体調回復期に読むべき本は何か:今日の答えは

Posted at 21/04/17

体調がだいぶ戻ってきた。頭も体もだいぶスッキリしてきた。さて、本でも読もうかと本棚に手を伸ばしてみるが、ハイエクやオークショットはどうも気持ちが拒否するところがある。ここしばらくお腹の具合が悪かったのも、この辺の本を読んでいてなかなか消化できず、消化不良状態が続いたせいだなと思っていたので、そういうの見下しにも消化にも時間がかかりそうな本ではなく、もっと消化に良さそうな本を、つまりは幼児の離乳食とか病み上がりの病人食のお粥のような消化のいいものを読んだ方がいいなと思い当たった。

しかし、どんな精神状態の時でも気軽に読めるもの、というのは必ずしも多くはない。私は、普通の時なら歴史の本なら大体いつでも大丈夫なのだが、今はちょっと重い感じがして受け付けられない感じがする。

Twitterも日課のように読んでいるが、今はタイムラインで話題になっている程度の話でも読むのがうざったい感じになっていて、こういう時には何を読もうかとしばし思案をする。

マンガなら読めそうなものだが、こういう時は結構少年マンガなどでも「何者かになりたい!」という欲望を感じて食傷したり、「誰々を救わねば!」みたいな使命感の重さを感じてちょっと今は、と思ったりする。

考えてみると、なるほど、こういう時はただ単に可愛い女の子がたくさん出てくるハッピーラッキーキャッキャうふふマンガとか、イケメンラッシュアワーみたいな作品が、慰撫目的で読まれることになるんだなと納得したり。

ただまあ、それはそれで面倒な部分もあるし、さてどうなんだろうと思いながらもう一度本棚を見て、礒山雅「モーツァルト」を見つけた。この本はだいぶ前に買ったのだけど、まだ読んでない。こういう本は結構ある。モーツァルトの明るさみたいなものなら受け付けられるかなと思ってちょっと読み始めた。

モーツァルト (ちくま学芸文庫)
礒山 雅
筑摩書房
2014-06-10



「三度にわたるイタリア旅行からモーツァルトが得たものは、まことに大きかった。何よりも彼はそこで「旋律」を獲得した。」

なるほど、それは面白い。モーツァルトは神童として知られているが、彼を神童として認識し彼の育成に「残りの人生を捧げた」父・レオポルトの存在がなければ、彼は天才にならないままの神童で終わったかもしれないのだなと今更ながら認識した。

イタリアで獲得した「旋律」として例に上がっていた「エクスラターテ・ユビターテ」を聴きながら、モーツァルトが「天才」と呼ばれたのは、ドイツっぽさとイタリアっぽさを兼ね備えていたということなのかもしれないと思った。バッハやベートーベンのどうにもならないようなドイツっぽさがモーツァルトにはもっと軽やかなものになっていて、イタリアの明るさみたいなものも彼の中で消化されいる。万華鏡のような彼の音楽の多様性は確かに、幼年時代の多くの国・多くの都市への旅行によって身についたものなのかもしれないと初めて認識した。

今日はこの本を読もうかなと思った。礒山雅「モーツァルト」(ちくま学芸文庫、2014)。

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