ナチスと「シン・ゴジラ」

Posted at 21/02/12

石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書、2015)を読み始めた。これはアマゾンで取り寄せたものだが、2019年9月に11刷になっている。ツイッター上でも入門書として最適、のような評価があったこともあり、需要があるのだろうと思う。




目次を見るとそれぞれの章が「1ヒトラーの登場」「2ナチ党の台頭」「3ヒトラー政権の成立」「4ナチ体制の確立」「5ナチ体制下の内政と外交」「6レイシズムとユダヤ人迫害」「7ホロコーストと絶滅戦争」とある。第1章~第4章はほぼ政治過程を書いたものだと考えられるし、第6章と第7章はナチスの人種主義と大量虐殺についての記述だと思われる。このあたりについてはそれなりに学習もしたし他の本でも読んでいる。

私が関心があるのはナチス、あるいはヒトラー、またはナチス政権下のドイツ政府の経済政策についてなので、第5章を読むことにした。読んでみて他の章も呼んだ方がいいと判断したら他の章も読んでみようと思った。

まずへえっと思ったのはヒトラーは閣議を開かなくなった、ということだ。ヒトラーが首相になった1933年には年に70回開いていた閣議が総統になった1934年には21回に激減し、更に減少して1938年に1回開かれたのを最後に開かれなくなったという。

これは日本ではちょっと考えられないことで、一番わかりやすい例が「シン・ゴジラ」だが、あの中でゴジラという緊急事態に対して主人公たちは会議ばかりしている。あの会議の描写はとても面白いなと思ったのだが、逆に言えば日本において政治とは会議で合議を目指すことなんだな、と思った。

会議の主宰者の権力の強弱という問題もあるが、日本では「藤原冬嗣」を読んでいても朝議の話がかなり多いし(でも陰謀も用いる)、鎌倉時代も御家人たちは話し合いばかりしている。(まあすぐ戦争もするのだが。)閣議が紛糾して明治6年の政変が起こったり、とにかく政治過程にどんと会議がある日本の歴史を読んでいると、「会議を開かない指導者」というのはかなり異様な感じがする。

「実は、閣議を開かない点に、ヒトラーの政権運営の特徴があった。」と著者はいう。「これは合議に一切の価値を見出さないヒトラーの考え方が端的に現れていると言えるだろう。」と。「むしろ国民の人気に裏打ちされたカリスマとしての求心力を前提にして、自らが掲げる大局的な進路に各大臣が進んで従い、その意に沿って働くことを期待された。」という。

これはちょっと感覚的によくわからないでいたが、今考えてみるとつまりは自分を「天才」と定義し、その「天才」の手足として各大臣、ひいては全国民、全世界が動かなくてはならない、とかなと考えた。そんなことが可能とは思えないが、それを可能と思うのが「独裁者」であり、つまりは「妄想に憑かれた人」ということなのかもしれないと思った。ただこういう気宇壮大な妄想は魅力的に感じる人もいるだろうなあとも思った。

「ヒトラーの考え」というのを確かめようと前の記述を探すと、第2章73ページに「ヒトラーの政治思想の重要点」(ゾントハイマーの整理による)が列挙されていた。その五番目に、

「議会主義は無責任体制を意味し、民族を全体として代表する一人の指導者の人格的責任において万事が決定されるべきだとする指導者原理」

が挙げられていた。

この閣議に対するヒトラーの姿勢も、この「指導者原理」という考え方によって説明できるのだろうなと思いつつ、Wikipediaで「指導者原理」を読んでいたら、参考文献として田野大輔「民族共同体の祭典 -ナチ党大会の演出と現実について-」(大阪経大論集 53-5、2003)が示されていて、これはネットで入手できたので、まずそれから読んでみた。

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_053_005_185-219.pdf

で、読んでみた結果としては、この「指導者原理」というものがナチスの特異な組織論であることがわかり、ナチスというものをそういう方向から考え直さなければならないということ、そして私はすでにそれに関連する本も何冊か読んでいたが、そのことにあまりピンと来ていなかったことが分かった。

人間、自分の常識からあまりにかけ離れたものはそう簡単に理解できないという面はあるなあと改めて思った。新書一冊読んで理解出来たら天才だと思う。

本でいえば例えば有斐閣選書の「権威主義的人間」やドラッカーの「経済人の終わり」などがそういう趣旨に関係する本ではないかと思い直した。この辺もまた時間のある時に読み返してみたい。

翻って第二次世界大戦中の日本を考えてみると、当時の日本政府はそういうものから全くかけ離れた組織原理で動いていた。東條英機はヒトラーと比較できるような人物では全くなく、戦争を運営するのも首相という立場だけでは不可能で、陸軍大臣などいくつもの大臣ポストを兼ね、ついには参謀総長まで兼任することになったのは、そうしないと一貫した戦争指揮が出来ないからだった。サイパン陥落を受けて結局辞任に追い込まれるし、また当然ながらカリスマという点でも全くヒトラーに劣る。というか、当時の軍部でも東條よりカリスマを持った人物は何人もいただろうと思う。こうしたドイツとは似ても似つかぬ体制を以てファシズムなどの用語を十把一絡げに当てはめるのは適切ではないなと改めて思った。

またもうひとつ思ったのは、現代のナチス研究者が目指しているのはナチスがさまざまな形で作り上げた「ナチス神話」、これはナチスを「素晴らしいもの」と見せるものもあれば「恐ろしいもの」と見せるものもあり、ナチスの特異な「魅力」は戦後も様々な形で再生産されてきていて、それゆえに「映像の20世紀」とも言える前世紀の後半において、否定するものも支持するものも様々な神話に振り回されてきた、その神話自体を解体すること、つまり「脱神話化」が一つの目的なのだと認識できたということにある。

これは近年の日本の中世史ブームでも言えることで、たとえば後醍醐天皇が「太平記」や「梅松論」などによってつくられてきたイメージや、近年では網野善彦による「異形の天皇」のイメージが、丹念な史料解読と前後の鎌倉時代・室町時代の組織との比較によってより保守的な、また意欲的なイメージに読みかえられているところと、脱神話化という面で似ているわけだ。

ナチスの経済政策もまた、この指導者原理のもとでどのように行われたのかを読み直し、「ナチスドイツが1930年代に奇跡の復興を遂げた」と呼ばれているものの実態をもう一度見直すことが必要だなと思った。

ナチスは現代日本とはかけ離れた組織原理で動いているのはかなり驚いたが、公的な組織はともかく民間ではこういうところもあるのかもしれないとも思った。特に宗教団体や社会運動、またあるいは芸術関係の集団など非営利的なところではそういうところもあるかもしれない。

組織論というものについても改めて興味を持った。

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