イデオロギー

Posted at 21/05/11

最近思うところがあり、というか「小林秀雄の政治学」を読んで、イデオロギーというものについて考えるところがあり、自分が最近付き合っていたのもこれだなということを改めて思って、これからはちょっと物事に違うアプローチをしていこうと思った。

小林秀雄の政治学 (文春新書)
中野 剛志
文藝春秋
2021-03-18

 

現在猖獗を極めているイデオロギーは、ポリティカルコレクトネスやフェミニズムが最右翼であるけれども、それだけではなくて多くのイデオロギーがスローガン的に用いられていて、知らず知らずのうちに我々の思考を縛っている、というか不自由にしている。

イデオロギーというものあそれを使うとある種の魔法の切れ味のような威力があって、自分の力が強くなったような気がしてしまうが、使い続けると自分の力が衰えて、自分自身の力では行動できなくなるような、そして自分自身がそのイデオロギーを封じる運動体に取り込まれてしまうような、まあそういう危険性を持ったものだなと思う。

それに関してはおそらく保守というものもそうであって、保守というもののイデオロギーは左翼のように記述された体系的な設計主義的なものではなく、フェミニズムが反男性、ポリコレが反伝統主義であるとしたら、反・反男性、反・反伝統主義みたいになることは多い。もちろんそれは理由があってのことなのだが、世の中の動きというのはそういう表に出てきたところだけではなく、もっと粛々と動いている部分もあるので、その辺りのところをもっとちゃんと見ていく、考えていく、感じていくことが必要で、イデオロギーの厄介なところは、全てがイデオロギー対立のように見えてくる、そして実際にもともとそういう話ではなかったところにイデオロギー対立が生じるというところがある。

政府がなんとしてでもオリンピックをやろうとしているのもどうかとは思うのだが、それに反対するあまり出場が予定されている選手の人たちに「出場を辞退しろ」と脅迫するのはやはりまともなやり方ではないだろう。そういう人たちは最初は左右どちらにもいたのだが、左翼側が反五輪ということで気勢をあげ始めるとあっという間に左翼の人たち、特に中年男性の有力な左翼アカウントのかなりの部分がアスリートに対して出場辞退を求める声を上げ始めた。これは今みたところは少し収まった感があるが、少しどうかしているのではないかと思うようなことでもやってしまうところが怖いところではあるなとみていて思った。

こういうのをみていると普段からそういう危ない考えを持った人なのかと思ってしまうが、恐らくは私がフォローした時にはもっと有用なことをいうまともなアカウントだったと思うので、それはやはり何かイデオロギー的なものに浮かされてしまったのだろうなと思う。

正直言って、コロナ禍で大変な思いをしているのは誰も同じだ。個人的にはオリンピックはワクチン接種が進んだ来年であれば開催は可能だと思うので、また各所の調整が難しくはなるけれども、もう一年延期するのが良いのではないかと思う。もちろん私の見えていないところでの困難はあるだろうから絶対というわけではないが、来年もっとおおらかな気持ちで開催できると良いと思う。

私個人の話としては、「日本の保守思想」というものをもう少し体系化して強度を持てるようになるといいなと思っていたので、そういう方向で過去の保守思想についても調べていたのだが、だんだんどうもこれでいいんだろうかという思いが強くなってきていて、そういうところで「小林秀雄の政治学」を読んだので、自分がやろうとしていたのはつまりは「個人の思想」というよりは「保守主義というイデオロギー」の強度を強化しようというだけのことになるんだなということに合点がいって、これはひとまずやめておこうと考えるようになった。

小林秀雄に関しては今まで文学について、つまりは社会よりも個人を指向するものとして読んでいた部分が強かったのだが、著者の中野氏が「文学は個人について書くことで人間の集合体である社会も描くもの」であり、政治は「社会の動きについて研究することで人間に迫るもの」だということを書いていて、つまりは小林は「人間とは何か、人とはどういうものなのか」という問いに文学という側面から迫ることを選んだに過ぎず、政治という側面から人というものに迫ろうとすることを否定したわけではないのだなということを自分なりに理解したので、より大きなスタンスでこの人の思想に迫ってみたいという気持ちにはなった。

まあ言えば個人と社会をアウフヘーベンした「人とは何か」「人間とは如何なるものか」みたいな視点の存在に気づいた、ということではあるのだけど、まあ気づいたからといってすぐに論じられるものでもないので、ちょっとそのための足場を作るためにこんなことを書いてみた。

イデオロギーとは小林秀雄の言葉で言えば「意匠」である、というのは中野氏のいうところではあるが、その理解は妥当だと思う。自分が「さまざまなる意匠」の一つである保守主義に拘泥しても、ちょっとあまり意味ないんじゃないかな、という気がしたのはそういうことであるわけだが。

思想を深められるのは個人だけであって、政治というものは否応なくシステムや数値で測られていく部分がある、というのはその通りだなと思った。そういう政治について論じるのも意味はあるのだけど、もっと今の自分がやって意味のあることは他のことかもしれない。

ただちょっと、実際のところ本当にイデオロギーに頼り過ぎていたなという感覚が自分の中にはあって、自分自身を立て直していかないとまずい状態だという気はするので、しばらくはややリハビリ的な内容を書くことになるかもしれない。




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