西部邁の懐疑と三島由紀夫の武士道

Posted at 21/03/30

明治精神の構造 (岩波現代文庫)
松本 三之介
岩波書店
2012-01-18



昨日は松本三之介「明治精神の構造」の政教社のところを読み、今朝少し西部邁「思想の英雄たち」のところを読んでいたのだが、西部さんのいうことは本当にそうだなあと読んでいて改めて感じる。


 

この本は私も持っているはずなのだが見つけられず、今朝父の本棚を見ていたら見つけて読み始めたのだけど、序文のところは特に父が線を引きまくっていて逆に読みにくい感じになっているので自分の本をもう一度見つけたい感はあるが、それにしても西部さんの問題意識、つまりは日本の現状に対する懐疑というものは本当に真っ当なものだなと読んでいて改めて思った。

私はどうしても思想に関する文章を読んでいると「何を肯定し何を称揚すれば良いのか」という方向で考えてしまいがちなのだが、西部さんのいうことはつまりは「ちょっと待て」ということで、まず「現状の何が問題でそれに対し先人たちはどう考えてきたのか」という問題意識の持ち方、つまり「現状への懐疑」を丁寧に行わなければならないということを改めて感じ、それこそが哲学であり思想であるというスタートラインを思い出す。

デカルトが「方法的懐疑」ということを言ったけれども、私は懐疑そのものにどうしても関心を持てず、「それは良いからどうしたら良いんだよ」という、結論を急ぐというか性急に答えを欲しがってしまうところがあるのだなと改めて思った。

だから懐疑主義の哲学者とされるヒュームとかについてもあまりよくわかっていないと思うのだけど、現代社会ないし「近代」というものにおける「当然の前提」みたいなものについてまず検討してみることによってしか、保守というものの哲学的なスタンスというものを確立することは難しいなと読んでいて思った。

この本は1996年の本で、もう25年も前の本なのだが、西部さんが指摘する現代の、ないし近代の問題はよりわかりにくくなっているけれども、より拗れているだけで必ずしも「新しい問題」に直面しているわけでもない感じはする。予言的というよりは、要はまだパラダイムが変わっていないということだろうと思うので、その辺りのところをもう一度読みながら考え直すことが、今まず私にとっても必要なのではないかと思った。

後、タイムラインを読んでいて印象に残ったのは三島由紀夫が英語で話しているインタビューで「日本の文化には残酷な面と優雅な面があり、前者は女性的な面から、後者は神経質な面から発している」と答えているのも面白いなと思った。つまりはこれは武士道の問題なのだけど、この辺りは検討課題。でも以前も書いたように、日本の保守主義において武士道は重要なファクターになると思う。西部さん自身の自裁、また同様に保守主義者とされた江藤淳さんのそれもやはりこの文化があってこそだと思われるし。



政教社についてはもう少し考えてから書きたいと思う。徳富蘇峰とかもまだよくわかってないところが多いので、この辺りはまた考えてみたい。

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