自由主義と保守主義:リセット願望と自己蔑視
Posted at 21/02/15 PermaLink» Tweet
前回は保守主義ということについて書いたのだけど、保守主義の祖といえばイギリスのエドマンド・バークだということになっている。で、バークに関しては今までいろいろ読んでは見たのだが、どうもどこに焦点を合わせて読めばいいのか分かりにくくて、なかなか掴めない部分が多かった。
そこで、少し以前に買ってあった宇野重規「保守主義とは何か」(中公新書)をもう一度読み始め、読み始めた時点での感想、考えたことを前回書いたわけだけど、とりあえずバークの部分は読み終え、ついでにマンハイム「保守主義的思考」(ちくま学芸文庫、kindle版)を読み始めたので、その辺を含めて思ったことを書いてみたいと思う。
まず、マンハイムの言い方によれば、伝統主義と保守主義とは違う、とあり、全て古いものを変えたくないといういわば「呪術的不利益に対する不安」からくるものは保守主義ではなく伝統主義と考えるべきだ、としていて、そうなると前回書いたド・メーストルはむしろ伝統主義に入れるべきかもしれないと思った。しかし恐らくメーストルは変えたくないというよりもより積極的に信仰に理性を従属させようとしている感があり、むしろそこに意志が働いているという点で「伝統主義」という言葉の消極性とは違う感もあるので、「ハコとしては保守主義に入れる」ことになるのかなと思った。ただ、前回も書いたようにド・メーストルはゴリゴリの保守的貴族である。
それに比べれば、バークはスマートだ。民主主義のエースとさえ言える。グレートブリテン王国支配下のアイルランドから身を起こし、ロッキンガム侯のブレーンの地位を得て活躍したバークはいわば自由と「民主主義」の守護者ですらある。
宇野氏も書いているが、バークは「政党」というものを積極的に定義し、ただ単なる利益を同じくする人たちの野合、つまり自分たちの部分的利益を追求する集団ではなく、国家に対する考え方を同じくする人たちのある種の友情によって集まった人たちだと考える。つまり、自分たちの利益よりも国家の利益を優先するが、それに対して異なる考え方、異なる信念の人たちとの対立も辞さない。「友情を涵養しつつも敵意をその身に引き受けること」で国家の過去と現在と将来について正々堂々と議論を闘わせる、それが政党だというわけである。
それだけなら現代の政治家でも建前上はいいそうだが、彼はブリストルで議員に選出された後、選挙民に向かって「私はこの選挙区で議員に選出されたが、一旦選出された以上はブリストルの利益のためでなく、国家の利益のために働く」と宣言している。これはいわゆる「ブリストル演説」というものだが、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という日本国憲法の理念をすでに18世紀に主張しているわけである。当選した後の選挙民に対する演説で、これを主張できる議員が現代の日本にどれだけいるだろうか。
これらの面から見て、バークは生粋の「進歩」主義者であったことは間違いないと言えると思う。
しかし一方で、バークはフランス革命に対して「フランス革命の省察」を書き、フランス革命に対して激しい非難をおこなっていることでも知られている。一見面妖にも思えるこの非難はどこからきているのか。実際のところ、革命が起こった時にはイギリスでもフランスでもバークは革命の支持者になると思われていた。しかし実際は革命を非難し、同じようにアメリカ独立を支持したフランスのシェイエスと激しく対立し、決裂することになる。バークの姿勢はむしろ、周囲からは戸惑いを持って迎えられ、人によっては変節とみなす者もあったわけだ。
この辺りは以下のように考えられるかと思う。
バークはイギリス人の自由を重んじたが、それはイギリスの伝統であって、何か抽象的な概念をもとにイギリス人が自由だったわけではないと考える。そのイギリス人の自由に対し、国王政府は常に掣肘を加えようとしてきたが、その度にイギリス人は議会を通して、時には軍事的にも戦って自由を守ってきていて、その成果が当時の名誉革命体制であったと考えていた。そして掣肘を加えようとした国王そのものも、イギリス国家の連続性を担う重要な存在であり、決して排除されるべき者ではない。バークは「国家と暖炉と墓標と祭壇」ということをいうが、イギリス人の自由と権利にとっては継続性のある国家や国王の存在と、家庭の存在、そして今までイギリスを築いてきた過去の死者たちへの畏敬、そして合理的な思想から見れば矛盾に満ちているが、それゆえの叡智を備えている教会のそれぞれが、重要な役割を担うと考えていたわけである。バークのイギリス人の自由の称揚とその実現への助力・奮闘は、それらのものへの信頼があってこそのものだった、ということなのだろうと思う。
それに対してフランス革命の理念と実際の政策の進行は全く異なる経緯を辿った。イギリスよりも遥かに王権が強かったフランスでは王権の恣意的な行為が常に行われ、それに課税に対する同意という意味での正当性を与える身分制議会=三部会も長い間開かれてはいなかった。
しかし大陸の中心にあって常に戦争を続けたフランスは、18世紀後半には大陸での七年戦争と海外ではイギリスとの植民地獲得競争に敗れ、財政破綻に見舞われていた。フランスではアカデミーの創設以後、優れた哲学者や文筆家が活動するとともにいわゆる啓蒙思想が起こり、また一方では進んだイギリスの社会制度や国力に対する「イギリス趣味」が広まっていた。
そうした背景の中で開かれた三部会はバークも恐らくは支持したのではないかと思う。それはフランスの伝統、途絶はしているがその伝統の復活であると考えられたからだ。しかしこの三部会が機能しない中、平民=第三身分は独自の行動を取り、自らを「国民議会」という「輝かしい」名前を自称するようになった。
それを理論的に支援したのがシェイエスであり、彼は「第三身分とは何か」の中で、「第三身分とは何かー全てである」と宣言している。つまり、シェイエスはこの言説の中で召集者たる国王も、第一身分たる教会も、第二身分たる貴族たちも、全て「国民」ではない、市民=平民こそが「全て=国民」なのだというラディカリズムに道を開いたわけである。
実際には貴族や聖職者の中でもこの動きを支持した人々は国民議会に加わり、またのちには国王もこれを認める方向に動いたために対立は回避されたかに見えたが、その後の展開は周知の通りだった。
こうした革命家たちの、フランスの過去を否定して、「人類普遍の原理」に基づいて国家を一からスタートさせよう、いわば「リセット」しようという動きをバークは断じて認められなかったのだろう。
このフランスの革命家たちの姿勢には、「自己蔑視」があるとバークは考えたという。バークがイギリスの政体や歴史に信頼を寄せるのに対し、革命家たちは「フランス人=自己」が作り上げてきた歴史を全く否定して、王権の歴史にも教会の歴史にも民衆の歴史にもない新たな「普遍の原理」を持ち出すということは、理性を信頼するかのように見えて、自己を蔑視し否定して「普遍の原理」という幻影の上に砂上の楼閣を気づく行為に見えたのだろうと思う。
バークがイギリスの歴史に信頼し、一方で革命家たちが「普遍の原理」を信頼しようとした背景には、上記のような歴史的背景もあるし、また革命家たちのイギリスに対する対抗意識、より進歩的であろうとする姿勢もあったかもしれないと思う。それだけでなく、経験論のイギリスに対してのデカルト以来の合理論の伝統をフランスは持っていたということもあるだろう。より理性を信頼し、一方で不合理な現実を否定的に見る姿勢が、フランスではより強かったということはあるだろうと思う。
現代社会は「普遍的原理」、つまり科学に基づく合理主義や普遍的に全ての人間が持つべきと考える人権思想が広く支持され、それに基づいて国家も行動していることが多い。しかしまたその人間の理性への過度の信頼が「高い教育を受けた合理主義的なエリート」による非合理的な部分も含みつつ生を営んできた一般民衆を問答無用に圧迫するメリトクラシー的、ネオリベラリズム的、グローバリズム的傾向が極端になるという弊害も生んでいる。そこにあるのはやはり盲目的に「普遍的原理」を称揚しようとするフランス革命から始まる近代リベラリズムに対する不信が大きいと言えるだろう。
今日本でいわゆる右傾化する人が増えている中には、こうした「普遍的真理」を振り回す人権派左翼への強い反発が広く共有されるようになってきたということがあるように思う。また「普遍的原理」に基づく設計主義的な社会運営に対する疑問もまた強くなってきていると思う。
また、左翼の人の中に返ってセクハラが多いなどの問題に関しては、バークのいう「リセット願望の裏にある自己蔑視」と言う問題についても考えて行ったほうがいいのではないかと思う。
そして、今見直されるべきはこうした合理主義・設計主義だけにとどまらず、バークがいうところの「国家・暖炉・墓標・祭壇」の意味をもう一度よく認識してみるところにあるのではないかとは思う。
また、現代の日本の保守主義の人々の言うところもまた、そこに通じるところが多いだろうとは思う。
そして我々日本人は我々日本人なりの「自由の伝統」と言うものを、歴史の中に見つけていくと言う試みもまた、重要になってくるようには思われた。それは渡辺京二「逝きし世の面影」などの中に、ヒントがあるかもしれないとも思った。
カテゴリ
- Bookstore Review (17)
- からだ (237)
- ご報告 (2)
- アニメーション (211)
- アンジェラ・アキ (15)
- アート (431)
- イベント (7)
- コミュニケーション (2)
- テレビ番組など (70)
- ネット、ウェブ (139)
- ファッション (55)
- マンガ (840)
- 創作ノート (669)
- 大人 (53)
- 女性 (23)
- 小説習作 (4)
- 少年 (29)
- 散歩・街歩き (297)
- 文学 (262)
- 映画 (105)
- 時事・国内 (365)
- 時事・海外 (218)
- 歴史諸々 (254)
- 民話・神話・伝説 (31)
- 生け花 (27)
- 男性 (32)
- 私の考えていること (1052)
- 舞台・ステージ (54)
- 詩 (82)
- 読みたい言葉、書きたい言葉 (6)
- 読書ノート (1582)
- 野球 (36)
- 雑記 (2225)
- 音楽 (205)
月別アーカイブ
- 2023年09月 (19)
- 2023年08月 (31)
- 2023年07月 (32)
- 2023年06月 (31)
- 2023年05月 (31)
- 2023年04月 (29)
- 2023年03月 (30)
- 2023年02月 (28)
- 2023年01月 (31)
- 2022年12月 (32)
- 2022年11月 (30)
- 2022年10月 (32)
- 2022年09月 (31)
- 2022年08月 (32)
- 2022年07月 (31)
- 2022年06月 (30)
- 2022年05月 (31)
- 2022年04月 (31)
- 2022年03月 (31)
- 2022年02月 (27)
- 2022年01月 (30)
- 2021年12月 (30)
- 2021年11月 (29)
- 2021年10月 (15)
- 2021年09月 (12)
- 2021年08月 (9)
- 2021年07月 (18)
- 2021年06月 (18)
- 2021年05月 (20)
- 2021年04月 (16)
- 2021年03月 (25)
- 2021年02月 (24)
- 2021年01月 (23)
- 2020年12月 (20)
- 2020年11月 (12)
- 2020年10月 (13)
- 2020年09月 (17)
- 2020年08月 (15)
- 2020年07月 (27)
- 2020年06月 (31)
- 2020年05月 (22)
- 2020年03月 (4)
- 2020年02月 (1)
- 2020年01月 (1)
- 2019年12月 (3)
- 2019年11月 (24)
- 2019年10月 (28)
- 2019年09月 (24)
- 2019年08月 (17)
- 2019年07月 (18)
- 2019年06月 (27)
- 2019年05月 (32)
- 2019年04月 (33)
- 2019年03月 (32)
- 2019年02月 (29)
- 2019年01月 (18)
- 2018年12月 (12)
- 2018年11月 (13)
- 2018年10月 (13)
- 2018年07月 (27)
- 2018年06月 (8)
- 2018年05月 (12)
- 2018年04月 (7)
- 2018年03月 (3)
- 2018年02月 (6)
- 2018年01月 (12)
- 2017年12月 (26)
- 2017年11月 (1)
- 2017年10月 (5)
- 2017年09月 (14)
- 2017年08月 (9)
- 2017年07月 (6)
- 2017年06月 (15)
- 2017年05月 (12)
- 2017年04月 (10)
- 2017年03月 (2)
- 2017年01月 (3)
- 2016年12月 (2)
- 2016年11月 (1)
- 2016年08月 (9)
- 2016年07月 (25)
- 2016年06月 (17)
- 2016年04月 (4)
- 2016年03月 (2)
- 2016年02月 (5)
- 2016年01月 (2)
- 2015年10月 (1)
- 2015年08月 (1)
- 2015年06月 (3)
- 2015年05月 (2)
- 2015年04月 (2)
- 2015年03月 (5)
- 2014年12月 (5)
- 2014年11月 (1)
- 2014年10月 (1)
- 2014年09月 (6)
- 2014年08月 (2)
- 2014年07月 (9)
- 2014年06月 (3)
- 2014年05月 (11)
- 2014年04月 (12)
- 2014年03月 (34)
- 2014年02月 (35)
- 2014年01月 (36)
- 2013年12月 (28)
- 2013年11月 (25)
- 2013年10月 (28)
- 2013年09月 (23)
- 2013年08月 (21)
- 2013年07月 (29)
- 2013年06月 (18)
- 2013年05月 (10)
- 2013年04月 (16)
- 2013年03月 (21)
- 2013年02月 (21)
- 2013年01月 (21)
- 2012年12月 (17)
- 2012年11月 (21)
- 2012年10月 (23)
- 2012年09月 (16)
- 2012年08月 (26)
- 2012年07月 (26)
- 2012年06月 (19)
- 2012年05月 (13)
- 2012年04月 (19)
- 2012年03月 (28)
- 2012年02月 (25)
- 2012年01月 (21)
- 2011年12月 (31)
- 2011年11月 (28)
- 2011年10月 (29)
- 2011年09月 (25)
- 2011年08月 (30)
- 2011年07月 (31)
- 2011年06月 (29)
- 2011年05月 (32)
- 2011年04月 (27)
- 2011年03月 (22)
- 2011年02月 (25)
- 2011年01月 (32)
- 2010年12月 (33)
- 2010年11月 (29)
- 2010年10月 (30)
- 2010年09月 (30)
- 2010年08月 (28)
- 2010年07月 (24)
- 2010年06月 (26)
- 2010年05月 (30)
- 2010年04月 (30)
- 2010年03月 (30)
- 2010年02月 (29)
- 2010年01月 (30)
- 2009年12月 (27)
- 2009年11月 (28)
- 2009年10月 (31)
- 2009年09月 (31)
- 2009年08月 (31)
- 2009年07月 (28)
- 2009年06月 (28)
- 2009年05月 (32)
- 2009年04月 (28)
- 2009年03月 (31)
- 2009年02月 (28)
- 2009年01月 (32)
- 2008年12月 (31)
- 2008年11月 (29)
- 2008年10月 (30)
- 2008年09月 (31)
- 2008年08月 (27)
- 2008年07月 (33)
- 2008年06月 (30)
- 2008年05月 (32)
- 2008年04月 (29)
- 2008年03月 (30)
- 2008年02月 (26)
- 2008年01月 (24)
- 2007年12月 (23)
- 2007年11月 (25)
- 2007年10月 (30)
- 2007年09月 (35)
- 2007年08月 (37)
- 2007年07月 (42)
- 2007年06月 (36)
- 2007年05月 (45)
- 2007年04月 (40)
- 2007年03月 (41)
- 2007年02月 (37)
- 2007年01月 (32)
- 2006年12月 (43)
- 2006年11月 (36)
- 2006年10月 (43)
- 2006年09月 (42)
- 2006年08月 (32)
- 2006年07月 (40)
- 2006年06月 (43)
- 2006年05月 (30)
- 2006年04月 (32)
- 2006年03月 (40)
- 2006年02月 (33)
- 2006年01月 (40)
- 2005年12月 (37)
- 2005年11月 (40)
- 2005年10月 (34)
- 2005年09月 (39)
- 2005年08月 (46)
- 2005年07月 (49)
- 2005年06月 (21)
フィード
Powered by Movable Type
Template by MTテンプレートDB
Supported by Movable Type入門