「近代の呪い」を読んで(2):「近代批判」批判、「脱成長」批判、我々が保守すべきものは何か。
Posted at 21/02/23 PermaLink» Tweet
さて、「近代の呪い」いろいろ面白くて、第二章「西洋化としての近代」も色々と考えるべきテーマが投げかけられているのだけど、あまりよく頭が動かないので素描として書いておこうと思う。
この話の主たる主張は、「オリエンタリズムという概念化に対する批判」と「脱成長批判」ということではないかと思った。そして結論としては、「西欧近代」というものをただ批判したり、西欧の精神に対してアジアや日本の精神を対置しようというような考えが流行っているけれども、必要なのはそうではなくて、西欧近代というものを正当に評価し、そしてそれがもたらした現在というものをどう評価して、次の時代、次の思想につなげていくかということではないか、ということのように思った。
オリエンタリズムという概念により西欧近代を相対化したり、また資本主義の限界を主張して脱成長、そのバリエーションである環境主義(エコロジズム)を主張するのは、特に社会主義勢力が崩壊してのちのリベラル左派の一つの大きな勢力であり、またポリティカルコレクトネス・フェミニズム・LGBTQなどの文化闘争路線と並ぶ彼らの主張の大きな柱の一つな訳だけど、彼らがどの程度「敵」をちゃんとみているのかは割とどうなのだろうという感じかなと思う。
だから批判されているのはリベラル系の学問全体なのではないかと思うし、また脱成長やロハス生活を得意げに語るリベラル文化人、「世田谷自然派左翼」の皆さんにもその射程は届いているように思う。
こうした議論を読んでいると、アフガニスタンのことが思い浮かぶ。1979年にソ連が侵攻する前のアフガニスタンは、カブールを中心としてかなり西欧化が進んでいて、知識人たちは欧風の生活にも慣れ親しんでいた。ソ連が侵攻して敗退し、イスラム原理主義が強くなると、彼らの生活は一変し、伝統的な生活を強いられることになった。このあたりの苦しみが描かれているのが「カブールの燕たち」という作品なのだが、これは最近フランスでアニメ映画化もされているようだ。(作者はエジプト在住の作家なのだが、映画化したのはフランス人のようなので、その辺りのニュアンスの違いがどう表現されているのかはやや不安だ)
つまり、知識人たちは西欧風の人権思想、特に民族や宗教を超えて「個人」として生きることの可能性と喜びに目覚めながら、イスラム原理主義の支配下で前近代的な暮らしを強いられることを苦しみと感じるわけである。
そして知識人たちが西欧の夢、「人権や個人の自立や自由」を渇望して喘ぐ中で、タリバンやアルカイダはソ連やアメリカが放棄した武器や支持者たちから集めた資金で潤沢に購入した武器を使用してアフガニスタンを支配し、各地でテロを行い、飛行機をハイジャックしてワールドトレードセンターに突っ込んだわけである。
彼らは西欧近代の技術と資本主義体制をいわば利用して西欧近代に戦いを挑んでいるわけだ。そして彼らへの共鳴は今でも止んではいないわけで、フランスやベルギーで新戦力を盛んにリクルートしている。
またシリアに典型的にみられるようにロシアや中国の手を借りて軍事支配を強化し、またロシアや中国自身が公然たる国境変更や少数民族へのジェノサイド政策を実行していて、それらを抑止する力を西欧世界は失っている。
彼らはこうしたテロリズムに対しては関知せずにただ西欧近代批判・資本主義批判を繰り広げるだけで、ついにはドイツなどではアメリカ系の社会学系の学問や思想がテロリストにどのような資源を供給しているのかについての調査も始まりつつあるようだ。
トルコやイランなどにしてもそうだが、イスラム世界においても一度は西欧近代文明の価値観が受け入れられたことはあった。しかしそれが定着するには何かが足りなかった。そしてその反発は原理主義の台頭という形で盛んになっている。ロシアや中国で起こっていることも、基本的には同じ方向の何かなのかもしれない。
さて日本はどうなのか。日本は近代化し、もちろん江戸時代に戻ることはもうできないだろう。しかしこれからどこへいくのか、そのいく先は不分明だ。ここで行わなければならないのが、自分たちの過去を知ることだろう。江戸時代から、明治維新を経て近代が導入され、敗戦によってアメリカ的なシステムが導入された。そして平成に入ってからの経済敗戦によって多くの人が不況下にさらされ、少子高齢化などの問題にさらされているけれども、日本は英米とは違い外国からの衝撃を何度も受けているので、そこをどのように評価するのかは難しいとしても、我々が守っていくべき価値はなんなのかを考えて何を保守していくのかを見出していかなければならないのだと思う。
つまり、今やらなければならないのは、西欧近代を全面的に批判することではないし、ラディカルな原理主義で新たな時代を切り開こうとすることではないと思う。我々が生きてきた「現代=西欧近代の末期」をしっかりと見直して守るべきものはなんで改めていくべきものはなんなのかを見極めて変化に対応していくこと、つまりは保守主義的なスタンスなのではないかと思う。
この方向から考えると確かに日本は保守主義を成立させるのに色々な困難が伴う国ではあるのだけど、その先にしか未来はないのではないかと私には思えた。
この章から読み取るべきことは他にもあると思うのだけど、とりあえず今のところはこれで。
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