという意味での「人間臭さ」には興味が持てた。
一方で現実の研究や調査の中ではウラルアルタイ語の広大な分布地域のほとんどは屈折語のロシアと孤立語の中国によって支配されているという現実とどう向き合うかという重い問題があり、現実に中国共産党政府によるモンゴル語弾圧政策なども今まさに課題になっているわけで、しかしその背後には「野蛮な言語であるアルタイ語より文明語である中国語を学んだ方が本人たちにとってもプラスである」というある種の啓蒙思想があるわけで、フランス革命の地方語を弾圧する思想と同じことが今行われているということもまた「啓蒙主義の野蛮さ」みたいなものを見ていかないということも思った。
著者は学会などにおいてもそうしたロシアや中国の政策についての批判を忌憚なくやっている方のようなのだが、それに対しては服部四郎氏の亡命タタール人の奥さんから批判されたようなのだが、しかし実際には奥さんは満洲国に亡命したタタール人たちがタタール語で発行していた新聞を10年分すべて大切に保存していたというエピソードが語られていて、そういう思いの共通性のようなものに関しては胸が熱くなるところがあった。
一方で弾圧する巨大国家の側でもロシアは伝統的に西欧派とロシア派、ないしユーラシア派の対立があり、ユーラシア派の中には強く受けたアルタイ語族の影響(印欧語であるロシア語に冠詞がないとか・これはラテン語にもないので関係ないかもしれないが)も「タタールのくびき」としてマイナスに捉えるよりは積極的に評価していこうという考えもあるようで、中国よりはロシアにおける方がアルタイ語の研究はずっと進んでいるようだ。
この本の題名を私はつい「ことばは国境を超える」と間違えて覚えてしまっていたのだが、それは割と「国境を超える」というステロタイプな表現に自分も毒されていたのだなと思ったのだけど、「ことばは国家を超える」という題名の真意は、「ことば」というのはウラルアルタイ語のことであり、「国家というのはロシア(ソビエト)・中国」というアルタイ語を弾圧する国家を指していて、現実に今でもアルタイ語の現地調査は言語ジェノサイドを行なっているような国家とどう折り合いをつけてやるかという重い課題がある中で、「でもことばは現実の国家を超えていくのだ」といういわば「持続する志」のような熱い思いを込めた表現なのだということに気づき、感じ入ってしまったのだった。
この本の内容を本当に理解するには自分には言語学的な知識が決定的に不足しているなということを改めて思ったのだけど、興味を持つきっかけとしてはとても良い本だったと思うのだった。
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