「自由に生きる」ことと「自然に生きる」こと
Posted at 21/04/21 PermaLink» Tweet
寝床の中で考えていて思ったのだが、自分は「自由に」生きたいのだろうかと。自由という言葉はいい言葉なので、割とスカッとするし憧れもするんだけど、でも本当に「自由に」生きたいのだろうかと考えてみると、どこか引っ掛かりがあるような気がしていた。
で、寝床の中で思ったのは、私は「自由に」生きるよりもむしろ、「自然に」生きたいと思っているのだということに思い当たった。
自由に生きることと自然に生きることの違いは、自由に生きるには「意志」が必要だが、自然に生きるには「意思」が重要だということだろうか。意志を持続して持ち続けなければ自由は実現できないが、意思を臨機応変に変更しなければ自然は保てない。似ているようで割とスタンスは違う。
大きい目標を実現するには意志が必要で、ただ目標実現のために最短ルートを取るためには臨機応変さが必要な訳だから、これは両方とも必要だという面もある。意志だけでは頑なになり脆さが出てくるので柔軟さが必要だが、機会がないからとベタオリを続ければ目標は実現できない。まあこの二つは適度にミックスする必要があるのだろうと思う。
最近の社会の傾向は、杓子定規になんでも初志貫徹をすることが正しいような風潮が強く、戦略的転進のようなことができない個人や集団が増えている気がする。運動などは特に意志を共有することが必要なので、そこは共有できても柔軟さが共有できないことが多くて往々にして頓挫する、みたいなことが起こりがちである気がする。
まあ、「自由に生きたい」か「自然に生きたい」か、みたいな選択肢で言えば、実際のところはフェミニストと自称しているような人の中にも意志的に自由を選択するというよりは「自分らしく自然に」みたいな感じで自然に生きたいと思ってる人の方が実際には多いのではないかという気もする。障害者運動の人などもそうだろう。ただそれを他者の既得権等を侵害しながら実現しようとすればそれは闘争にならざるを得ないだろうと思う。
自由に生きることだけでなく、自然に生きることだって、人のことを考えず他者の権利や利益の侵害の上にそれが成り立っているなら、それは要は「万人の万人に対する闘争」であり、ホッブズの言う「自然状態」になる。自然だけに。やはりそれは望ましくないだろう。
「自由に生きる」と言う前提に立てば、それはどうしても闘争にならざるを得ないが、結局は超個人的な存在である「政府」に自らの自由の一部を譲渡ないし信託し、法というルールを作って行動を制限し、他者の権利や利益の侵害をなるべく防ぐと言う方向にいかざるを得ない。
しかしそうなると、今度は「ルール作り」「その運用」が闘争の対象になるわけで、これは正直「永遠の闘争」になる。フェミニズムや障害者運動の人たちがやっているのはそう言うことだろうと思う。
自然に生きると言うのは現実社会の中で折り合いをつけながら自分の生きたいようにやりたいように生きることを実現していくしかないので、闘争よりは相談や交渉その他の工夫でそれらを実現していくスタンスになるだろう。車椅子の人も身長が低いのを利用して子ども料金で映画を見たとかそう言う話があったが、まあこれも臨機応変と言えば臨機応変で、多分結構昔の日本人は割とこれくらいのことは普通にやってる人は結構いたんじゃないかと思う。それを「融通がきく」と称していた。
今はそう言うのはだんだんダメになってきていて、社会全体がコンプラ化してきているわけだが、そうした厳格化は闘争の有効性をより高め、相談や交渉の余地を少なくするわけだから、あまり促進しすぎない方が暮らしやすいとは私は思うけれども、逆に発達障害などがあって法は理解できるがそうした「融通」の部分が理解しにくい人などにとってはコンプラがちゃんとしてた方が理不尽を感じなくて済む、と言う側面もあるんだろうなと思う。
自由という方向性をあまり突き詰めていくとおそらくは、「闘争と法とコンプライアンスが絶対」という社会になっていくと思うのだが、多くの人にとってそういう社会は望ましいだろうか。「相談と慣習と融通無碍で乗り切る」という方が暮らしやすいような気は私はする。
昔ながらの言葉で言えば前者は「漢意(からごころ)」、後者は「大和心(やまとごころ)」ということになるのだろうと思う。まあどちらの体制においても権力者というものは出て来るわけだが、前者では「厳格な酷吏」型の権力者が、後者では「なあなあでよっしゃよっしゃ型」の権力者が出て来るとは思うが、どちらが庶民に人気があるかはまあ一目瞭然だろうとは思う。
自由を重視する人は、現実にある社会の伝統と慣習を不自由な足枷と感じ、それを破壊することが自由を実現することだと思っていることが多いと思うけれども、保守主義というものは結局は「不自由に見える社会の伝統と慣習の意味や価値」をもう一度見直してみませんか、ということだと思うわけである。
私は基本的に感覚的な人間だなと思うので、意志で突っ走るというのはみていて危ないなと思うことが多いし、やはり自然な臨機応変さが必要だなと思う。一念岩をも通す的な意志も必要な場面はもちろんあるのだが、その岩の上で風を感じながら臨機応変に方向を見直していく自然さもまた、その価値は見直されていいようには思う。
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