歴史を読む

Posted at 21/01/04

学生時代の友人と話していて、幕末維新期の政治家の個人全集を買って読んでいるという話を聞いた。歴史専攻の人ではなかったのだが、年齢を重ねてからそういう歴史を振り返りたくなるということはあるだろうなと思って話を聞いていた。私も幕末維新期についてはそれなりに読んだので話も弾んだのだが、専門以外にもそういう世界に目を開くことで、新しく見えてくるものもあると思うから、そういうことはどんどん盛んになると良いなと思う。

私はフランス革命が専攻で修士論文までは書いたのだが、社会人になってからの院進ということもあり、研究書を中心とした調査になったのだが、それでも少しは国民議会のアーカイブやボルドー市史などその当時やその地域の歴史の手触りのある史料や文献を読んで、研究書や通史・概説では感じることのできない歴史の息吹みたいなものを少しは感じることができた。

アナル派の歴史家で「子どもの誕生」を書いたフィリップ・アリエスの著作に「日曜歴史家」というものがある。これは他に仕事を持っての歴史研究を日曜大工になぞらえての表現な訳だけど、アリエスはもともとは歴史を専攻していて、その時に史料を読みながら当時の様子がありありと感じられる、あの史料を読み込んだものにしかわからない感覚について書いていて、これは私もとてもよくわかるなと思ったし、この感覚を味わうことがより多くの人にできると良いなとも思う。

私は修士以上には進めなかったのでその後はフランスよりむしろ日本の歴史を読むようになったのだけど、特に明治維新史や昭和軍閥史については神保町で史料を買ったり軍人の伝記を買ったり、あるいは国会図書館の憲政資料室に通って軍人が政治家に送った手紙の現物に触ったり読んだりもした。現物の力というのはとても大きくて、史料集では文字に起こされているから文字情報については十分なのだが、紙質の手触りや使っているインクの色など、実は結構個性が現れる部分が現物を見たり触ったりすることによって感じられる部分があって、そこからその人の人物像が想像しやすくなったりするわけである。

特に追いかけたのは永田鉄山と原敬なのだが、原敬は基本文献である「原敬日記」を図書館に通って明治期の部分は読んだ。もちろん政治家としての原は大正期がより重要なのは当然だが、明治期であっても紆余曲折の人生を送っている彼の軌跡を追うことは面白く、特に最初の部分の宣教師の従僕として越後へ旅するあたりはとても印象に残っている。

「原敬日記」は複数の版があり、また近年原の日記の現物を写真製版したものも出ているので、そういうものもまた読んでみたいと思っている。

私の実家には蔵があって、その蔵の中には家族の歴史に関する文書みたいなものも残っていて、そういうものを探して読み始めたのもこういう経験があったからだ。嘉永年間の法事の際に近隣の家からもらった不祝儀をいちいち記録してあって、今はもちろん現金なわけだが、当時は現物だったということがわかる。概ね大根とか野菜が多かったように記憶している。また祖母が明治43年に生まれた時のお祝いの一覧も出てきて、一番多かったのが「あかね」だった。これはおそらくは茜色に染めた生地のことで、これで産着や子供の着物を作ったりしたのだろう。また画像史料ではやはり祖母の高等女学校の卒業記念写真があって、これは昭和2年なのだが、父が生まれたのが昭和9年なので、祖母は高女を出てわずかのうちに祖父と結婚し(祖母は跡取り娘)、また父を産んだのだなとかそのライフヒストリーに想いを馳せたりした。

わずかなことでも歴史を追いかけるのは楽しいことだし、頭の中だけでなく実際に当時の残っている史料に触れてみるとそのリアリティが全然違う。結局歴史の研究者はその量が素人に比べて膨大に多く、それまでの研究史自体を押さえているのでより広い議論が可能なのが強いわけだけど、専門とは関係なくそうした残されたものから歴史や人物に想いを馳せることは誰でも可能なので、そうした認識がより広がっていくことはありがたいことだなと思う。

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by Luke Peterson

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